「信じる心」

 何やら、世間が騒がしい中で最終回を迎えてしまった、朝ドラ「スカーレット」には、ちょっと心に残るセリフが出てきます。

 「八さんに足らんのは、信じる心や」

 「壊して、作っていく」

 何か、気持ちが他へ行っていて、消化するように録画を見ていたものの、いつもと違う感じで好きでした。

 こういう言葉の中には、普遍的なものが含まれているから、いつ聞いても響くのかもしれないですが。

 今、じんわり思い出しました。

 

 話は、荒唐無稽な方向性へ転がります。

 いろんなところから情報を得て、今起こっていることが何なのか、自分なりに考えてみる。

 見えているものが断片だからなのか、一つの情報が入ることで、もしかしたら、今感じているのと違うことがあるのかもしれないなんて、コロッと見方が変わり。

 実際、今生徒さんたちとお会いする機会がなくて、悪友ともご飯に行ってないし、西はりま天文台にも行ってないし、ほぼ、母だけが話し相手という状態なんで、余計に偏って来る部分って、あるんだろうなあって思いながらも、考える。

 まあ、考え事が趣味なので、これほど大きな出来事について、考えない訳がない。

 昨日の妄想は、いやもしかして当たってるのん?とか、それでもちょっと思いつつ。

 そのまま、SF書けるんちゃうん?って思った。

 まあ、登場人物を動かす才能がないので、無理ですけど。

 SFと思って、読んでください。

 

 危機がやって来る。新型コロナ。

 正体が分かっているつもりになったら、何度も裏をかかれる。

 もう、いつのことだったか、時系列では思い出せないので、ちょっと、ググってみました。

 春節が、1月24日(金)~30日(木)でした。

 ダイヤモンドプリンセスの入港が、2月3日(月)だったようです。

 感染が確認されていない人の健康観察期間は、2月5日~19日だったそうです。

 実は、トイレットペーパーの買い占めが起こる前から、変な危機感に捕らわれていて、いつも冷蔵庫が空っぽなので、ちょっとだけ多めに食べ物を買った日があって、当分持つと思った蒸し大豆が、4月3日で賞味期限切れになったんですけど。きっと、まだ大丈夫さ。えへ。

 

 このころ、私たちは、どう考えていたんだろう?

 もっと早く、終息するって、思っていたんじゃないかと思う。

 あのエボラ出血熱でも、何とか感染拡大を防げているようなんだもの。

 きっとこれも、武漢という限られたエリアで起こっただけのことになる。

 春節の時、中国からのお客様がやって来ることに、玉川さんは、危機感を抱いていた。

 春節が終わってしばらく経った時に、感染者が増えるんじゃないかという予想があった。

 武漢からのチャーター便が、帰って来て、ホテル三日月だったかで、健康観察のための隔離がされた。

 思ったほどは増えないなあという空気感の中、ダイヤモンドプリンセス入港だった。

 多分ね。

 ここまでは、感染を封じ込められると感じていたんだろうと思う。

 みんな。

 だから、厚労省が甘いとか、そういうことではなく。

 ヤフーのサイトのグラフを確認してみました。

 奈良のバス運転手の人の感染確認が、1月28日だったようです。ググってみました。

 

 ぼんやりと覚えている記憶では、ダイヤモンドプリンセス入港時点では、まだ、世間はそんなに危機感を持っていなかった。

 玉川さんの主張では、というか、私もそう思ったんですが。

 まず、健康観察に入る前に、全員のPCR検査をすべきでした。

 そして、全員の健康状態の確認も。既往症を持っておられたり、旅の疲れで体調を崩される方のフォローも。

 隔離から、確か、3日目くらいに、環境が劣悪であることが分かって来た。

 布団が湿気を帯びて来てぺったんこで、船内寒い。時期的に、暖冬とはいえ、コロナ以外の死者が出ると思いました。

 換気が悪いし、内部で感染が起こりかねない状態だということが、さらに数日後に分かる。

 ここで、岡田晴恵先生が、コロナに対してもっとみんな楽観していたけれど、そうでないことが分かったのだから、方針を変えないといけないのではというようなことをおっしゃった。

 この後、岩田先生の動画での告発。

 ここまで来て、厄介であることを、ようやく認識し始めたんでした。

 

 下船が開始されるときには、既に、症状が出ない感染者が広げている可能性があることが分かっていて。

 下船時に、全員のPCR検査をしなかった事がおかしいと、玉川さんが指摘していた。

 

 一方で、市中感染は、始まっていると見られていた。

 なぜならば、春節で多くの中国人がやって来ていたから。(それ以前から、空咳の出る風邪は多かったようだ)

 というか、ダイヤモンドプリンセス以前なんだから、当然始まっている。

 つまり、封じ込めが厄介であると認識され始めた時には、後の祭りだったことになる。

 ただ、この時の認識は、軽症者や症状の出ない感染者が多く、インフルエンザよりも警戒する理由がないと、楽観論を言う人が多かった。ごく最近まで、そうでしたよね。

 私自身はというと、軽症者が多い、症状が出ない人がほとんどという情報で、本当に騒ぎ過ぎなのかなあと、ぼんやり考えていて、結構楽観していた。

 ふく蔵さんの延期を相談した時でも、4月14日始まりの作品展、事態は収束しているだろうけど、人々の警戒感が解けずに、自粛ムードで「大丈夫?」的な不安が残っている時期なのではないかと考えて、延期してもらった。本当に危険というよりも、まだ、気持ちの方の消費マインドが冷え込んでいると考えていた。3月11日に、お知らせにアップしてますね。

 延期してもらったときも、むしろ、終息していて、今まで我慢していた反動で、一気に人出がある可能性もあるんだけどなあって思っていて、それでも、危険な賭けだなあと思ったのを覚えている。

 一方で、それでは終わらないかもしれないと、ずっと思っていた。

 武漢で起こったことが、そんなに怖がらなくていい感染症ならば、上手く説明できずに、腑に落ちなかった。

 そうするうちに、イタリアの感染爆発が起こった。

 

 思いがけず、世界の経済を止めることになってしまった。

 間違いなく、誰も、これほどの衝撃があるとは思ってなかったはずだ。

 そして、イタリアでの感染爆発で、一定数の人が、これはまずいかもしれないって、危機感を抱いたはず。

 どこかで見たけど、医療関係者ですが、(実際にかかられた人を見ると)最初から普通の風邪などとは思ってはいなかったと書かれていた人がいたので、もっと早く危機感を持たれていた人もいたと思うけど。

 普通に考えて、判断する立場の人なら、イタリアの感染爆発で、危機感を持たなかったら、思考力、終わってるレベルだと思う。

 

 ここまでは、ほぼ事実の羅列で、妄想ではありません。

 妄想はここから。

 ふつうだれがどう考えても、3月16日時点で発売予定だった抗体検査キットで、もっと、感染の広がりを調べるべきだと思う。

 どこまで広がっているかは分からないけれど、クラスターつぶしをやっている段階は、とっくに超えている。

 他国は、その事実を正面から見て、認めている。認めざるを得ない状況が急にやって来たからではあるけど。

 日本は、確かに、いくらかは感染を遅らせてきたようで。

 それでも間違いなく、感染者数、死者数とも、低く出るように、操作されている。ここは事実のはず。

 誰が?何の意図で?

 医療現場でも、もっと多くの感染はあって、医療関係者の感染が表に出てしまったら、多くの医療機関を止めないといけないというのが、きっと本当のところなんだろうけど、止める訳には行かないので、病院の機能を回しつつ感染を何とかコントロールできる方法で、内内で処理して、努力されているんじゃないかと思う。

 何らかの目的で、事実を曲げてきた。

 そして、その曲げた事実を今度は表に出せないから、さらに嘘にウソを重ねている。

 クラスターも、本当はもっと出ているよねと思う。

 国内の感染が水面下で起こっているなら、海外からの帰国者だけをあそこまで感染の原因みたいなターゲットにする必要性はなかった。

 最初は、長蛇の列を作ってまで検査していたものを、あるところで止めているようで、そこにも一貫性がない。

 国内の感染というなら、満員電車で、クラスターが起こっていないはずはない。

 だって、典型的な三密ですからね。

 しかも長時間、そして繰り返し。

 多分、接待を伴う飲食業どころじゃないんじゃない?

 そして、昨日の私の妄想の結論は。

 とある目的のために感染者数を低く抑えていたという隠蔽工作を、今度は工作自体を隠ぺいする必要性が出て来て、やっきになって数のつじつま合わせをしている。そのストーリーは、海外から持ち込まれ、歓楽街が広げた。

 本当は、市中感染を放置していたことを隠したいんやなあって。

 

 そんな恐ろしいことが本当だとしたら、なぜできたんだろう?人の命にかかわることなのに。

 妄想ですよ。妄想。

 それは、ウィルスを甘く見ていたから、この一点に尽きるんじゃないだろうか?

 という妄想が事実だとすると、もっと遠くから俯瞰してみた時には、どう見えるのか?

 今起こっている、説明しがたい何かは、あたかも誰かの陰謀のように見えながら、陰謀を行ったはず者が、ウィルスに翻弄されてしまっているという状態?

 一方で、今そこを明らかにしている余裕はないので、医療現場の人は、現実と向き合いながらできることをやっている。声を上げて、おかしなことになってしまうくらいなら。

 そうして、ようやく、軽症者は自宅療養という方向に決まった。

 これで、どれだけ感染者が表に出てもある程度何とかなりそうなめどが立った。

 そこへ、機能のニュース。政府、PCR要否判断を全国調査 状況にばらつき、過少批判も意識」

 が来た。

 そうか!そんなに検査が絞られているとは、ゆゆしき事態、ぜひ調べねば!

 で、どこかが何か齟齬があって、検査が足りなかったようだ。って話に持って行く。

 市中感染が広がったのは、海外からの帰国者と接待を伴う飲食業の人たちのせいだって、シナリオで、あれこれおかしな話に説明をつけて終わりか。

 なるほどな。

 

 まあ、妄想ですけど。

 ただ、一つ間違いなく言えることがある。

 どういうことが真実にしろ。

 できるはずの抗体検査をちゃんとやろうとしてなかった、この一点において、間違いのない事実がある。

 「科学舐めとんかああああ!!!!!!」

 って感じ。

 

 人は、真実ばかりを知る必要がない時はある。

 方便も大事である。

 人が幸せに生き残れるという人類最大の目的さえ果たせるのであれば、必ずしも、科学が必要とは思えない。

 科学にしろ、芸術にしろ、哲学にしろ、最後には、人類が幸福に繁栄するという大きな目的のための手段だと、最近思うようになった。

 だったら、良いのか?

 科学捻じ曲げるって、許さるってことも、ないでもない。

 それは、神様しか知らない。

 でも、思うんですよ。

 科学は手段です。

 ただ、せっかく手にした大事な武器を、捻じ曲げて貶めたら、有効な武器として働かなくなるんじゃないのかなあって。

 歴史が証明するでしょうか?

 捻じ曲げようとしたら、翻弄されたんだよって。

 自然の摂理を、できるだけ誠実に捉えようとする科学を捻じ曲げたことで、自然の摂理に則って起こったことに、翻弄されたんだよって。

 これほどの情報が残される時代、どれほどもみ消そうとしても、きっと残る。

 歴史を振り返ってみたら、何が起こっていたかは、まあ、バレるんやないのかなあと、思います。

 諸外国で起こっていることと比べても、どうしてもおかしい。

 一握りの人間の意図で、どうにかなるもんじゃないと思うけどね。

 

 と、話は変わって。

 玉川さんと、岩田先生と、岡田先生もかな。

 捻じ曲げられようとしていることに、抵抗している。

 という風に見える。

 君子危うきに近寄らず。長い物には巻かれろ。

 で、本当は、理不尽だなあとか、違うんだよねえとか、カシコな人は、たくさんそう思っている人がいるんじゃないだろうか。

 それも、ただの想像ですが。

 そこで、ほら、タイトルなんです。

 「八さんに足らんのは、信じる心や」

 声を上げなければ、変わらないのかも知れない。

 どうせ変わらないわって、斜に構えるだけが、行き方でしょうか?

 

 もっと真実に真摯に目を向けて、科学の本質の部分に対して、もっと尊敬の念を持ってほしい物だわ。ほんとに。

 スタップ細胞は、なかったようです。

 どうしても、人の作為だけでは、どうにもならない。

 そこにある摂理は、神様の領域だから。

 って、自分に都合の良い奇跡起こす神様を信じてるわけじゃないですよ。

 捻じ曲げようとしているのは、そういう物なんだっていうことに、気づいてほしいですけどね。

 

 パンデミックの前後では、(これまでのパンデミックでも)世界は変わった。同じではいない。

 そういう見方があるそうです。

 今回、ある意味の極限を見ることになり、そこから見えてきたものも多いんじゃないかと思います。

 変わって欲しいもの。

 いくつもありますが。

 システムとして、機能不全に陥ったものが、変わって行けばいいのになあと思います。

 

 ああ、書いたった。

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