うちの父が、昔言っていた言葉がある。
「スポーツやっとる人間に、悪い人間はおらん」
お父さんゴメン、いっつも変なネタで引き合いに出して。
いやいや、そんなことはないと思うよ。結構、警察沙汰で捕まる人もおるしさ。
そういう意味では、私の中に、「理系の人々への幻想」みたいなものがあると思います。
悪い人はおらん、なことを言えば、人類皆そうなんかも知れませんけど。
ずるいとか、弱いとか、元をたどれば、そこには、「生き延びたい」「より有利に生きたい」そんな、生き物としての根源的な欲求から発した行動があって、それが、頃加減を間違って、結果自分を追い詰めかねないことになってしまっているだけとも言える。
そういう自分の姿を、客観的に見るのは、結構難しいんだ。
でも、それを言いだすと、頃加減を間違わないように、自分を離れた位置から見ることがある賢さを持った人こそが、ちゃんと自分を守れているともいえるのかなあ。まあ、世の中単純じゃないですけどね。
そうか、頃加減を間違って、本来は生き延びるための行動だったものが、どんどん自分を追い詰める感じ、これって、「ダークサイドに落ちる」って感じなのでしょうか。
まだ逸れるか?
昨日、NHKで、近大の筋肉体操の先生が、”超”ラジオ体操だったかをやっているのをたまたま見ていて、体操したら、筋肉痛になった。
で、ゴロゴロしながら、また、アホなことを考えていた。
理系の人々の言葉を。
いたた、右足。
本題です。理系な人々の言葉。
一人は、さっきの、小田垣先生。
クルーズ船の告発をした、神戸大学の岩田先生。
文春オンラインで記事を書いた鳥集徹さんが取材したという医師の方々。
新型コロナの科学というブログを書いた医師、越智小枝さん。
そして、両親の病院沙汰で、ある年の年間のカウントが怪しくなるくらい新規に出会った病院の先生。
あ、西はりま天文台の、研究者の人々。
分析癖は、ホンマに「癖」で、嫌がられます。特に、自分が分析されていると感じるのが嫌な人が多いようです。多分。
それって、まあ、「ペルソナ」を剥がす行為ですからね。
私の中の、理系の人々幻想はあれど、結構、発言の背後に、色んな心理が透けて見えてきます。
結構、思いがけない発言に、感動していたりするし、言葉にしない行動の中に、変な屈折や、人としての一生懸命さなんかが透けて見えると、ホンマに人って面白いなあと思います。
最初に、岩田先生の言葉から行きましょう。
玉川さんが、「対策が行われなかったことで、船内の感染を広げる原因になったと思うか?」と聞いたことに対して、「対策が行われなかったことで、医療スタッフが感染する結果になったことを指摘したのであって、船内の感染を広げたかどうかは、ここでは分からない」と、答えたのです。
普通、感情的に相手を責めるという考え方だったら、被害を多めに言うてしまうんですね。
でも、違った。そこに、科学者としての良心を見た。
小田垣先生の言葉です。
しかし日本の場合、主として濃厚接触者や感染が強く疑われる者のみを対象として検査が行われており、陽性率は「その方々の接触の濃厚度」を表す尺度と考えるべきである。隔離対象者を市民の中から効率よく見つけて検査すれば、必然的に陽性率は高くなる。
今、テレビで言われている、「陽性率」です。検査をした人の内、陽性と判定された人の比率を、日ごとのデータとして出していて、これが7%を超えているような場合は、実際に感染している人の数に対して検査そのものが不足していると考えられるので、そういう地域では、感染が抑えられていない傾向があるというようなことを(すみません、ここ不正確です)、千葉大の先生がおっしゃったらしく。
でも、小田垣先生は、陽性率が高いことは、濃厚接触者から、効率よく感染者を見つけ出しているという側面を表すものだよと、書かれている。
検査を進めるという考え方はそうなんだけど、この陽性率が高いことをダシに、「ほら検査足りんやろ!」っていう事をされない。
やっぱり、この数値を扱う姿勢に、科学者の良心を見た。
カッコエエ。
何でもかんでも、自分の主張に利用してやれっていうことは、したくない。
データの扱いが、厳密で、正確であるという姿勢を貫きたい。
なんか、そういうとこに、理系君の信念を見るのだった。
次、越智小枝さんですが。
文章を読んでいて、失礼極まりない言い方をすると(前も書いたかな?)、「先生の良い子」なんだなって、思った。
キャラ的に、反抗的な要素が多かった私とは、真逆で、多分、そういうのが鼻につくんやな私。
↑女子として、全くかわいげないですな
上から言われたことを、疑ったりしない。権威のある偉い人に対して、歯向かうような、失礼なことはしない。それが正義だ。これが正しいとされている理論に、疑いをさしはさむなんて、大それたことは罪だ。
多分、とても真面目で、偉い人に歯向かったりするという考え方があるということを、もしかしたら、認識しないで生きてこられたのかも知れないなあと思った。まじめちゃんですね。
科学の要素に関しては、正確に取り扱う。そこは、きちんとした人だと思う。
ただ、こんなに大変な工程をまじめにやっている、そのことに対して、外部の人が検査が足りないとか後出しじゃんけんで責めるのは、暴力だと思うって書かれていた下りに。
依存的な、被害者意識を見た。エゴグラムで言えば、「従順な子供」の性格で書かれた一文だと思った。
全体の文章の持って行き方そのものから、「従順な子供」の視点を感じてしまうのでした。
余談ですが、エゴグラムという性格判定では、「厳格な親」「寛容な親」「大人」「自由な子供」「従順な子供」の性格を設定して、自分の中にそれぞれの要素がどのくらい強いか、そのバランスで、タイプを決める。例えば、「寛容な親」と「自由な子供」が高く、「厳格な親」「大人」「従順な子供」が低いと、M型といって、アイドル型と言われる。(実際のアイドル、もっと賢い気がするけど)
ちなみに、小田垣先生の考察の文章では、「大人」メインで「寛容な親」「厳格な親」の顔が、時々登場する思う。
本当は、科学的な話を書く場合は、大体、「大人」を貫こうとされるケースが多いんだけど。そこに、敢えてなのか、感情が入れられていいることに、へ~って思った。
そして、鳥集さんですが、この人自身は、理系君じゃないです。
この記事の試算をしたのが、鳥集さんでないようなので、どなたか、医師の方が作られた試算だと思いますが。(ここ不正確ですね)
これを書いたのが、医師だとしたら、そこに、ミスリードの意思を感じてしまう。
というのは、「偽陽性」の扱い方です。
越智さんの文章や、他の医師が書かれた文章では、PCR検査は、「感度70%」「特異度99%以上」とされていると書かれています。
感度70%で、偽陰性が出やすい検査である。まあ、3割は、見落とすな。もしかしたらもっとかも。って感じですね。
一方、その性格上、偽陽性が出やすい検査もあるものの、PCR検査は、特異度99以上で、偽陽性が出る可能性は極めて低いとされている検査であるとうことで。まあ、疑陽性出ることないわ。いうたら、100人に1人も出えへんよ。って感じです。
正確に、読み取るとそういうことになります。
が、鳥集さんが紹介した試算では、「実際に陰性の人が100人いたら、1人の割合で陽性になってしまうということなので」という解釈がされて、試算に用いられている。
この部分が、数値の扱い方を、敢えて曲げてしまっている部分なのです。
だから、偽陽性が1%出るとして計算してみます。っていうのは、もうおかしいんです。
科学者としての、良心を感じられない。
感じられないです。
私が、検査推進派だから言うんじゃなくて、純粋に、科学を敬愛する者として、そう思います。
ないのは、科学者としての良心でしょう?まさか、数値を扱える知性が欠けている訳じゃないはずだ!
そうなんよ。
私の理系君幻想は、やっぱり、幻想なんやわ。
お父さんの、「スポーツをする人間に、悪い人間はおらん」発言と、等価なんやわ。
そこで、私の暴走は止まらない。
だったら、なぜ?
どういう人が、どういう目的で?
その時、その人は、エゴグラムで言えば、どの性格で、そんなことを書くに至ったのか?
結構、ツラい生き方かもなあ。
いや、それを正義と信じているのなら、その人には正義なんかも知れん。
科学者やないけどな。
そこは、推測の域を出ないので、結論は出なかった。
そんな、アホなことを考えていた。
だって、”超”ラジオ体操のせいで、右足の側面が、筋肉痛で突っ張っていたいから、すぐには動き回る気にならんかったんやもん。
そうそう。
近所の中核病院の先生や、西はりま天文台の研究者の方々の、ワンポイント名言集なんてのも、また、書きたいです。
今回は、このへんで。