PCR検査の、疑陽性、偽陰性と、検査の意味を考えてみた

 二流半大学と呼ばれている私学の、理学部物理学科卒業なんですけど。

 しかも、物理、どのくらい分かっていると聞かれると、答えに窮するのですが。

 一応、実験の際に、測定のための機器の性能の評価や、誤差の評価をして、そのうえで出たデータの値を、標準偏差から、誤差の範囲を割り出して、どのくらいの振り幅で、数値が正しいかなんて、実験のレポートを授業で書いていまして。

 それと、物事は、聞いた範囲をオウム返しに言うのが嫌で、必ず、その根源的な意味を調べて、用いたいと思っている人で。

 その上で、検査について考えてみました。

 

 固有名詞を出すと、モーニングショーの玉川さんは、世間でいう「検査しろ男」ということで、検査推進派、検査すべきという考えに凝り固まった、「確証バイアスに溢れかえったエコーチェンバー状態」と、評されている人がいらっしゃいました。

 が、私思うんです。

 検査をしてはいけない理論もまた、検査をしてはいけないという考えに凝り固まった、「確証バイアスに溢れかえったエコーチェンバー状態」で、論じられている方がいると思いました。

 その一人が、昨日読んだ記事なぜワイドショーは解説しないのか? 「PCR検査をどんどん増やせ」という主張が軽率すぎる理由を書いた鳥集さんという人です。文春って書いてあるから、記者さんですかね。明らかに、論法が変です。クリックして、読んでみてください。

 検査をするのは悪!みたいな考えを植え付けようとしか思えないです。

 

 一つ確認しておきたいんですけど。

 検査をするなという人も、検査をしろという人も、一つ同じことをおっしゃってます。

 医師が症状から見て検査が必要であると判断したケースでは、PCR検査をすべきということは、どちらも否定されていません。

 主張が違うところは、症状のない人を検査することに、意味があるのかないのか?ということでしょう。

 私も、分かる範囲でしか考えられないので、あらためて、偽陰性、偽陽性という考え方をもうちょっと分かってないと、何が正しいか分からないので、ちょっと調べてみました。

 これは、SARSに関するPCR検査について書かれている内容の抜粋です。

 現在公開されているPCR法は、特異性は非常に高いが、感度が低い。つまり、陰性の検査結果でも患者がSARSウイルスに感染していることを否定できない。さらに研究施設において精度管理が不十分なために検体汚染が生じても、偽陰性の検査結果に繋がる。

PCRの陽性結果:以下は、必要な検査精度管理が取られている場合について述べる。
SARSコロナウイルスの診断検査に関する提言は、非常に特異的で、陽性結果の意味するところは、SARS-CoVの遺伝子断片(RNA)が検体中に存在するということである。この結果は、生きたウイルスがいるということではないし、他の人に感染を生じるのに十分な量いるというわけでもない。

PCRの陰性結果:これは、患者が「SARSに感染していない」という意味ではない。SARS-CoV PCRが陰性となる理由としては以下が考えられる:

 偽陰性というのは、感染しているけれど、検査では陰性と出てしまうケースのこと。

 これは、分かりやすいです。まだ、ウィルスが増えてなかったから、出なかったとか取り方が悪くて持っているのにうまく取れてなかったっていうやつですね。

 偽陽性って何なん?って、思ったんです。クロはクロなんちゃうん?って。

 偽陽性ってあるんですね。ウィルスが持っているとされるRNAの断片が、検体の中に含まれていたと出ているけど、実際に感染している状態でない事。例えば、検体が汚染されていて、他のところからうっかり入り込んでしまった場合とか。やっつけて、感染後治っている人が、死んじゃったウィルスの断片が体に残っていて、それが引っかかってしまった場合。とかだと解釈しました。間違ってたらすみません。

 

 ガチで、モーニングショーに食いついてみている人なので、「確証バイアスに溢れかえったエコーチェンバー状態」である可能性もあると思って書いています。玉川さん大好き!鼻くそほじくる癖が発覚した以外は!っていう人なので。

 自分が信じていたものが違うっていうのを、人はなかなか受け入れないものらしいってことで。

 そのうえで、自分の凝り固まっているところもよく自分なりに見つめて書いていこうと思っています。

 

 症状のない人に検査をすることの意味

 これまたすっかりおなじみになって、なんだか親近感湧きまくりで、大好きな岡田晴恵先生と、玉川さんのやり取りですが。

 「治療のための検査とは別に、疫学調査として、陽性の人が出ている地域と、出ていない田舎の地域など、何カ所かで、1000人なら1000人、無作為抽出して検査を実施し、市中感染がどのくらい広がっているのか、確認すべきだ」というような趣旨のことを、岡田晴恵先生が、玉川さんの言葉を受けて仰っていた。

 「たとえ検査が100%でなかったとしても、やらないよりは良い。やらなければ、何も全く分からない」とも。

 なので、検査の精度が100%だと主張されている訳ではないんですよ。

 偽陰性、偽陽性のことを考慮した場合、疫学調査で知りたいのは、おおざっぱな、感染率の傾向です。

 1000人調べて、0人?1~10人?11~99人?111人~1000人?

 ま、1000人調べて、1000人ってことはないですが。

 それによって、流行がどの程度であるかという傾向は、「誤差の範囲」は、あるでしょうが、おおよそのオーダー(桁)は、分かるはずなんです。(実際には、ほんまに「桁」の数値を扱う天文学とは違うので、10人?50人?100人?150人?200人?250人?300人?とか、もうちょっと細かく予想がつきそうなので、オーダーというのは極端ですが。)

 それを、治療に役立てるための検査のシロクロの的中率と、ごっちゃにした論法なんです。

 疫学調査は、学校をいつまで休校にするのか?いつ再開して良いのか?そういうことを判断するために、調べる物なので、真の陽性の人よりも、疑陽性の人の頭数が多くなるという理論が正しいのなら、個人に結果を伝えない方が良いのかもしれませんが。

 市中感染の傾向を掴むための、誤差含みなりの概数を求めないでも良いという話では一切ないと思いますよ。

 それを調べたら、今が、感染の初期か、ピークの手前か、ピークか、ピーク越えたのか、という判断の材料にできる。

 

 もう一つ、鳥集さんの記事にあった例ですね、医師の方が書かれたものを元になさっているんでしょうけど。

 仮定がおかしいんじゃないか?と思います。

 「偽陰性」と出る確率を70%と仮定するのは、まあ、ありそうな数値かなあと思いますが。

実際の感染率を、0.1%、「偽陽性」と出る率を、1%と仮定するとというくだりに、意味があるんでしょうか?

 偽陽性はなぜ起こるのか?検体が汚染されていたら、検査そのものが失敗ですが、必ず失敗することを前提に検査は行いません。それじゃ、やる意味ないし。

 だとしたら、感染率が0.1%しかない状況で、実際に感染していない99.9%もの人から採った検体に、何かの理由でウィルスのRNAが入り込んでいる確率が、1%もあるでしょうか?

 そこを、誰かに聞きたい。ものすごく、この部分が疑わしい。

 詳しく研究がなされた訳ではないでしょうから、感染した状態ではない人で検体にRNAがついていた人(考えられるのが、感染したけど、治った直後の人とか、たまたま検体を取る喉のあたりに外からウィルスの死骸が入り込んだ人とか、検体を取る喉のあたりに生きたウィルスが入り込んでいたけど既に免疫を持っていて増殖させずに済んだ人とか?)が、どのくらいいるのかは分からないんですよね。

 でも、あの書き方では、市中感染がどのくらい進んでいても、大体いつも同じくらいの確率で偽陽性が出てしまいますよって、読む人が受け取ってしまいます。

 そこを、もうちょと、注意深い表現になさらないとまずいと思います。プロの記者さんでしょうから。

 

 確かに、モーニングショーでは、ヒートアップして、どこからかの時点で、「確証バイアスに溢れかえったエコーチェンバー状態」になっていたかも知れません。

 どこまでが言い過ぎだったかも、検証すべきかもしれません。

 それをやることで、ちゃんとしたことも言っていたのはどの部分か?ということも分かって来ます。

 ちゃんとしたことを言っていたものまで、丸ごと否定するというのもおかしいんです。

 

 

 もう一つ、検査すべきでない論法の「確証バイアスに溢れかえったエコーチェンバー状態」もまた起こっていて。

 そのきっかけが何だったのか、思い当たる節があります。

 それは、「ダイヤモンド・プリンセス号」の一件です。

 ダイヤモンドプリンセスの一件も、感染拡大が落ち着いたら、ちゃんと検証されるべきです。

 なぜなら、高齢者は、他の持病を持っていたり、クルーズの長旅の疲れがたまっていて普通のありふれた風邪がきっかけでも、ケアを怠れば命に関わるかも知れないということが、おざなりにされていたと、感じるからなんです。

 その高齢者の多い乗客に、環境の悪い場所に留まらせるというリスクを取るには、ちゃんとした理由が必要です。

 それは、「新型コロナが相当危険かもしれないから」という大きなリスクがあるからだと思います。

 「新型コロナが相当危険かもしれないから」というのが理由なら、もっと、ちゃんとした隔離をやらないといけないのに、素人が見ても、そんな場所で良いの?っていう、管理の甘さがあったし、防護服つけなかったとか、どこか緩さが付きまとう。

 「高齢者をリスクの高い状況に置いた」ことと、「徹底した管理までは行ってなかった」ということが、始めから整合性というかバランスというかが、取れてなかったと、見ていてずっと思っていました。

 結果的に、次々に感染者が出てしまったので。

 高齢者が多い方々にリスクを負わせるのも致し方なしだったっていうことで。そこは間違ってなかった。でも、もうちょっと、体調のケアが手厚くないと良くなかったことも、結果的に判明した。

 そして、ここ重要ですが、PCR検査は、感染の確率が一定以上高い可能背のある集団に対して行う場合は、陽性である正解率が上がることが、鳥集さんの記事に、実際に書かれていて。

 だとしたら、ある時から、リスクが高かろうと予測できるようになったダイヤモンドプリンセス号の乗客乗員全員に、検査をしないといけなかったことになります。が、実際には、下船時にすら、やってなかった。

 ただ、最初は、「念のためだし、そんなに感染してないだろう」くらいに、誰もが楽観視していました。

 その予測が当たっているのなら、感染の確率の低い人に検査をしても、疑陽性の人が多くなるばかりの可能性も、あったかも知れません。(でも、ウィルスがそれほど「レア」な状態なら、疑陽性も少ないと思うけどな)

 でも、途中から、これではいけないって、方向転換するチャンスが何度かあったのを、ことごとく、逃してしまった。

 検査をしてはいけない理論が横行し出したのは。

 「ダイヤモンドプリンセスの厳しい環境に弱い高齢者をとどめ置いたこと」と「管理が、まあ大丈夫なんちゃうん?くらいの割と緩めの管理に終始してしまったこと」の、整合性が取れない、そのことへの無理くりの正当化から始まっていると思うんです。

 その間違いを認めたくないがために、検査すべきでない「確証バイアスに溢れかえったエコーチェンバー状態」が作られてしまっていたのではないのかなあと、素人の目線で、感じるんです。

 

 モーニングショーのガチ視聴者として、記憶していることがあります。

 岡田晴恵先生がおっしゃった言葉です。

 一語一句までは覚えてないですが。

 ダイヤモンドプリンセス号での感染は、最初は誰もが、そこまで深刻さはないだろうという楽観的な見方をしていて、それを前提とした対策が取られたけれど、ここへきて、深刻な状況が分かった以上は、やり方を変えて行かないといけないと思います。

 というような趣旨だった。

 私の記憶では、元感染研で、今は大学の先生である岡田晴恵先生は、最初は、カシコな人の抑えの効いたコメントでした。官僚的っていうか。

 でも、あの発言以降、はっきり考えをおっしゃるようになった。

 思うに。

 彼女は、最初私も考えが甘かったけど、それは間違っていたと、そこを認めたんです。

 それを感じた瞬間に、私は、彼女が好きになった。

 検査をすべきでないと、変な論法の方々。

 医者が症状から見て、検査をすべきと認めた人の検査をすべき。

 っていう考え方は一緒なんですよ。

 まるで、疫学調査を含む検査が全く無意味で悪かのようにミスリードするような論法は、もうやめて欲しいです。

 私なんて、素人だから、私も楽観視しとったけどなって、認めるの、割と簡単です。

 そこへ行くと、岡田晴恵先生の方が、私も楽観視していたけど、実際は違ったって答えるの、場合によっては抵抗あると思います。

 さらに、「専門家」なるおじ様方になると、もっとプライドが許さへんノンやなあと、痛さとともに思います。

 認めないまま行くと、傷口が広がる。子供の頃、意固地でいたら、ロクなことがなかった。

 ついでに、大好きな玉川さんも、私もヒートアップしすぎて、この部分に配慮が欠けていましたって、自分の正しかったところ、やり過ぎたところ、ちゃんと詳細に検証して認めて欲しい。そうしたら、もっとカッコエエと思います。

 

 キッツイおばちゃんとして、言い過ぎとは思うんですけど。

 だから、オッサンのプライドは嫌や。

 ちゃんと、偽陽性、偽陰性の部分も考慮したうえで、有効なデータが取れるように、英知を結集して、「少しでも見えていないところが見える」ように努力してもらえないもんでしょうか?

 岡田先生がおっしゃっている、疫学調査の話は、正しいと思いますよ。

 それをやって、初めて、イベントや外出を、どうするのかの判断基準が少しできる。

 それをやらないから、見えないものが見えないままで、何も決められないんだと思う。

 

 PCR検査の費用のことも考えろと仰る人もいらっしゃいますが。

 そこで、どんどん出費が嵩んでも、ちゃんとした判断ができて経済活動とどう折り合うのかの判断が、少しでも正確にできる方が、結果的には、損失は少なくて済むはずです。

 外出の自粛も。

 いつまでもやっていたら、経済への打撃が大きいって仰いますが、自粛を止めて感染が拡大するようでは、そのあともっと大きい打撃がやって来ると、私は思うんです。

 

 神様に試されている。

 もちろん、若い人には軽症の傾向があるという今回のコロナでも、既に命の危険を感じていらっしゃる方が一定数いる中で(うちの母もそうです)、少し不謹慎化と思うのですが。

 でも、致死率のもっと高い、もっと怖い感染症が、この後、流行するかも知れない。

 その時に、今回のコロナへの対応をどうできたかで、若い人を含めた人類の運命を左右しかねないんじゃないのかなあって、思います。

 

 みんな、何とかしたい気持ちは、一緒のはずです。

PAGE TOP