「考える時間」は、無駄か?

 この頃、コロナ問題に、まさに脳ミソの照準をロックオン中。(注:ロックダウンじゃないです)

 その脳ミソを、作品作りにもっと回すと、もっとできるんじゃないか?

 そう思った日もあったけど。

 毎日、情報を得る、しかもSNSなんていうのからも、いろんな考え方が入って来る。もちろんテレビからも。それを、きっかけに、自然と頭が回り始める。これは、本能だ。しょうがない。

 思えば、いつもそうで。

 介護の変化が大きかった時も、介護にロックオンされて、お仕事のパフォーマンスは低下した。

 それでどうだった?って思い返すと、何かロックオンされるような問題に当たって、そこで考え続けることを刺激として、自分の中で、変化が起こる

 その変化が、良い変化なのか、良くない変化なのかは、まさに自分次第なんですよね。

 自分の評価はどうかと言われると。介護に関しては、自分や家族を見つめなおして、とらわれていた固定観念から、少しだけ自由になれた。そのことを、幸せと思う瞬間が多い。

 お仕事に関しては、手薄になった分、失ったものもあったと思う。

 失っている最中は、焦りもあるし、苦しくもある。でも、その失う体験からですら、見えてきたものもあった。

 個人的には、「変化」は、ストレスでもある一方で、向こうから変化が来なければ、結局自分で変化を拾いに行く質なんじゃないかと、最近気づき始めた。

 そうそう。

 考え事は、自分がどうやって生きて行くのか?どの場面で、どんな風に考えるのか?そのための自分を作り上げるための必要な工程なんだという気がするんです。

 

 というわけで、浮世離れした考え事のせいで足元がおろそかになりがちなところも、ちょっと頭に留めて。

 ロックオンされることにしました。

 まあ、祖母が生きてたら言うでしょうね。「そんなだっちもない事、考えるだけ無駄やわ」って。(だっちもない≃埒もない、だと思う)

 そう、彼女は、目の前の現実的な手に取れる価値を作り出すことに重きを置いていた。そういう人がいても良い。

 

 で、思うんです。

 このコロナで、命の危機がある方、実際に命を落とされた方がいらっしゃるので、不謹慎ではあるのですが。

 本当に、「神に試されている」「執行猶予である」「予行演習の機会を与えられている」そういう側面もあると思うのです。

 というのは、ずっと平和で、この年まで生きてきて、戦争や疫病で、ものすごい数の方がなくなるという危機を知りません。

 なので、いきなりやって来て蔓延する疫病が、エボラ出血熱のような(感染力がとても強いって程ではないので、世界への蔓延を何とか抑えているんでしたっけ)、怖い物であったら、それに出会ったときが、気付きの時になってしまうという可能性だってあったんです。

 新型コロナは、大丈夫と言ってしまうには、どこか怖さがある。

 さりとて、恐ろしくて家の中でぶるぶる震え、周りで人がどんどん亡くなっていくほどの怖さはない。

 まさに、蛇の生殺しみたいな疫病です。

 その時、人はこういう風に考えるのだなあと、見えてくるものがある。

 

 個人的には、「批判的精神」を持っておこうという、極めてかわいげのない女なので(父もそういう娘に、論破されて、面白くなかったに違いない)今回、やけに食い下がる、橋下徹さんが支持する、「検査を抑えていく方が良い」という考え方です。

 考えても、考えても、これは、医者が医療という側面からだけ見た、しかも限定された症状の病気やけがなどで有効な考え方で、それを適用すると、メリットとデメリットが、絶対にある。

 そうとしか思えません。

 自分が玉川さんに毒されて、検査しろ女だったから、その意見を取り下げられないと、見ることもできるんですけど。(玉川さん、早く冬休みから帰って来て~!)

 例えば、検査を抑えると、医療崩壊を起こさずに持つ瞬間はある。

 その後、水面下で広がっていたら、どのみち、検査を抑えようと押さえまいと、医療崩壊は起こる。

 その時、検査を抑えたことで、必要な情報を得られていた場合と、得られなかった場合では、個人で打てる対策が、違ってくるのは、間違いない。可能性があるではなく。

 橋下さんの意固地な考えでは、その部分に考えが回っていない。

 

 で、思うんです。

 医者は優秀です。弁護士もです。

 でも、それでも人間だから、「固定観念」はあるんだなあって、思ってしまった。

 

 お医者様には、本当にお世話になりました。

 両親が、二人して、状況がどんどん変わっていたあの頃。

 処置の説明のための予約を過ぎて、2時間以上待たされたことがあり。それが、それだけ働いておられるということだとも分かっていたし。

 遅い時間にお約束するということ自体が、それだけ長時間働いておられるということだとも、思っていた。

 でも、思ったんです。

 システムで、患者家族の負担を減らすように、工夫する余地ってあるよな。簡単じゃないんだろうけど。

 こっちだって、「待つ自分」に酔っていても、良いことないし。

 うわ、かわいくね~。

 話を元に戻します。

 そう、素人に、いちいちいちいち、説明しないといけないんです。インフォームドコンセント。

 そんな負担、どうにかならんのか?予備的に、コミュニケーション能力が高くて、愛想がよくて、調整力の高いコーディネーターみたいな人が挟まって、基本的な説明を行い、先生が話すべき大事なところだけを先生が話すとか。

 第一、先生は、本来は見立てが確かで腕がいいっていうのが、とても大事で、(患者のQOLにマッチしたプランを提案できる調整力も本当は大事だけど)、良い人でも、愛想が良かったりコミュニケーション能力が高いとは限らんのやで。

 全部、先生の負担なんかなあって。

 そうすると、医者が本音では考えても仕方ないと思うんです。

 「余計な手間を増やすな」って。

 検査をして、悪いところが分かっても、安静にして自然治癒力で治す状態はある。確かに、何でも薬までは必要ないし薬もないってものも多い。

 ただ、検査をして、悪いところが分かったら、必ず何かをしてもらいたいと、人は考える物だということを、医者は経験的に知っているっていうことなんですけど。

 そこの教育など、システムで解決すれば、解決策はきっとない事はないと思う。諦め悪いのでそう考える。

 ただ、それでなくても激務の医師が、そのシステム作りをできるかというと、物理的に難しいでしょう。

 でも、誰か、やる人がいれば、そこを変えて行ける余地ってあると思う。あきらめが悪いので、そう思う。

 でね。

 そういうところに、「イノベーションの芽」って、あるんじゃないのかなあと、思うんです。

 そう、医師にも、固定観念がある。

 忙しすぎて、どうせ無理だと思ってしまう。

 自分たちのように優秀な人が解決できないのだから、仕方ないと考える。

 でも、できる人はおるんちゃうんか?

 「検査は医療行為が必要なレベルの人を見つけるためにするのが一番効率的」この考え方には、そういう背景が透けて見えてくるのです。

 

 一方で、医学も科学ですが、医学を離れた「科学」として捉えた時。

 疫病のふるまいがどうなのかは、とても興味があります。

 実際に、知りたいと思う。

 市中感染率も、すでに治って、抗体を持っている人がどのくらいいるのかも。

 いや、もっと早く始めていれば、いつ時点から、このウィルスに人類が出会ったのかも、もっとだどりやすかったはずだ。

 前にも書いたかもしれないですが、見知った、「旧型」のコロナも、発症せずに感染して人に移している人が、そもそもいるのかどうかも、実は、よく分かってないと思うんです。

 そんなもの、調べても、医療行為に役立つかどうかっていう意味では、直接役には立つことはあまりないかも知れない。

 そんな、役に立ちそうもないところを調べたら、もしかしたら、疫病への考え方を変えていく何かの始まりになるかもしれない。

 科学って、そういう物だと思います。

 天文学もね。

 そんな遠い星で、荒唐無稽なことが起こっていることなんて、調べても「おなかは満たせない」んです。

 でも、この頃、身近にある物質や私たちが生きていることの見方がちょっと変わった。もしかしたら、本当に役立つものに、化けていく部分もあるんだろうなあって、思います。

 

 だから。

 たった一つの答えに、そこまで執着したら、損なんちゃうんか?って、思うんですよ。

 

 そして、「医療行為が必要になった人を検査する方が、医療行為の面からは効率が良い」っていう固定観念の危険性を、いろいろ考えてみる必要がある。

 なぜなら、この固定観念にとらわれたせいで、将来の他のウィルスに当たったときに、痛い目に遭う可能性がありそうな気がしてならないから。

 このことだけではなくて、人は、こんな風に行動するのだなあとか、そういう切り口からも、「ニューノーマル」を考えていく、大事なデータとなっていくと思います。

 だから、今、目の前のことに集中するのは一番。

 それが落ち着いた時、ちゃんと、そこで突き当たった問題点に、向き合うのは、その次にすべきことだと思います。

 今、何で書いているかというと。

 今、熱いうちに書かないと、忘れちゃうこともあるからです。

 

 そしてまた考える。

 東国原さん、お気の毒です。

 「陽性と聞いて無駄にうろたえる奴が、じたばたしたら厄介だから、ヘタに知らせるなよ」って、お医者様がおっしゃってますよ。

 いやいや、だったら、「俺陽性だったかもしれない、ってやつのそばにいたんだぜって、じたばたされたら厄介だから、いちいち陽性だったかも知れないなんて、教えてやるなよ!」って、仰るかもしれないですよ。

 ねえ、橋下さん。

 でも、陽性って聞いても、じたばたせずに、聞かないよりより良い行動がとれる人もいると思うけど、それをいちいち選別するのもめんどくさいからか、丸ごと括って、(あくまで一部の)医者って、医者以外みんなアホやと思ってはるんやわ。

 いやいや。

 自分も、自分の信念と、ホントの意味できっちり一貫性の取れた行動なんて無理ですから。っていうか、日ごろから破綻しまくってますから。

 でも、つい、追及したくなる。

 なぜだ?

 すみません。

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