Speculative Fiction

 今、「SF」って、スペキュレイテゥブ・フィクション(思弁小説)と言うんだそうだ。

 昔は、サイエンス・フィクション(空想科学小説)とか、スペキュレイテゥブ・ファンタジー(思索的幻想小説)とか、言うてましたが。

  この頃、自分でも、考えがコロコロ変わって、不安定だなあと、思うことがあって。昔の私なら、自覚ないまま、不安定な自分の感情に、振り回されっぱなしだっただろうと思いますが。

 今は、「ああ、ストレス」って、もう一人の私(変な意味でなくて、客観視っていう意味です)が、あっさり認めている。

 

 不謹慎なことも、考えます。

 自分自身が、SFの中にいるみたいだって。

 呑気で、エエなあと思われるかも知れませんが。

 フトコロは、呑気でもないんやけど。

 もともと、ガラス作家とトンボ玉教室の先生のお仕事が、低空飛行なことになっていて、どうするかなあと、思っていて。

 思い切って、リニューアルを図ろうとしていたところだったんですよ。

 「こんまり」さんがブームで。

 そうやんな、祖母の子供の頃、何でも手作りだったので、キモノひとつもすごく貴重で。その人たちが戦後のもののない時代を経験すると、引き出物の皿とか、有り難がって、「孫の嫁入り道具に」とかってとっておく。結局、使われず仕舞いだし、そもそもデザインが古くさくなっていて、だったら、貰って有り難かったうちに使っておくべきだったのでは?って思う。

 その後、大量生産の時代になって、昔では考えられなかったくらい、物が溜まる。

 400円の弁当の領収書、15枚くらい貰って、5ミリ以上の束。昔の手書きの時代には、考えられなかった事態ですよ。

 それに、ペーパーレスの時代が、あっという間にやって来て。

 で、「こんまり」さんブーム。

 ま、誰しもでしょうが。

 私も、色々溜め込んできた。

 お仕事や、趣味関係も。

 そんなことを考えながらの、「人生、思いきったリニューアルをしたい!」願望だったわけです。

 そこへ持ってきて、コロナショック。

 泣きっ面に蜂なのか?誤差の範囲なのか?

 誤差の範囲さ!

 と、言ってしまう、自分の危機感の薄さに、危機感感じるわ。と、また、入れ子的でねじれた思考をする。

 

 でも、いろいろ、考えちゃうんですよ。性分なんで。

 「今」という時代を、考え直してしまう。

 私たちは、何処にいるんだろう?

 

 介護施設が、クラスターになっています。

 ぼんやりニュースを聞いていて、ふと気付く。

 大きい施設やな。

 いや、こっちが普通か。

 母が利用している施設は、小規模多機能なので、登録できる利用者の定員29名で、「通い」は同時には15名まで、「泊まり」は一晩で9名まで。

 通いでは、午前中で一人帰ったら、それ以降はその分一人が利用できるし、夕方のみの利用とか、フレキシブルに使えるため、この頃、人気で登録の定員は、一杯です。

 しかも、他の施設とは、併用はできないんです。

 けっこう、独立してて、感染リスクは大きいところよりは低そうに見えるけど。

 高齢者なので、定期的に病院の利用のある人、急性期の病院から退院して、連続で泊まっている人等もいて。

 とまあ、そんな事情も見えてきて。

 思い返せば、10年近く前に、祖母が初めて介護施設を使ったときは、まだ制度ができて、そんなに経っておらず。 

 それまでなら、介護施設に大勢の高齢者が集まってなかった。

 病院に長期で入院とかだったかな。

 で、介護保険制度ができて、地域医療連携の制度ができて。

 定員が多いというのは、効率が良い反面、感染リスクを考えると、クラスターが大きくなりやすい。

 そういうのも、最近のことだなあって思う。

 

 核家族化が進んで、身近に高齢者が少なくて。

 そこへ、感染者のうち死者は、96パーセントが、60才以上という感染症が流行る。

 この時代に。

 

 もうひとつ書いておくと、聞いた話では、地域医療連携のシステムで、かかりつけ医という、入り口を担う町の先生は、高齢化が進んでいるそうで。

 先生自身が、ハイリスク者だったりする。

 

 その上、潜伏期間が長くて、無症状の人がいて。

 しかも、流行が始まると、1ヶ所では止められないほどの人の行き来が多く。

 対岸の火事だと思っていたら、水面下で感染が起こっていた可能性がある。

 

 ただ、田んぼ道でいぬの散歩なんかをしていると、本当に穏やかなのんびりした空気に包まれていて。

 とても、非現実的だと思う。

 どっちが?

 

 私が、「人生リニューアルだ!」ってモードだったから余計かもしれないけど。

 これから、世の中は、どう変わるんだろうなあって、漠然と思います。

 心許なさがないことはない。

 でも、いろんな環境が、どんどん変わっていって、今までのやり方が、もう限界に来たとき、そこに執着してしがみついても、未来はないわけで。

 何かを気付かされた時が、もしかしたら、ひとつのチャンスなのかも、そんな風に、考えます。

 

 でもな。

 東日本大震災で、原発への依存度が思った以上に高くて、これをきっかけに、変われば良いのにと思ったけど。

 思いの外、期待したほど、スムーズには変わらなかった。

 

 それでも、期待してしまう。

 気付かされたのをきっかけに、未来を考えることができたらなあって。

 新しい何かが、始まれば良いのに。

 それは、なんだ?

 どんな未来か欲しい?

 お子ちゃまの頃、SF作家になりたかった。

 未来を考える。

 そういうところは、夢想家です。

 が、如何せん、人間模様を考える才能がなかった。

 でも、こんな未来になれば良いって、また考えている自分がいる。

 

 その前に、今日のメシ?

 作ります。

 てきれば、ネット通販にあげたい。

 できれば、ですが・・・

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