涼しい夜散歩

 ランちゃんの散歩に行ってきました。

 あ、今朝は、母がお泊りでいなかったので、本当にゆっくり始まり。

 夕方に母を迎えに行った後、弟たちが庭で作っているお野菜で、巨大なキュウリを一本採って。

 中身はみずみずしくて良い感じ。古い品種なのか、表面はイボイボですが刺はすぐに手で取れるし。お砂糖を使って、浅漬け風の酢の物にしました。

 横着して使ってなかったナス2個がダメになっていて、予定が狂ったので、これまた畑からナスを2個貰った。みずみずしくて良い感じ。弟によると、すでにナスだけで、元は取れたんですって。

 トマトが放置されていましてね。実が付き過ぎている。たぶん、私の車が邪魔で、日当たりが少し悪いので、日光の紫外線ストレスが少なすぎて、赤くなりにくいんだと思う。昔なら、採って、ブラウン管テレビの上で電磁波にさらすと、赤くなったはずなんだけど。密すぎて、茎が気の毒なことになっていたので、2か所の固まりから各1個収穫して食べてみた。

 糖度がない味ですが。多分、収穫後に追熟すると、ストレスで糖度が増すんだろうと思うんですが。甘すぎる野菜反対派の私としては、やや野性的な味わいでエエ感じでした。

 晩御飯の後に、ラペさんの桃のタルトを、母と半分こして食べました。

 巨大だったので、1個は、弟たちにおすそ分けしました。

 タルトの上に、丸ごとモモが1個乗っていて、桃の種をくりぬいたところには、カスタードクリームが、桃の表面にはごく薄くゼリーが掛けられていて。一見、ゼリーって見えないんですがこの薄さ。

 桃の味がしっかりして、カスタードクリームも甘すぎず、桃を邪魔しない上品な味でした。

 満足です。

 あ、プチ幸せ自慢してしまった。

 桃のタルトで幸せって、分かりやすい幸せや。

 

 夜、ランちゃんの散歩で、涼しい空気の中を歩きながら考える。

 空気が入れ替わるから涼しくなると言っていたので、前線の北側に入ったって事かな。

 ものすごく快適です。

 そこで、ふと考えてしまった。

 コロナ禍のロックダウンなどで、一時だけ空気がきれいになったって言ってたけど。

 その分、排出された熱は少なかっただろうし、二酸化炭素による温室効果が軽減されたのかも知れない。だったら良いな。

 最も、海水温が高かったせいで、降水量が多かったらしいので、海水温は比較的保温性がある気がするので、短期的にどうこうなるものではなかったのか?

 そんなあらぬ妄想とともに、涼しい田んぼをランちゃんと歩いた。

 

 で、思い出したんですけど。

 4月の終わりから5月にかけて、東京で行われた抗体検査の陽性率が、0.6%だったことから、一時は、本当に感染者が少なかったんだと思い込んでしまっていた。

 それでも、慶応大学病院の入院前の患者さんに、PCR検査をすると、6%の人が陽性だったことがあったなあ。

 神戸中央市民病院の3月末から4月初めの時期にやった抗体検査の陽性率は、3%だった。

 4月の終わりごろに、大阪市大病院で、独自のキットでやった抗体検査の陽性率が1%。

 その後、神戸中央市民病院が、もう一度、抗体検査をする予定だと書いてあったのは、結果はどうなったんだろう。1000人に対して、2種類の抗体検査を行う。どっちも、IgG抗体を検査するものだけど、一つは、3%と結果が出た時と同じもので、もう一つは、交差抗体を拾わないことが期待されている検査。この結果次第では、すでに行われた検査の3%の解釈が、より現実を移すことになる可能性がある、そんなことを思った。

 一つ前のブログでリンクを張っていた記事によると。

 またスイス・チューリッヒの大学病院では、新型コロナウイルスから回復した人のうち約2割(165人のうち34人)しか抗体(IgG)が作られていなかったということが判明し、残り8割は既存の免疫機構で新型コロナウイルスを退治したと考えられている。

 と書かれていて、例えば感染歴が違うだろうスイスと日本では、この比率が同じかどうかは分からないものの。

 神戸の3%と出た結果がどのくらい交差抗体(似たようなウィルスに罹ったときに出来た抗体)を拾っているのかは分からないですが。

 またまたご都合主義の解釈で、3%がほぼ新型コロナによるものと考えたら、3カ月で抗体が消えるという話が一般的と仮定したら。

 1月~3月中旬くらいの間に罹って抗体を作った人が、3%。

 でも、8割の人は、自然免疫で撃退したと考えると、5倍の15%の人が、感染していた可能性がある。

 チューリッヒ大学の、2割の人しか抗体を作らないというのも、感染が確認されている人の内の2割なので、無症状者が入っていない可能性がある。

 もしかしたら、都市部では、結構な比率の人が、感染していたとも考えられる。

 分からないですけどね。

 推測の域を出ないですけどね。

 何を調べたら、第二波があるのかどうかを、知ることができるのかは分からないですけど。

 とりあえず、今の広がりで、医療がひっ迫する前には手を打とうという姿勢で、極端な自粛をしないで推移を見守るしかない。重傷者が増えなければ、過剰に自粛しなくても済むかもしれない。分からないので、増え始めたら、素早く手を打って欲しいです。

 そして、冬に備えよう。

 冬、感染が始まるかもしれない覚悟で、ちゃんと備えて、成り行きを見守ろう。

 前の冬では、風邪が流行り出す時期より遅れてコロナが入って来たと考えられているし、大きな波を作ってしまったのは、欧州型が3月の中旬以降に持ち込まれたと言われているので、次の冬、季節当初から感染が始まった場合、もっと広がる可能性がないではない。

 今度は、症状が出た人をもれなく検査し、濃厚接触者を検査し、感染の広がりをもっと掴むべきだ。

 その時、ファクターXが、東アジア地域では、類似のコロナウィルスによる感染歴が既にあったことであるのなら、ゆるゆると経済を回して用心しながら推移を見守っても、感染爆発が起こらないかも知れない。

 もちろん、その時には、治療や封じ込めのための検査だけでなく、感染状況を掴むための、ランダム抽出による市中感染率の調査もしておくべきだ。

 そうなったとき、やっと、自分たちが置かれている状況が掴めるのではないのかと思う。

 分からないですけどね。

 すべては推測ですが。

 断片をつなぎ合わせると、そんな風に考えることができる。

 

 日本では、特に立場のある人は、推測を語ってはいけない空気感があって、オフレコでしか語られていないのかなあと思う。

 後で責められるのが嫌なのか、それとも無策だからか、今の東京の感染者をどう考えるのか、いくつかの可能性を示してもよさそうな物なのに、誰も何にも言わない。

 後から、ウソを言ったって、結構責められるのが日本です。

 分からないことを、可能性として話すことをできなくしている。

 息苦しい国です。

 決まったことでないのに、おいそれと口にすると、無責任だと責められる。

 でもな。

 仮説ですよとして語ることを鵜呑みにするのって、思考停止だし、物事が分かってきたら仮説が変わることが、変わった根拠を示せたら、それが科学だって考え方が薄いのは、ホンマに、情報リテラシーが痛すぎるんだと思います。

 結局、それは、自分では考えたくない。

 誰かに、全て決めて欲しいという、とても依存的な発想が、背後に見え隠れします。

 自分で考える気概すらないヤツが、マジメに自分の頭つかって考えている人を、間違っていたやないか!って、責めるのはお門違いやんって、思います。

 

 まあそれにしても。

 神戸中央市民病院。

 クラスター出てしまいましたけどね。都市部やし、もともとリスク多いですからね。スタッフだって、スーパーで食料品買わないといけないし、公共の交通機関つかわないと行けないような場所にある病院やし。

 よくぞあの時に、抗体検査をしておいた!

 と思います。

 3カ月たったら消える説がある以上、タイムリーなデータは要る。

 その時に、使える抗体検査が、交差抗体を拾ってしまう検査であったとしてもです。

 科学者の鑑な気がします。尊敬します。

 誰かは分からんけど。

 きっと、組織全体というより、「誰か」なんだと思いますけどね。

 

 そんな訳で。推移を見守りたい。

 あ、玉川さんは、いつもけっこういいところをついてくると思います。児玉龍彦教授。

 ただ、玉川さんは、もともと慎重すぎる方です。きっと、そんな人がいることも良いことだ。

 でも、今科学的に考えると、推移を見守る時期のように思うんです。私はね。

 

 そんな、東アジア地域の感染歴の可能性や、ホストが狭い空間で集団生活していることが、家族間の感染と同じような背景で起こることなども、母には話しています。結構元々が、論理思考とは真逆のタイプなので、どう受け止めているかは分からないですが。

 ふく蔵作品展で、バタバタしていて「ほったらかし」だったので、この時期、結構ぐずってたりしましたが。

 今日は、桃のタルトや巨大キュウリの酢の物で、ご機嫌でした。

 良かった良かった。

 

 今も、窓から心地よい風が入って来ています。

 今日も、早く寝ます。

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