母が、またいつもの感じで昨日入院。
一年に、1~2回だし、今回も2泊の予定なので、大事ではないけど、フツーに、製作時間が減る。
しかも、必要となると、早い方が良いので、決まったら1~2日中に入院。
今、カテーテル検査中。
で、私、デイルームで待機中。
まあ、締め切り直前でないだけ、ましですが。
のんびり構えてたのが、急に危機感感じて、うだうだディテールで悩んでないで、半製品をいくつかでも完成品にしとかねばと、思う。
ある意味、母に尻を叩かれている感じかな?
やっぱり、ここ3年、時間はタイトなんやなあ。
この頃、素直にそう思います。
3年前までは、なくなった父の介護施設への送り出しとか、見守りとか、持病ありつつ母がやってくれてた。
それより前、父が元気なときは、母の入院の手続きや付き添いは、父がやっていた。
ほぼ、仕事だけしてたら良かった。
ゴミ出しも、父がやってた。
こないだ、何かの番組で、「仕事だけしていたら良い幸せ」とか、「子育て中の妻が、日曜1日、子供を僕が見て、自由になると、異常な喜びよう。病んでるのかなと、思うくらい。」とか聞くと、何か、分かるようになった。
きっと、誰もいなくて、あまりにも自由なのも、人としては、寂しい気がする。
手がかかるのも、幸せの一部とは思う。
で、ここ3年で、考え方、変わりました。
西はりま天文台に出掛けるのもそれ。
人との繋がりや、関わり、手を抜き過ぎを反省しました。
わずかな時間も、仕事に充てねば!みたいなのは、無理かなあと思うようになりました。
色々と、向こうから終わったり、こちらから終わらせたり、仕事が縮小していくことが、今やるべきことのような気がします。
何故なら、その人ごとに、抱えきれるキャパは、大体の決まっていて。
「こんまりさん」の、お片付け術でも、最初に、家の中の「物」を全て、引っ張り出してくるところから始める。
で、一つずつ、「トキメク」かどうか、確認する、
「トキメク」物は、置くべき定位置を決めて残し、「トキメカ」なかった物は、「今までありがとう。あの頃は、ときめいていて、私と一緒にいてくれて、ありがとう。」って、お礼を言って、お別れする。
今、時間がタイトになったことが、そのきっかけにもなったと考えられて。
仕事が縮小することを決めるのは、ちょっと怖い気もするのですが。
その時期が来ているのに、しがみつくと、がんじがらめにきっとなるんや、って、ほんまにこの頃思うんです。
今、また、1つ終わらせて(もう伝えてあります)、もう1つは縮小の予定。
小野教室は、続けますよ。
こないだも、床の大きな塗料の汚れを落としました。
手書きの看板も、製作予定です。
最後に残すもの。
作品の製作です。
ゆっくり、じっくり作って、ぼちぼち発表したいです。
すごいペースで、いろんな出展をする人が多いけど、私は、オリジナルの新作を作るなら、そんなペースでは、とても無理。
だったら、「時間を作ろう」な訳です。
何にトキメク?
そう問いかけたら、それが残った。
速さや、マメさが求められ。
SNSでも、活動が充実していることを、見る人が「凄そう!」「勢いある?」「運気良さそう!」と感じてくれるためのイメージ作りをしなくてはみたいなプレッシャーに、やる前から(笑)疲れはて。
向いてない。
真っ向から、自分のペースを貫けないだろうか?
じっくり考える質。
そういう価値観が、低く見られる風潮を感じる。
そんなに急かされ、ホンマのオリジナルなんか、作れるかい!!!
って、ここで、叫んどこう。
あれ、話が、そんな方に行ってしまった。
待ち時間に、日常を書こうと思ったら。
決意表明か?
作りたい物、あります!
そっちへ向けて、ゆっくり、進みます。