ちょっとだけ、マニアな天体観測話

 どうしても、めんどくさい話になる私でした。

 天体観測をずっとしている人には、マニアでも何でもないんだと思うんですけど。

 興味のある方だけ、お付き合いくださいませ。

 

 「星を見よう!」を復活させた私。

 中学の時は、理科の先生と、友達3~4人(先生とその他合わせて車に乗れる人数)で、天体望遠鏡を持って、星を見に行っていました。

 私が、「欲しい!」を押し通して買った、天体望遠鏡でした。

 中学の屋上か、先生の家の近くの、山の上の空き地か。

 今、その空き地は、住宅街になっていると思う。かつてとんぼ玉教室に来られていた生徒さん家は、その辺じゃないかと思う。

 

 高校の時は、天文部でした。

 が、観測はあまりした覚えがない。

 お堅い高校だったので、泊りの観測は、年に一回、ペルセウス流星群の日だけでした。

 高校の時は、東条三人組と言っていた3人が、地元でまじめに観測していたようで、写真なんかも、そっちで撮ってたのかな。

 なんか、小野なんて、光害だらけってイメージでしたが。

 

 大学の時は、天文同好会。

 ただ、家の周りは、光害がひどいと思って、かなりあきらめムード。

 足がないので(ペーパードライバーだった)、主に自宅の庭。

 観測に出られる日(同好会の観測の日か、自主的に企画した天橋立付近への観測の日)に、明石から車を出してくれる時は、私の望遠鏡も積んで行ったものでした。

 今も、ご夫婦で、「ふく蔵」さんに来てくれます。

 たった一回、M42 オリオン座大星雲を、自宅の庭から撮った写真を、先輩に褒めてもらった。

 「今やったら、割とこのくらいとれる人は増えたけど、3年前くらい前やったら、天ガ(天文ガイドという本)の投稿のページに載せてもらえるレベルや。」

 って。

 ホンマにそれ一枚でしたね。

 それも、どこへやったのか覚えがない。

 

 星座は、主なものは何となく形が辿れたけど、星雲星団を探せなかった。

 多分、こと座のリング星雲は、何回か、望遠鏡に入れてみることに成功して、うれしかったのを覚えているけど。

 ま、そのくらいでした。

 

 当時使っていた望遠鏡は、「ビクセンポラリスR150S」の「赤道儀式」でした。

 反射式と言って、反射鏡で光を集めて、接眼レンズでさらに拡大してみる物で。

 主鏡の直径が15センチ、焦点距離が75センチだったと思う。

 中学高校の時に使っていたのは、主鏡が10センチ、焦点距離が100センチ。

 新しい物ほど、「太短い」感じになっていました。

 細長い方は、倍率が高くできやすい代わりに、画面が暗め。

 太短い方は、倍率はやや抑えめになる代わりに、画面が明るい。

 主鏡の直径が大きいほど、広くたくさんの光を集めるので、「明るい」のと、「分解能」まあ言えば、ハイビジョン、フルハイビジョン、4K、8Kと、同じ映像が映っていれば、分解能は高い状態ということですね。

 主鏡が小さいと、倍率を上げても、細部がつぶれていて、ある一定以上は鮮明には見えないんです。

 10センチの方は、後輩が中古で引き取ってくれて、今ある15センチは、ほこりをかぶりつつ、ファインダーとモータードライブが行方不明で使えない。

 

 と、最近、コンデジを三脚に載せて、数秒露出して、広い範囲を写真に撮っていました。

 ピントが難しいですが、これが結構、目で見るよりは、星雲星団が写る。

 すると、あれほど探しにくくて、「なんか見える気がするけど、ホンマにこれ?」みたいに確信が持てなかった星雲星団の位置を確認することができて、格段に星雲星団の場所が分かりやすくなり、そうすると、場所も覚えるようになりました。

 技術の進歩は偉い物で。

 ある意味、「拡張視力」ですよね。

 主鏡が大きいことや、数秒の露出で光を集めることができることで、肉眼では見えないものが見える。

 例えば、双眼鏡を使うだけで、肉眼では見えないものが見えてくる。

 そうなると、徐々に欲が出てきます。

 30年ぶりに始めようと思ったときには、「肉眼で、天の川を見たい」だったのが。

 もっともっと、見えるんじゃないかと思ってしまう。

 

 人によっては、簡単になったことって、つまらないことと思う人もいるかもしれない。

 でも、私は、デジカメのおかげで、入りやすくなったことって、すごくうれしいことだと思います。

 

 さて、そこでですよ。

 「西はりま天文台」には、メインの主鏡2メートルの「なゆた」、もう一台の主鏡60センチの望遠鏡がある。

 それとは別に、「サテライトA」「サテライトB」「サテライトC」「サテライトD」という、小型の望遠鏡があるんですって。

 AとBは、例会と観測デーには、予約してあるので、希望があれば使えるそうで。

 Aは、主鏡26センチ、焦点距離が、多分200センチくらいはある望遠鏡で、主に目で見るのに向いている望遠鏡なんだそう。

 Bは、主鏡18センチ、焦点距離52センチの、太短い望遠鏡で、写真に特化した望遠鏡なんだそう。

 どっちも赤道儀式でモータードライブ付きなので、一旦望遠鏡に導入できた天体を、日周運動に合わせて、追尾してくれる。そうでなくて、止まったままだと、導入した天体は、徐々に画面から外れて行く。

こういうところに固定して設置されていると、極軸を一回合わせておけば、そうそう頻繁に調整しなくて良い。片付けないといけないと、いっつも適当に使うか、ここぞの時には極軸を合わせてから使わないといけない。

しかも固定して設置されているということは、電池でなくて、普通の交流電源を取れるので、電池切れの心配なくて、ずっとモータドライブを入れっぱなしにできる。電池だと、電池切れで、ハイ、止まった!って、心配がある訳で。

良いなあ、固定されている赤道儀。

 これを、自分で使えるようになろう!

 っていうのが、今回の目論見だったのですが。

 なんか、難しそう。

 赤道儀式は、私のと同じなんですけどね。

 大きいし、ファインダーも本体の接眼レンズも、高い位置にあって、台に乗らないの見られない。

 なんで?って思ったけど。

 地上付近って、温度差や水蒸気の影響を受けるんだろうか?でもって、目線高いところの方が、周辺の木々とかを少し見下ろす感じになって、低い位置の星が見やすいからだろうか?

 ま、チビには、扱いにくい。

 

 私の望遠鏡の赤道着には、「赤緯目盛り」「赤経目盛り」という目盛りがある。

 下準備で、地球の回転軸(地軸)と、望遠鏡の台の軸を並行に合わせておき、次に、見たい星を望遠鏡の中に導入して、星が入った状態にすると、赤経環だけを回すと、星の回転方向に合わせて望遠鏡が回るようになる。

 例えば、明るくて、望遠鏡に入れやすい星を先に入れておいて、モータードライブで、追尾しつつ、「赤経目盛り」と「赤緯目盛り」を、今入っている星の座標(星空には仮想的な座標が降ってあって、星ごとに、その座標が求められていてわかっている)に合わせる。

 そのあと、見たい天体の座病を目盛りが示すように、望遠鏡を動かすと、ほぼ、望遠鏡が、見たい天体の方向を向く。

 という使い方ができる。

 確かに、あんまりそんな使い方をしたことないけど。

 そうすれば、おおざっぱに、見たい天体の向きに向けられるやん。

 「なゆた」や、60センチは、この考え方を、パソコンで制御して、機械的にやってくれることで、星を探せる。

 60センチは、天頂付近はほぼ正確に入るけど、低いところは誤差が出やすいって、言うてはった。なんで?

 ま、何でというか、物事には誤差はつきもので、そこを除く努力を重ねることで、自動で精度の高い物が実現するんだけど。

 

 サテライトAという、主鏡が26センチ、長さが2メートルくらいある方の望遠鏡も、そういう使い方ができたはずだとおっしゃっていて、「使いたい」って、無理を言いました。

 そのためのパーツが、しまい込まれていて出てこなかったそうで。

 新しくしてから、そういう使い方はできなくなったのかもしれないとおっしゃってた。

 で、今まで、あんまりそういう使い方をしてこなかったからとも。

 え~?なんで?

 って、思ったんですよね。

 

 やっぱり、めんどくさい、「どちて坊や」(←古!)やわ。

 

 朝ごはんの時に、会の中心メンバーのBさんに、何気に聞いてみました。

 「Bは写真向き、Aは目で見るのに向いているというのは、何が違うんですか?」

 というわけで、ここからが本題なんですけど。

 ↑前振り、長すぎ!

 

 

 写真を撮るカメラは、昔ならフィルム、今はセンサーですが、「サテライトB」は、フィルムくらいの面積の「平面」上に、きれいに像を結ぶように、鏡が設計されているんですって。

 ということは、目で見る望遠鏡は、人間の目のレンズを通って、網膜上にきれいに像を結ぶように、鏡の局面が設計されているということ。

 どっちにも使えるというのは、どっちも少しずつ犠牲にして、中間の中途半端な設計になっているということなんですって。

 「フローライトとかなら、どっちも行けるみたいに聞いたけどね。」

 なるほど。

 フローライトというのは、蛍石ですね。

 屈折式で、蛍石をホンマに使っている望遠鏡が確かあって、お値段が高い!

 大学の時の同好会の同級生が一人持ってました。

 

 そうか、オールマイティな望遠鏡はないんや。

 で、続けて教えてもらったのは。

 「サテライトAは、もともと、月惑星用の望遠鏡やから」

 そうか。

 主鏡26センチって、私のよりはずっとずっと大きくて、光もたくさん集めるけど。

 その分、焦点距離が長いので。

 倍率が上げやすくて、でも、像は暗め。

 惑星は、望遠鏡の真ん中に、ぽちっと、やや小さめの円に見えるので、それをより大きく見せる。

 しかも惑星は、もともと明るいから、像が暗めでも良いんや。

 月や惑星は、明るくて、その場所を探しやすい。

 だから、「赤経」「赤緯」の座標を使ってまで、天体を入れるという使い方がされてこなかったんやなあ。

 だって、もっと探しにくい天体は、他の望遠鏡で見たら良いんやもんね。60センチとか。

 しかも、探しにくい星雲星団は、結局、淡いので目では見難いために、カメラで数秒露出して写真にする方が、捉えやすいっていうことか。

 

 というわけで。

 Iさんに、すっかりお手数をかけてしまい。

 ごめんなさいです。

 そういうことだったのか。

 

 今回も、一つ賢くなりました。

 

 そんなこんなで、私の「欲」は、どっちへ行けばいいんやろ?

 そんなことを、まじめに考えています。

 まだ、月がない、コンディションの良い時の、「なゆた」の実力を、見てない。

 なんかね。「137億光年のヒトミ」という本によると、凄いらしいです。

 「こんなに見えて良いんですか!」って、研究者の人が、驚愕したって書いてあるので。

 

 子供の頃(小学校中学年の頃)、図鑑の星雲星団の写真がきれいで、引っ張り出しては、ずっと眺めていたので、7巻は、ボロボロでした。

 星雲星団好きです。

 頭の中に、きれいな天体写真のイメージがあるので、見えないと言われても、ぼんやりとしか見えなくても、見えると嬉しい。

 そういう、図鑑にハマった私のツボと、そうでない先入観のない人のツボは、明らかに違うらしく。

 ぼんやりとしか見えない星雲星団を見せられても、あんまりうれしくないっていうのが、普通なんですって。

 え~、そうなのか。

 

 ってことは。

 私の場合は、サテライトBで、天体写真なんやろか?

 それだと、私の一眼デジカメは、古くて、ISO感度が1600までしかなくて暗い。

 どうしても、露出時間を長めにとることになる。

 それに、こないだ聞いた話。

 水素ガスが発する光の内、Hαという名前の、赤色の波長の光は、普通のデジカメではカットされていて写らない。

 え~?

 赤いHαが写る代わりに、普通の写真が撮れない天体写真専用のカメラ?

 ちなみに、そのミラーレスカメラは、もちろんボディのみで売っていて、お値段、30万円。

 見た瞬間に、笑いが出て、「アホちゃう~~~?」って、一人、自室で叫んだというのに。

 そうか。

 もっと見たい。

 もっと撮りたい。

 だから、30万なんやなあ。

 買いませんよ!

 今、そんな余裕ないから。

 多分、将来も、そんな余裕ないと思うし。

 あったら買うんか?

 そりゃ、余裕があったら、買うと思う。

 結局、そういうの好きなんやわ。

 

 来年、星のソムリエの資格を取ろうと思う。

 そのソムリエは、いろんな人に星空の案内をする人。

 きっと、それは、カメラで撮るっていうのとは、きっと違う。

 肉眼、双眼鏡、望遠鏡でのぞき込んでみた、今のこの瞬間の宇宙を、どんなふうに感じてもらうのか?

 そういうことをする資格。

 わくわくは、どんなところにあるんだろう?

 星の世界を、一歩、踏み込んでみてみた人たちに、どんなワクワクを伝えられるんだろう?

 そんなことも、考えていたりします。

 

 そして、宇宙論。

 星を見るのに、宇宙論の知識って、必須ではありません。

 でも、知りたくなって、行っちゃうんですよね。

 昔、先生がおっしゃっていた。

 より大きなエネルギーを観測したいと思ったとき。

 レーザー光線みたいな機械の発するエネルギーより、もっと大きなエネルギーは、当時は、つくばの「トリスタン」という加速器や、今なら西はりまの「スプリングエイト」という加速器で作りだした高エネルギー粒子。

 さらに大きなエネルギーは、星の中の激しい活動で作り出されるエネルギーで、その挙動を知りたければ、星を見ることになるって。

 そういうことなんやなあ。

 宇宙なんて、手に取って触れない、日常から遠い物。

 ただ、そのより激しく大きなエネルギーが生み出されている証拠になる、いろんな宇宙線を観測することで、より、物事の根源に迫れる。

 きっと、宇宙論は、そういう学問なんだろうなって思う。

 優秀な人しかできないのは、尤もで。

 私はやっぱり、エエなあって、取り巻いてみている人に過ぎないんやなあって思う。

 でもな。

 聞いていると、ホンマに、わくわくするんですよ。

 

 やっぱり、もうちょっと、取り巻きながら、覗いてみようと思います。

 そういう場所が、西はりまって、近い場所にあることは、結構、ラッキーなことだって思います。

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