「危機管理」を義務教育に入れて!

 今朝、「4月の教室の開催日を、暫定で第3第4週にします、中止の可能性もあります」というご連絡を生徒様達にしました。

 あ、加古川教室のお2人にも、連絡せねば、この後しようっと。

 

 正直、どう考えたら良いのか分かりません。

 多分、国民一人一人が、現状に合わせた正しい危機感を共有できてないと思う。

 私は、危機感が強い方だと自覚がある。それでも緩みそうになる。

 今朝、介護施設のお迎えのスタッフの方とお話をして、ああ、そうなんやなって思った。

 

 そうなんやなって思うのは。

 本当にどのくらいの危機か、実は調査などによっては分かっていないため、どのくらいの感じで接するのが適当なのかってところが、このくらいのラインになるんやなって思う。

 介護のお迎えの方が、お迎えに行った場合、うちの母はまだ若い方で、平均的な利用者さんはもっと高齢で、介護されている家族の方も私より年上。

 そういうところに対してということもあるし、日本人全体の国民性として、事実であっても嫌なことを伝える立場は、印象が悪くなるという思いから、どちらかというと何事もソフト目な伝え方をしようと考えてしまう。

 で、「この辺はだいぶ落ち着きましたね」なんですよね。

 北播磨総合医療センターも、稼働始めましたしね。

 

 でも、危機感消えないですよ私。

 ただ、一方で、ホンマに危機か?って、疑問を持つ私もいる。ほら、「批判的精神」なんで。

 どうも東京は、感染爆発前夜みたいなところにあるようで。

 東京は危ないから、こっちへ帰っておいでなんですよね。

 地方の実家へ帰省して感染確認って例も1件ありました。もっとかな、大学生もだったから。

 イタリアは、感染地域が封鎖される直前で、あわててその地域から多くの人が脱出したことで、一気に広範囲に感染が広がったって、イタリア人がインスタで上げていた文章を和訳して、ツイッターで流していた人がいた。

 分かんないんですよね。

 対岸の火事は、日本国内なら、対岸が近いですから、「気づくと隣が燃えてる」ってなると思う。

 って、比喩で言うてる場合やないな。行き来がすぐできるから、1人の感染者が無自覚に、数時間の移動でどんな片田舎にでも着けてしまいます。

 

 日本人は、嫌な話をしたがりません。

 私も、終活とか、あんまり考えない。物をやたらと増やす癖はまずいなあと思うくらい。

 「敵が来たぞ!」って言うた人は、本当なら、「よくぞ教えてくれた」ってなるはずなのに、「嫌なことを(事実ごと)アンタが運んできたんや」くらいの、非合理的な考え方を、無意識下でしていると感じる。日々。

 そうですよ。空気読めてないんやない。痛いほど、読めてるわ。でも、ものの考え方が違うねん。この頃、確信持って思う。

 でもな。

 もうちょっと、みんなに知っておいて欲しい「危機管理」あるで。

 私も学びたい。

 私が知っている範囲で言っても、いくつかある。

 一つ、正常性バイアス。人は、危険を低く見積もる生き物です。いろんな理由あって、そういう本能です。

 ここは、私の個人的な考えなので、エビデンスないですけど。

 低く見積もっていて、滅びないの?って話ですが。「人類」レベルでは、正常性バイアスでは滅びないと思う。ただ、生き残れる個体の数が減る。そう、危機感が低い人は、死んじゃう前提で、でも、慎重だった人は生き残れるだろうなあっていう、自然界の仕組みなんだと思う。

 だから、危機感低い人、人類は大丈夫でも、あなたが死ぬんです。そう思います。

 ただ、感染症で厄介なのは、危機感の低い奴に、その他の人も巻き込まれちゃうってことです。

 今回に関しては、危機感の低い奴でも、若けりゃ死なないだろうし、危機感高くても、うっかり巻き込まれたら高齢者は死ぬかも知れない。

 昔と違って、まだ豊かな現代だから、そういうのを丸ごとひっくるめて助けたがっている、世界の動きはそうなっている。だったら、本当は、みんなで危機を乗り越える意識を共有しないといけないと思うのに。

 知らないから、共有できない。知らないから、知ろうとする必要性があることに気付けない。

 そんな気がします。

 

 もう一つは、感染を防ぐための、感覚のようなもの、教えておいて欲しい。

 めんどくせ~とか言われそうですが。

 マスクは、してません。本当は作ってすべきかも知れません。めんどくさがってるの、良くないかもですが。飛沫飛ばさないように、あまりしゃべりません。

 で、お店でも、必要なもの以外、できるだけ手に取らないようにしている。

 なぜなら、私が全然感染してなくても、感染者が飛沫を飛ばしたものを、私が手に触れている可能性があるなら、それをべたべた、買いもしない物にくっつけて行く行為って、どうなん?って思うから。飛沫の量は、薄まっていくでしょうけど。

 でも、これって、簡単なことですよね。

 買いもしないのに、友達同士で話をしながら、半分無意識に端からべたべた商品を触りまくっている中学生に、ぼそっと「べたべたさわるなよ」って、呟いた、意地悪ばあさんでした。もっと優しい表現にすべきだったかとちょっと反省。優しい表現でも、嫌な奴って、思われる可能性大。

 意地悪ばあさんに、嫌なことをつぶやかれる前に、誰か、教えてやってください。

 知らないんですよ。誰からも、基本的なことを聞くチャンスがなかった子供です、中学生。

 そういえば、バナナ手に取って大きなくしゃみして、飛沫ってレベルでなくて、ツバをぶちまけた70前後のおばちゃんってのもいたなあ。買ったんやろうか?あのバナナ。その隣にいた、通りすがりのおばさまが、びっくりしてはったけど。教えてもらう機会ないまま、お年を召されたんやろか。

 

 とまあ、私の中の緊張感がそうさせるのか、とても意地悪な人になっている気がします。

 

 そうそう、岩田先生の記事を見つけました。

 ダイヤモンドプリンセス号の感染予防に関して告発された、岩田先生です。

 まさに、聞きたくない事実を言葉にしたから、事実ごとその人が運んできたかのように嫌な奴呼ばわりをされてしまった、岩田先生です。

 この厳密な感じは、日常接していたら、めんどくさい奴の括りに入れられはるんかなあやっぱり、って思いながら。

 表現の選び方が、ちゃんと誠実に、本当のことを伝えようとされているのが伝わって来て、文章越しなら、結構ファン。

 表現難しいところも、めんどくさそうなところも、理系君全開で、結構ファンかも。

 そうか、フェイスブックに上げてはるんやなあ。フォローしようかな。

 記事はこちら 新型コロナ、日本は本当に感染がコントロールできているのか。今こそ検証せよ

 読んでみました。

 

 PCR検査に関しては、限られた資源を使うために、入院の必要な人を見つけるという今の考え方を支持されている。ただ、東京に関しては、検査件数に対する陽性の比率の高さを見ると、本当は、入院の必要な人を見つけるという考え方からももう少し検査件数が多い方が良いと考えられているよう。

 今の方針の元となっている西浦先生の「数理モデル」に関することの考え方が述べられている。この「数理モデル」から考えるのが、「演繹法」であって、演繹法は、「帰納法」で補完するのが常識となっているということが書かれている。

 つまり、頭の中で全体像がどうなっているのか考えた理論が「演繹法」で、実際の現実世界で数値を集めることが「帰納法」。理論の正しさは、実世界のデータで、必ず正しいかどうか確認されないといけないっていう話で。

 帰納法で補完するためのデータは、医療をするかどうか振り分けるためのPCR検査のことではなく、実際の感染率を掴むための抗体検査を指していて、このデータを取る時期ではないかって、書かれている。

 そして、重要なのは、絶対に正しいと妄信するのは科学的でないと。間違っていれば正す姿勢は大事と書かれている。

 最後のところ、引用します。

英国はさらにアグレッシブだ。家庭で抗体検査を行い、「感染者である」とわかればそれを自宅での自己隔離の根拠に使おうというのだ。ロックダウンが起きている中で、検査陰性は「自己隔離不要」を意味しないため、その戦略に穴はある。が、考え方としては「感染全体を抑え込みたい」というもので、検討の価値はあると思う。

東京でどのくらいの感染が起きているか、帰納法的確認は必要であり、有用だ。その結果がどうなるかは預言者ではないぼくには分からない。が、どんな結果が出てきても、それを受け入れ、場合によっては自説を曲げ、プランBに移行することにも躊躇しない態度が科学者には必要だ。科学者は、首尾一貫していないことにかけて、首尾一貫していなければならないのだ。形式においては朝令暮改であっても、プリンシプルやプロフェッショナリズムにおいて曲げてはならないのだ。事実に誠意を。

 

 場合によっては自説を曲げ、プランBに移行することにも躊躇しない態度が科学者には必要だ。科学者は、首尾一貫していないことにかけて、首尾一貫していなければならないのだ。

 って、言うところに、うんうんそれ、聞きたかった。

 そう思いました。

 玉川さんの、「感染予防が不十分だったために船内に感染を広げたと思うか?」という問いに、「そこは言っていない。感染予防が不十分なことで、スタッフに感染者が出ると言っています。」ということを仰っていた。

 本当に、正確であろうという姿勢が、その一言に表れていた。

 ちゃんと、こういう人の言葉が、自分の信じたいことを信じるっていう感情によって、つぶされてしまわない日本であって欲しいです。

 

 あ、そうです。

 帰納法による補完。

 本当にどのくらいの感染率か分からないので、可能性が広すぎる。

 結果が重大で取り返しがつかないことに関しては、最悪を考えないといけないと、思ってはいる。

 でも、データがないでしょ。

 だから、ホンマは、全然大したことがない可能性ってゼロじゃないやんか?って疑いを持ちながら、息をひそめてないといけないこの感じ。

 辛いです。

 はよ、調査してくれ!

 そんでもって、適切な表現で、事実教えて欲しい。

 受け止めるしかないから。

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