ファーストペンギンという言葉があるそうです。
最初の一羽が海に飛び込むと、そのあとに、続々と、飛び込んで行く。
日本という国は、ファーストペンギンが、少ない国なんだろうなあと思うんです。
古い話ですが、私が近くのガラス教室に通っていた頃、一回だけ、クラスを超えた飲み会が企画されて、焼き肉屋に行きました。おいしかった。
その焼き肉屋なんですけどね。教室に集合、車数台に乗り合わせて現着。
焼き肉屋に入るのに、お互い顔くらいは知ってるとか、全然知らない人もいて。
先生は、少しだけ遅れて来るという中。
入り口で、「どうぞどうぞ」って、お見合いが始まり、誰も最初に入ろうとしない。入るだけやで。
いじっとして、私入るわと言おうとしたとき、一瞬早く、同じようにいじっとした人がいて、彼女が「私入るわ」って、言った。
焼き肉屋に入るだけやで。もちろんその関係に、明確な上下関係などない。先に着いた人が入ったらええねんけど。
日本のPCR検査の件数が少ない。
それは、誰がどう見ても事実で、「何が悪かったか?」という見方もあるけど、「どこならできたか?」って、考える必要があると思うんです。後からの検証で良いけど。何が起こるか分からない将来の、もっと怖い事態に備えてです。
今朝のモーニングショーでは、沖縄の群星(むりぶし)ナントカ(ちゃんとみてなかった)の徳田先生というお医者様を先頭に、600人以上のお医者様が賛同されているという提案が、紹介されていた。
それは、「発熱外来+検査所」の機能を兼ねた場所を、学校の校庭など開いている場所にテントなどで作り、地元医師が輪番で担当するというもの。
大きな総合病院では、病院の駐車場に作るなどの動きもあるんですが。
そうそう。
私がいつものお薬をもらうべく行っている内科ですが、1月は、通常のインフルで込み合う時期の1.5~2倍くらいはいるかなあという印象の混み具合だったんですが、嫌だなあこの時期と思って行った3月には、待合室にいたのは2人、私で3人目で、ガラガラでした。皆さん警戒しているってことですよね。
他はどうだったか分からないですが、もしかしたら、地元のかかりつけの先生ところは、こんな感じなのかもしれない。
患者さんが、他の病気で悩んだ時に行くのを止めてしまう。
かかりつけの先生の余力はある。でも、一人の医師で、発熱外来と、それ以外を見るのは、実際問題無理だってことですよね。
大手の総合病院ならできる可能性はある。それでも、動線分けるのは、難しいらしく。エレベーターが並んで何個とかだとね。
今までのPCR検査が増えないことは、どこかがボトルネック(一か所細くて通りにくい場所)になっていたということなんです。
民間の検査機関には余力がある。なんでも、政府から委託を受けている所でも、実際には余力があるんだそうです。
問題は、かかりつけの先生が検査すべきと思っても、保健所や帰国者接触者外来などを通す必要があった事らしく。
この場合、感染経路が追えている段階の対応なんですよね。
感染経路が追えず内科にかかって、感染の疑いがある場合、本来は既にお医者様が一人介在しているんだから、そのまま検査に回る仕組みができないとおかしいっていう話でした。
その仕組み、もっと早くできなかったのか?
他の国にできて、日本に出来ないのは、絶対にカルチャーの問題がある気がします。
そうそう。現場の人が、こんなに頑張ってるの!でもいっぱいいっぱいなの!っていう、それこそ精神論は、どこかで吐き出されたらいいと思うんですけど。
問題は、PCR検査が行き届かないこと(症状がある人や感染が疑われる人で、本来受けるべき人にに行き渡らない)の、システム的な原因を探るというのは、全然別の話で、それを何とかする必要があった。
玉川さんや岡田先生は、そういう切り口で、ずっと話されていたんですけどね。
人によっては、「頑張ってるのに、ヒドイ!そんな言い方暴力だわ!」って、違うところをご覧になっているケースもあろうかと。
でも、玉川さん岡田先生にしても、具体的には、どこの余力をどう使って、どういう風に緊急でシステムを立ち上げられるかまでは、把握できないと思うんです。だって、個人の情報量には限界がありますからね。
そこで、ファーストペンギンになった1人が、沖縄の徳田先生だったってことですよね。
東京では、PCRセンターを立ち上げる話が、もう具体的に準備されているんだそうです。
国からの依頼を受けて、感染症病棟が準備中でもあるらしい。病院丸ごとって事かな?
どこかで具体的に始められた方、ファーストペンギンが、いらっしゃったってことですよね。
日本人がやりがちな「お見合い」の状態を、今後どうにかしていく必要って、あるんやないのかなあと思いました。
ほら、カシコが、余計なことを言わないカルチャーもあるし。平時なら、それが賢いのかなあと思う。
どこだったかで読んだニュースの記事で、玉川さんの傲慢で上から目線の態度に腹が立ったと書いていた人がいた。
ああ、そういう目線の人が、あの回を急に見たら、そう見えるんや。
まあ、危機感持ってたら、「そうそう、良く言ってくれた!」になると思うけど、まあそのくらいの意識ねと思ったけど。詳細省きます。
ただ、ずっと「モーニングショー」を続けて見ている(母のスケジュール絡みでとびとびにだけど)私からしたら。
過去の放送で玉川さんが言っていた通りに、1~3カ月遅れで、世の中がやっぱり必要だったと気付いて対策していることが分かると思います。
ただ、玉川さんにしても、もっと早くに収束で来ていた可能性も考えておられたと思うので、ここまで来てしまったかと思ってはるかもね。
私個人は、4月の半ば、もともとは「ふく蔵」さんの作品展の始まりの頃。
最悪、ほぼ終息していて、まだ人々が様子見している頃か、上手くしたら、終息していて、今まで我慢していた分で、弾みで一気に繰り出して消費欲ピークの頃かという予想でしたからね。延期をお願いしたころは。
ここまでか。
そう思います。
あ、そうそう。
玉川さんが、首相やったらええねん。
「アリーマイラブ」(古くてすみません)で、愛されキャラかそうでないかという話があって、優秀でも嫌われキャラいるって話でしたが。玉川さんは、別にヒール役を演じるつもりもなければ、愛されキャラを目指すつもりもなく、まあ、日本では受けないことは知ってるけど、くらいなんかなと思いますけど。愛されキャラの括りではないもんね。
岡田先生が、厚労相で。
岡田先生は、結構、お母さんキャラで良い感じ。今日も、ワンピース、すてきでした。
多分、その方が、何かスカッとしますわ。
既に、医療は回らなくなっていて。
例に出されていたのが、眼下の先生のところに網膜剥離の人がやって来て、その場合、急ぐ必要があるので、1~2日の内に手術に回るべきものが、いつも手術を依頼している中核病院が、感染者が出たため外来を受け付けてないので、手術ができず、ドクターがつながっているSNS?だったかで聞いてみると、当日は無理、その翌日にできるようになったと一か所から連絡があって、そちらで手術の運びになったとか。
感染のために外来を止めていたり、国から依頼を受けた感染症病棟準備のために塞がっていて手術が受けられないなど、様々な形で、影響はもう出てるんですって。
私も、別ネタで病院に行きたいけど、様子見中。大したことないと思うだけに、余計に様子見中。
もっとシビアでも、感染怖くて行けない人も絶対いるはずで。
気付いてないんやろな、のんきに飲みに行こうとしていて取材受けてた人々。あ、取材も、最近どうよって話ありますけどね。
今、下手に病気になれないよって、話だそうですよ。いやいやホンマに。
ここ数年、特に強く感じることがありました。
「上に確認を取らないと、(私には権限がないので)分かりません」というような返事が多くなったなあって。
先輩に教えられた通りにやっていたら、その上の上司から怒られたから「マニュアル作っておいて欲しい」という発言。
日本人は、最近特に、こういう傾向が強くなったなあと思っていました。
骨の髄までなのか、表面上波風を立てないためなのか、どっちも混在していると思うのですが。
正しい答えがある前提で、その正しい答えを間違えずに言い当てようという意識とでも言いますか。
この年まで生きて来て、いろんなところで出会ったことから自分なりに確信していることがある。
マニュアル化できるということは、既に「こなれた」ことがらだということです。
いちいち、学校教育批判してすみません。
ただ、最初の学校はどうだったんだろうと思うんですが。
最低限の「読み書きそろばん(読むこと、計算すること)」は、庶民もできないと、困ることはあるだろうだったと思うんです。
奉公するにも、帳簿付けたり、記録書いたり読んだり、会計したり。
ありがたい物だったと思うんです。
まあ、時間が経ちすぎて、システムが「過適応」のような状態になったというか。システムが、ある方向に過度に偏ったんでしょうね。
求められてきたものが何だったかというと。
「管理されやすい人間」「条件に正確に従う人間」「勤勉な人間」だったと思います。
勤勉なことはエエことや。と、怠け者の私。
世の中には、多くの知識があるので、すでにもうこの世界にはあらゆる答えがあると、無意識のうちに、思いこんでいる人が多いのではないのかなあと思うんです。
自分自身が感じていた生きにくさは、「管理されやすい人間」のひな型に、自分を押し込むことができなかったからだって、気づきました。
もう一つ賢い人なら、その辺を、もっと早くに見越していて、管理されやすい人間に見せかけて、そこそこ合わせつつ、ホンマは違うことは知ってると思って生きている人もいるだろうなあと思います。
ただ、分かっていても、分かっていなくても、「従順」であること、「出る杭」にならないことというような、枠組みの中にいるしかないのが、最近の日本人だったんじゃないのかなあと思います。
そのことが、今回の、日本の対応の遅さになって出た。
そしてまた、「イノベーションを起こせない」ことに通じていたと感じるのです。
昨日、ザッピングをしていると、ハヤブサのプロジェクトの番組に当たりました。
実は、リアルタイムでは、あんまり関心を持っていなくて(元天文少女も、こんなもんです)、今回、番組を見ていて、感動しました。
「小惑星に、着陸させる」そのこと一つとっても、初めてのことばかり。
常に、2つ以上の選択肢を持つようにと、仰っていた方がいた。
着陸は一回ではうまく行かず、一回目の失敗の時に得られた画像データが役に立つことに気付き、新たな着陸地点を見つけたそうです。
番組内で納めるので、きっと一部だったでしょうね。
ホンマに、口で言えば、「平らなところを見つけて着陸させる」というだけのことに、どれほど多くの「初めて」のことが含まれていたか。
これって再放送?何か、気持ち的には、タイムリーやんって、思いました。
実際の世界では、分かっていないことの方が多い。
だったら、科学は要らないのか?って話ですが。
それがなかったら、今以上に、見えないことが多く、目を閉じて見知らぬ場所を歩くようなものじゃないかと思います。
それでも、分からないことの方が多いんだと思います。
何が分かっていて、何が分かっていないのか、そこを分かって、今分かっている範囲の科学を利用することが、とても大事なんだと思います。
そこには、「マニュアル」は、もちろんない。
過去の知識を参考にはできますが、そういうデータ収集は、多くはあらかじめ教育でやって置くべきこと。足りない分を、今補足して情報を得る。
過去の事例に倣おうにも、よく似た個所と違う箇所があるので、そのまま適用できないしすべきでない。
自分の頭を使って、考える。
多くのプランの可能性を洗い出し、その中からどのプランが使えるのか、優先順位をつけて臨み、状況が一つ変わると、その順位を入れ替える。または、新たなプランを付け加える。
そこには、「先生が想定する正しい答」など、準備されていません。
あくまでも、学校で習う、正しい答が用意された問いは、そういう事態のための、あらかじめ習っておく下準備の材料でしかありません。
その答えを正確に答えることは、決して、目的ではありません。
目的は、「コロナに打ち勝つ対策を考えること」「ハヤブサで、宇宙の謎に迫る資料を得て、科学の未知なる部分を埋めていくこと」だと思います。
危機に直面して、一番変わって欲しいのは、そういう、日本人のありかたかな。
お見合いして、譲り合っている場合やないで。
自分の頭で考えることを、もうちょっと見直した教育にしないと、考えない人ばかりを増やしていくんじゃないのかなあと、思うんですよね。
コロナ後の世界は、あんまり変わらない世界かも知れないし、とても変わってしまった世界かも知れない。
それでも、何かしら未知のできごとには、マニュアルはないんだと思うんです。