3月後半の小野教室をお休みにします。
加古川は、すでにお休みが決まっています。
自粛の空気感に流されてというこではなくて。
いや、判断として、正しいかどうか、ほんとのところは分からないんです。
ふく蔵さんを、延期してもらったのも、やりすぎだったか?と、思った日もありました。
加古川教室お休みの判断が早かったことも、用心し過ぎ?と、思った日もありました。
自分の不調の原因が、PM2.5のせいとほぼ確信が持てて、教室大丈夫やわと、思ったんです。犬の散歩で不調になり、一日仕事で大袈裟な防塵マスクつけていた後は、調子良いんですもん。
母のことも、もしかして、「フサン」をすでに透析で使っているなら、かえって安心?とかとも思い、変な安心をしているんですが。
自分の中の、モヤモヤが消えないのは。
イタリアやスペインの現状を見て、日本の対応、これでエエんやろか!って、気がしてくるんです。
水面下で起きていることを、つかもうともせず、いやむしろ、見たくないことを見なければ、無かったことになるはすだ的な。
そっちの空気に乗りたくない。
食品の買い出しには、マスク着けてません。ないし。
風邪症状、ないし。
教室のお休みは、収入的には、痛いです。
それでなくとも、へこみがちなのに。
でもな。
まあエエか、って開催してしまう自分で良いのかな?
ま、そのくらいのことです。
天の邪鬼なのかもです。
こんな時、自分の考え方を、改めて確信する。
知りたい。
とことん調べて、スッキリしたい。
自分のそのキャラが、世間一般では、受けが悪いことは知っている。
めんどくさいキャラです。
症状が出ない、もしくは軽症者が多いと聞いて、一度は楽観的に構えたけど。
私の中にもいる、良い方を信じたい自分もいるけど。
どこか、武漢で起こったことと、イタリアで起こっていることを、どうとらえたら良いのか、楽観的に見るには、腑に落ちないんです。
日本では、ダイヤモンドプリンセスのことがあって、少し早く、注意が向けられた。
で、日本のことを対岸の火事よろしく見ていたヨーロッパでは、水面下で、日本よりも早い時期に感染が広がって、見え始めたのが、一定の閾値を越えたあとだったってことなら。
日本は、挨拶でハグしないとか、手洗いの習慣がまだあるとか、文化の違いで、広がるスピードが遅いだけというなら。
ワシントン・ポストのシミュレーションに従えば。
早い時期に油断したら、感染爆発は起こる。
スピードを緩めて、回復して免役を持った人が増えることで、感染爆発は、抑えられる。
水面下の感染が起こっているだろうとは、専門家もおっしゃっているようだし。
絶対に罹ってはいけないのではなくて、緩やかに広がって、多くが免役を持てば、医療崩壊を防げるというのだし。
今、どの辺りにいるのか?
本当は、無作為抽出の疫学調査の結果がないと、自分の置かれている状況が見えないんですもん。
といったような、めんどくさいことを考えて、教室お休みです。
大した差はないでしょうって、言われそう。
そうでしょうとも。
痛いのは、私のフトコロですとも!
来月は、窓を全開にして、開催したい!
です。