コロナ禍、夏場はもう少し落ち着いて暮らせるのかと期待していた甘い私としては、お利口に我慢していることに、少し疲れて来た。
とはいえ、あらゆる局面に影響している訳ではなくて、生活の中の限定的なところなので、四六時中、そこに関心が行っている訳ではない。
というか、時々、はっと思い出して、「あ~あ、そうだった」ってなる。
少しだけ、心折れることがある。
西はりま天文台友の会の7月の例会をキャンセルした。
作品展の疲れが残っていたのと、お天気が明らかに悪かったのと、親睦会っておおっぴらにはどうなん?的な空気感とで。
8月に、友の会観測デーがあると思っていて、8月に行こうと思った。
なかった。
8月は、ペルセウス座流星群の時期なので、近い日程で、「スターダスト2020」があるからだ。
流星群の観測の他に、例年だと、屋台が出たり夏休みの科学工作などのイベントがあったり、宇宙関係の講演会があったりして。
去年、講演会を聞いた後に、友の会に入会し、少し流星群を見て、ランの散歩があるので早めに帰って、家の近所で流星を探した。
が、今年は、屋台などはなしで、観測のみで、それも人数制限付き。
例年の人出なら、行きたくないな。
ガラガラで、よっぽど好きな人だけがやって来て、一部のマニアが自前の望遠鏡で星を見せてくださるパターンなら行きたい。
つまり、ガチで見たい訳です。
でも、きっと違うだろう。
友の会例会は、9月にお預けだ。
これだけかな。
人と出会うことを制限されて、フラストレーション溜まりがちなのは。
今のところ、教室はぼちぼちとできていて、生徒さんとはお会いできるし、友人とも、会おうと思えば会える訳で。
この頃は、「ネオワイズ彗星」を見に、一応出かけている。
全く見えません。
上空が晴れているタイミングもあったけど、北側の低い空は晴れない。
夕方に、北西の空にあってそのまま沈んでしまい、明け方、薄明が始まったころに上って来る。
夕方の方が観測がしやすい高さなのに、晴れない。
朝方の方が望みはあるけれど、少し低空まで登ったところで明るくなるし、これまた北の低い空は晴れない。
アカンかもな。
というのは、天頂付近に雲がないというのは、私たちの地域の真上に雲がない事で、低い空に雲がないということは、ずっと遠くの方に雲がないということだから、かなり広い範囲が晴れていないといけないし。
ましてや、ウチの地域の北側には、遠くの方に山があって、ここら辺とは関係なく、ずっと遠くの方で、上昇気流ができて雲が湧く。
ずっと遠くとはいえ、北側に山がある以上、無理かもしれない。
ましてや、夕方と言えば、地面がまだ暖かさを残しているので、上昇気流が起こり得るはずだから。
ああ、やっぱり無理か。
新潟の人が、インスタで上げていた。
北は、海でしょうかね。
海からの上昇気流がないタイミングなら、晴れるのかも知れない。
本気を出すなら、山を越えた方が良いのかも知れないけど、そんなど根性はない。
大阪に住んでおられる大学の先輩が、やはりネオワイズを狙っているけど晴れないって、フェイスブックで上げておられた。
こっちは、ダメかなあ。
とまあ、天体観測の趣味とは、こういうもんだ。
そうそう、天体望遠鏡などのメーカーのビクセンが、広告なしの無料のアプリを公開している。「Comet Book」っていうんですが、これが優れモノで。
太陽と太陽系の惑星と、目的の彗星の軌道と、時間ごとの位置を立体的に見せてくれたり。
日時を指定したら、その時の空を星図が見られるし、ナイトモードと言って、暗がりで明るいスマホ画面を見ると、同行が開いて星が見えなくなるので、画面が赤表示になる機能までついている。
これさえあれば、晴れ間に出会えさえすれば、双眼鏡一つで見つけられる自信はある。
便利なアプリがあるもんです。
私が天文少女だった頃と比べたら、何もかも違う。
すごくハードルが下がったと思う。
コメットブックがなかったら、ネオワイズ彗星を探してみようとかは、思わなかったと思う。
どこ探して良いのかから調べるのが、めんどくさいもん。
ほんとに、天文少女だったあの頃から考えたら、今は、ちょっとした「近未来小説の世界」だと思う。
そんなこんなで。
日中、そろそろ熱くなり始めた今日この頃ですが、夜のランの散歩は、まだまだ涼しい。
昨日、違うホタルを見ました。
その2日前に、叢で、ホタルの幼虫が数匹光っているのを見たのですが、これから成虫?って思っていたら。
よく見るホタルよりも、光が微かで、点滅のペースが少し早い感じの、何とも弱弱しくて、これはこれで風情を感じる光でした。
「ああ、世界って、美しいな」と、思う瞬間です。
そうして、ぼんやりとつまらないことを考える。
限りなくSF的だと思う。
コロナ禍で、人と会うことを制限されている現実とか。
そして、リモートで出会うことになって。
SFの世界では、ヴァーチャルな世界で出会っていれば、リアルな世界で出会う必要なんてないと考える人たちであふれてしまうというディストピアが描かれたりするのかも知れない。
ところが、現実には、制限されてみれば、リアルで出会うことの意味を問い直されることになるんやなあ。
大事かと言われたら、大事だ。
そんなことを、問われる瞬間があるとは思わなかった。
今の、無症状者がほとんどのまま感染者が広がって行く、先の見えない不気味さも。
あたかも自分が、SFの世界にはまり込んでしまったようだと思う。
生物学を履修していなかったので、ほとんど知らなかったいろんなことの断片を、いろいろ知ることになる。
見えない感染者、そして、実際の感染者がどれだけいるのか分からない怖さ、一方で何事も起こらないかもしれないとさえ感じさせる、静かな世界。
そして、スマホとコメットブックというアプリ。
スマホを片手に、犬をお供に、彗星を探す。
明け方の空の、低空だけが曇っていたあの日。
北極星とぎょしゃ座のカペラと金星だけが肉眼で見えていて。
東の空は、美しい色に開け始めた。
なんだろう、この静かさは。
コロナ禍というストーリーは、まだ続いているのに。
それでもまだ、作りたい作品はあるし、作れる環境にあるし。
日常は、まだ、平穏に過ぎて行っている。
イギリスのワクチン開発がかなり進んでいるんじゃないかとか。
東アジア地域の人は、類似のコロナウィルスに出会うのが初めてではないかもしれない説とか。
そんないろんな話を小耳にはさみながら。
急転直下、意外な展開で幕切れが来るんだけどな、SFの世界なら。
まだですかねえ。
星のソムリエの講座、今年開催するかどうかは微妙で、まだ検討中だとか。
どっちかなあ。
まだかなあ。
とか。
どっちに転ぶのか分からないまま、様子を見守る。
そうそう。
革を、また買ってしまいました。
大きなバッグ、ちゃんと作ったことがないのに。
数年前に、ミシンでトートバッグを作った。
去年、ショルダーバッグを手縫いで作った。いくつか、小物とかも。
ただ、大物のトートバッグとかを、手縫いでは作ったことはない。
それなのに、革が溜まって行く。
エエなあ、この質感!とか思うと、欲しくなる。
昨日、一つだけ、自分で型紙を書いてみたトートバッグを、ミシンで試作した。去年の姫路の皮革祭りで買った薄手の革なんですけどね。
これを、もうちょっと分厚い革で作ってみるか、もうちょっと違う型紙を書いてみるか、考え中。
工作で立体を作るのは得意だったので、この頃、何を作ろうか考えるのが楽しい。
呑気や。
自分でも、そう思う。
厚手の革を、少し染めてみたいんだけど。
またまた、余計なことを色々増やす人なのだった。
シンプルにするために、することを絞って行ったばっかりじゃなかったっけ?
人と会うことを制限されたモヤモヤを抱えつつ。
一人で篭っていると、時間がいくらあっても足りなくなる。
あ、ふく蔵さんの「新しい播州織の世界」の展示が、今日からでした。
行きたいな。
えへ。
つける薬がないっちゅ~やつですね。