オリンピック、延期濃厚になってきました。
自分が、母と一緒にテレビで見たかったとか。
高齢者は、一年先なんて、分かんないしとかいう気持ちもあり。(過去の入院で、そのまま状態が悪化していた可能性もあったわけで)
東京都民とか、チケットを買っていた人の残念感には及ばないながら、やはり、残念です。
「何事もなく平穏に実施できていれば」と、「延期なのか」っていうのの、経済の落ち込みの予測を比較しても、痛いことこの上なし。
それでも、何事もなかった状態には、もはや、戻せない。いろんな意味で、辛いですが。
景気が落ち込んだら、趣味関係の仕事は、てきめんの痛手。これまでと違うことを考えていかないといけないかもなんて可能性もあろうかと。
知人の身内の方も、バレエの先生だそうで、知人は「いま、無職と一緒ですからね」なんて、笑ってはった。男らしい。(美しい女子です)
そんな、足下を省みると痛すぎるこの頃。
一方で、オリンピックをどう考えるかって、思うんです。
日本国内の感染のことだけでなくて。
世界から集まり、終わったら世界に散る。
どこからか持ち込まれ、世界中にウィルスをばら蒔くことになる。
どうせ、年寄りしか死なんやろって考えがちですが、それは医療が行き渡っているところでの話。
医療資源の乏しい国や、栄養状態が良くない人が多い国では、多分高齢者以外にも、被害が及びかねないんじゃないでしょうか?
そういう怖さって、考えないといけない。
どうしてもやるんだ!経済的損失考えてみろ!って、かんがえがあったとしても。
メルケルさんが、第二次大戦以来の試練と言った、そういう事態の対応で、「目先の経済的損失を惜しんで、エゴで、世界に厄災を広げるという大罪を犯した国って、歴史に残るかもしれない」、その大きな損失を、直視して、それは選んではいけないって、考えるのが、真の損得勘定だと思うんです。
そんな国としての信用を失くして、その時の経済的損失の方が、よっぽど怖い。
今日、明日の損失も、何とかしないと、追い詰められて命に関わりかねない人は、他の方法で救済するしかない。
とまあ。
優先順位を考える訳で。
一回やると決めたものはやる!って、TPO(って、矮小化して言い過ぎでしょうか?)、考えねば。
今は、そうじゃないもんね。
って、一般論を考えると思う。
各論言うと。
教室お休みとか、作品展延期とか、行くはずだったいろんなイベントとか、身近なことで、心乱れる今日この頃なので。
大きな決断をしないといけない立場って、エイ!って、決められへんのやろうか?大変やな。
って思う。
若い人たちの危機感がない。
やろうな。
重症化しにくいし、身内の高齢者は、離れて暮らしてるしやと、まあ、エエやんなって、思うやろうね。
何とか、危機感を感じてもらう方法はないか?どう伝えたら良い?
って、話ですが。
いずれは、何らかでなくなる高齢者。私も、二回くらい、母危ないかもと思ったし、でも今なら、まだ当分機嫌良く行けるかもと思う、その事は幸運だなと思うけど。
ものすごい流行になって、それに巻き込まれたら。
もしかして、誰というんじゃないけど、お気楽だった空気感を残念と思うだろう。
日本人だけならね。
お気楽さで流行広げた、危機管理能力の低い国って、他国の人に思われて、そんなんで、未来は大丈夫なのか?
くらいかな。
それでも、説得力は、薄そう。
検査増やして、もうちょっと全体像を、数値で示さないと、実感も、危機感も、感じにくいよね。
教室休みにして、もう一人の私は、これでほんまに良かったん?って!最初は、思ったもんな。今は、もう決めたこと、過ぎたことなので。そこは、考えないです。
昨日の試作(環状銀河=リングギャラクシーかも・・・ってやつです)、ちょっとエエ感じでした。色がもうちょっと。
今日は、そこら辺、がんばろう。