そこにある理由

 一つ前のブログ、あまりにも感情をぶつけすぎていて、不穏なので、非表示にしました。

 言葉を買えれば、私、めっちゃ嫌な奴やんって、感じだから。

 或いは、マイナス感情を不用意に、まき散らすのは迷惑と考えたから。

 

 焦りみたいなもの、全開だった感じですね。

 何がきっかけか?

 まあ、非常事態宣言出してくれな話とか、志村さんが亡くなった話とか、透析をしている病院の看護師が陽性だったとか、いろいろニュースをチェックしすぎて、自分の心を乱す材料を拾いに行っているようなものです。

 なんでやろ?

 こういう、一つを深く掘りすぎる行為は、世間で粘着気質なんて言われて嫌がられるのは重々承知しているんですけどね。

 ま、そういう傾向を、どうコントロールするかは自分次第、ただ、そういう傾向である事実は、変えられない。

 どうコントロールしているかまでを含めて、自分だもんなあ。

 場合によっては、いろんなラベル張ってくれる人いるんやろうななんて思うけど。

 とまあ、そこからまたまた、あらぬ方へ、考えが転んでいきました。

 

 以前、中野信子さんの「サイコパス」という本を読みました。

 平積みにされていたから。

 中野さんのは、3冊くらい読んだかな。

 「シャーデンフロイデ」とか、「あなたの脳のしつけ方」とか。他も、ちらっと目次や気になる項目だけ、立ち読みしたかも。

 個人的意見ですが、浅いな、考察。

 でもまあ、彼女は、他者の書いた文献の相当難しいところまで読み込んで、内容を理解する能力が高いということでしょうね。

 その多くの文献を読んだ、いわば浅い要約のようなものを読んでいる感じなのが私。そんなに読み込む知識(専門的な用語とか内容とか分からんし)がないなどの下地がないので、内容的にも時間的にも無理だから。

ただ、彼女、その先の独自の考察が弱いのが残念。

 脳科学者として、揺れ動く自身の心の中にあるものが、何物なのかの掘り下げが足らんのんかなあと思う。

 もしくは、彼女は、脳科学者という肩書と、若いころ結構見た目がこぎれいだったところから、「マス」が求めている情報を発信する役割を求められているから、その求められた情報を出しているのかってとこですが。

 端的に言えば、「困った人々」を、特殊なものとして分類し、それって「普通」の私とは違うっていう位置づけに置くことで、自身の安心を得るという切り口の書き方になっちゃっているところが、いかにも浅い。

 それでは、いつまでたっても分からないことは、分からないままやと思うなあ。

 人はすべてを知る必要はないけど、「脳科学者」というなら、もっと知ってみたいと思わないんだろうか?

 ただ、そういう所を掘り進める作業って、結構、自分との戦いだから、ストレスかかるししんどいもんね。

 確かに、誰にでもお勧めできることではないのかもですね。

 例えば、「困った人々」というか、究極に困った人=サイコパスと中野さんが呼ぶ人、もまた、人間らしい感情が見え隠れする部分がある。

 困った行動も、掘り下げて行けば、何等か、人が、動物が、「生きて行きたい」「より良く生きたい」という根源的な欲求のため始まった行為が、頃加減に現状とすり合わせるのに失敗してしまっていると見たら、何か見えてくる気がするんですよね。

 「私とは違うから」って、切り離すと、心は休まる。多くの人にとって、自分の心を壊すくらいなら、その選択肢は正しい。

 でも、脳科学者としてはどうよ?

 つまらんやん。

 とか、きっついツッコミを、虚空に向かって呟くわけですよ。

 

 って、話はどこへ行く?

 そうそう。

 検査がね。

 って、そこかい!

 検査をキャパが足りているのに絞っている。しかも、理由が、論理的に論破されたら、ホンマはヤバいんちゃうんみたいな理由付けになっている気がして。

 そこに合理性は見えてこない。

 とすると、なぜにそんな無理やりの理由付けまでして、検査を絞りたかったのか?

 そうそう。

 目の前の敵と戦うためには、そこを掘る必要性はありません。

 検査をどのように行っていくか、現在のキャパと、対象にしないといけない現状を考えて、この先どんな風に運用するのが一番効果的かを考えるべきなんです。

 なぜに、そんな無理やりの理由付けまでして、検査を絞りたかったのか?

 そこを追求するのは、後からですよね。そこ、気になるのは、それでも人間だから、気になります。まあ、趣味?

 

 中野さんの下りで書きましたが。 

 自分の心を掘り下げることで、見えてくるものがあります。

 人はいろんな経験を通じて、「ああ自分ってこんな風に感じる物なんだなあ」って、気づいたりします。

 そういう物が多い方が、他者の行動を知る時に役に立つと思います。

 人と自分は違います。それはもう、かなり違うと思います。

 それでも、人としての仕組みは同じものを持っているので、自分の心の内側を掘り下げることで、分かって来るところが多い。

 

 ちょっと話は逸れますが、人がAIに負けないところは、実はそこだと思うんです。

 科学的に理論としてきちっとした形になっていないような、多くのことを、それぞれの人が知っています。

 なぜなら、自分の内側の複雑な心の動きを観察することで知ることができます。

 一口に、AIと言っても、データから答えを導くやり方は、一つではないです。

 この場合こうなると、観測された数値なんかが入力として入ったら、欲しい答えはこれみたいな出力は、単に観測していればそうだからと、その内容を見ずにパターンだけで答えを探る方法もある。

 一方で、人間がいろいろ考えた結果作り上げたルールをたくさん持っていて、この場合はこれという結論を出すのに、パターンではなくて、ルールに照らし合わせて答えを見つける方法もある。

 だとしたら、AIの限界は、おのずと見えてきます。

 最初の、理由は分からんけどパターンがそうだからという場合、初めてのできごとでは、パターンをとる機会がないから、答えに行きつけない。

 後の、人間がルールを決めて置く場合、初めてのことに有効なルールはできていないから、答えに行きつけない。

 未来予測ができるというのも、人口がこのまま増えた場合、とか、海水温が上がって来るととか、未知の部分を人間の推測で補ったルールを入れてあるからシミュレーションができる。もちろん、何もないよりはいい。何パターンか作っておけばいい。でもまあその程度のことで、預言者とは違う。

 AIとは、そういう物なんです。

 人が物事を決めるとき、「好き嫌い」が、判断材料になったりします。

 その好き嫌いにも理由がある。単純に幼少期の偏った経験によるものなら、あまり一般化はできないけど、深く深く掘り下げた時に、もしかしたら、とても深い理由が潜んでいたりするんだろうと思うんです。

 そういう、まだ理論化されていない理由が人間の内側にたくさんあって、そういう物がルール化できない。ルール化できなければ、AIに搭載できない。

 でも、必要なときには、人間なら、その理由にアクセスできるんです。火事場の馬鹿力で、咄嗟に直感で下した決断の中に入っている可能性もある。ただのあてずっぽうの可能性もあるけど。

 一方で、人間にできないことを知ることもできます。こないだやっていたのは、人間の目では見落としてしまうような体のどこかの動きや、体温や発汗などで、怒っているとか、快適であるとかを、判定するのですが、結構当たっていたりします。

 でも完璧でないので、おそらく、人間の判断とAIの判断を、上手く一緒に使えば、今までできなかったことでできるようになることはきっと広がるんだろうなあと思って見ました。

 あ、話それましたね。戻します。

 

 何の話だったか、そう、「検査」です。

 なぜにそんな無理やりの理由付けまでして、検査を絞りたかったのか?

 無駄に、どうでも良い推測が、私の頭の中で回り始めます。

 それは、私がコロナにどう向き合ってどういう判断をしていくかっていうところとは、あんまり関係なく。

 最近、モーニングショーを見ていると、どうにも、物事がうまく動かない、目詰まりを起こしているところは、「厚労省」みたいです。

 軽症者が塞いでいるベッドを、重傷者に開けるために、他の施設を転用して軽症者を隔離する仕組み。

 3月の前半に、各自治体の判断でやってくださいとなった。

 3月28日だったかに、相談してくださいになったので、都から相談をした。

 許可が出るかと思ったら、許可できません。なぜなら、都に許可を出すということは、日本全国の自治体に許可を出すことになるので、大ごとになるので許可できません。

 だそうだ。

 「平時」の「ルール」を頑なにまで、守っている。

 陳腐なSFの中に出てきそうですね。こういうの。

 なんでや?

 まあ、公共の何かって、とにかく石橋をたたいて渡ろうとするし、前例のない事はできない。

 「ルール化」されていることを、決まり通りに遂行するパフォーマンスは、とにかく高い人たちなんだろうけど、ルール化されていなければ、一切何もできない。

 くっそ。

 AIに置き換えたる。

 自分の中の直感(深いところから出て来る何物か)に言わせると、絶対、「不測の事態」には、対処できヘンで。

 未知の危険で、こいつらについて行ったら、死ねるで。

 多分個人個人で、一人サバイバルする局面では、できる人も多いんだろうけど。

 目に見えない「出る杭は打たれる」的なルールの元、慣習という圧力で、自分の評価を下げることをしないんだろうし、「何でや?」ってヒートアップして感情をあらわにしないで、抑えて置く能力も高いんだろうなあ。

 多分、どの脳内物質が、どのくらいの量をどのくらいの時間に出して、それを、どのくらいの時間で消し去るとか、そういののバランスが私と違うんやな。

 みんなみんな、我慢して、最初に出た奴が負けやみたいに、「お先にどうぞ」って、する人ばっかりなんやろうな。

 知らんで。

 誰が、言うたりいや。

 「許可を出さなかったら、大ごとになりますよ。これ、記録しておきます。」

 って。

 ホンマに、自分の頭で判断する能力があるだろうに、今までの評価の方式が、無駄なことをしないことが安全とか、前例主義とかのせいで、これほど使えない奴らが出来上がるとは。

 って、思う。

 そう思っている人は、きっと一定数いるはずで。見えてるんやけどな。

 恥ずかしくないんやな、そこまで、ローカルでドメスティックな価値観の中で、勝ち残ることだけに己の人生使うとは。

 ワード間違った。

 空しくないんやな。ローカルでドメスティックな価値観の中で、もっと広い視点に立った時の真の価値のために、自分の人生を使えないことが。

 そう考えると、一つの大きなゆがみを抱えた人間のサンプルと言える。

 先に書いた、困った人たちの行動の下り。

 困った行動も、掘り下げて行けば、何等か、人が、動物が、「生きて行きたい」「より良く生きたい」という根源的な欲求のため始まった行為が、頃加減に現状とすり合わせるのに失敗してしまっていると見たら、何か見えてくる気がするんですよね。

 歪んでいるのは、同じだなあと思う。

 で、思う。

 滅びたくないし、死にたくない。

 そういう人たちがそういう人だということは、事実として、置いておいて。

 何とか、上手い持って行き方で、生き残る方法を見つけないといけないんやなあ。

 海外の例を出して、圧力にしたら動かんかなって、懸命にモーニングショーで攻めてはるけど。

 それでもだめなら、いかにも体裁が整って見えるような建前を用意できるような何か、上手い方法を探してでも、何とか生き残れる方法を考えたい。

 できることなら、そういう、官僚のルールを、平時に、合理的なものに改定しておいてほしいわ!

 冗談交じりに言うてますが、シビアにそう思います。

 なんで、ウィルスとの戦いで、硬直化して使えんシステムと闘わなアカンのや?

 ぜったい、グローバルな視点からしたら、日本がおかしいのは明白で、こんなん、普通に世界に知られることになると思うと、世界からの信頼を失うことは間違いないし、それが、経済面でも、直接的にも間接的にも、マイナスなのは間違いないやん。

 コロナがらみに言及したら、つい、ムキになって、話それて行きますよね。

 

 きっと、おかしな行動には、理由があったはずだ。

 それも、人として生き残っていくための根源的な欲求から発した理由が。

 それが、頃加減に現状とすり合わせるのに失敗してしまっている、そう思って見ると、厚労省の検査を必要以上に絞ったり、軽症者を隔離する施設を用意する案に許可を出さない理由も、そうして見えてくると思うのです。

 人間は、一定の年になると、どの人も、何等か一定の偏りを持っているものなんだそうです。

 それは、生きてきた道のりによる訳で、生きてきたあかしでもあると思う。

 見ようによっては、愚かで愛おしくもある。

 ま、それではすまんけどな、肩にいろいろかかっている人は。

 それでも、生きている以上は、気づき、根底からありようを変えられなくても、自分を縛る習慣からは、自由になれる余地はあると思う。

 岩田先生の言葉、「どんな結果が出てきても、それを受け入れ、場合によっては自説を曲げ、プランBに移行することにも躊躇しない態度が科学者には必要だ。科学者は、首尾一貫していないことにかけて、首尾一貫していなければならないのだ。」みたいに、本来、科学は、間違いに気付けば変更する。

 人は、多くの場合、変わることに抵抗を示す物らしいけど。

 間違いやゆがみに固執していれば、間違いやゆがみから世界が見えて来る。

 それを変える勇気があれば、その歪みから、自由になれるかもしれないのに。

 そうして変わっても、何一つゆがみのない事はないし、医学や物理学を含む科学もまた、全能の神でない限り、分かっていないことの方が多いし、絶対に完璧もないと思う。

 だから、変わり続けるのが、本当なんだろうけどなあと、そんなことを考えるこの頃です。

 

 っていうか、何で、決めること決められへんねん、あほ!!!

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