コロナの感染者が増えて来ました。
とりあえず、西はりま天文台でのお泊りはキャンセルします。
それは、早い内に決めていたんですが。
日帰りできる?12時過ぎに、高速運転して帰って来るんやけど。
向こうでは、密にならないで過ごせるとは思うんだけど、場合によっては、広いエリアから人が来る。
いや、でもな。生真面目な人が多いから、休むのかな?
そしたら、他が休んで私が行けば密が避けられるって、身勝手じゃない?
とか。
行こうかどうしようか。
まだ、悩んどるんかい!
そして、重要なのが教室です。
以前に、今度は止めませんよ!発言しておきながら、舌の根が乾かない内に方向転換。
やっぱり、どうする?を生徒さんに丸投げするのは、無責任だと思うんです。
あの発言って、多分、重症者が抑えられるだろうという楽観的な予測をもとにしていたので、まあ、そう悩まずに続けられるシチュエーションを想定してのことでした。
兵庫県は、全ての感染者を入院させているそうなので、まだひっ迫からは遠いはずの数ですが。
で、旭川はクラスターによる広がりで市中感染とは違うけれど、札幌は経路不明の人が多い市中感染率が高まっているっていう話だった。
そう、大阪や札幌を見ているとですね。
特に大阪です。
兵庫よりも、ずっと暖かいんですよ。ただ、市内は密。
それでも、大阪で起こり得ることは、神戸などの都市部では起こり得ると思う。
感染症は、広がり始めたら早い可能性があるので、大阪を見て、まあまだ大丈夫だろうって判断したらまずい。
仮に、広がらない可能性が5割、かなり広がってしまう可能性が2割、そこそこ広がってしまう可能性が3割と、始めから示された場合。
止める。
2割の痛手が大きすぎるから。
単純に損得勘定の賭けであれば、私はそう張って行く人だと思う。
広がらなかったじゃないか!って、違うんですよね。
あ、これはまた後で書きます。
と、そんな訳で。
教室が、大阪府下で、大阪でもよほど田舎でない限り、教室は休むと思う。ほら、ウチは家賃が要らないので、苦しくても固定費の出費がオーバーってないから、細々貯金で食いつなぐ。
教室が神戸市内でも、休む気がする。
というのは、神戸市内では、経路不明の感染者が増えているから。
さて、小野はどうなんや?
ウチは、広域から生徒さんが来られている。
ただ、神戸と姫路の生徒さんは、小中高に毎日通学しているお子さんがいらっしゃらない。
本当に、判断がとっても難しいところです。
で、私が止めない限り、生徒さん側で、まじめに来られている方って、お休みしますは言いにくい人もいらっしゃると思う。
一人、すでに、12月前半の教室の段階で、考えて連絡するかもと仰っていた人がいて。
彼女は、そうなんです。
ザ・リケジョで、とても生真面目で、人に移すの嫌だし、自分がどう行動するかは流されずに、自分できっぱり決める。
私よりはっきりしているかもしれない。
結構、嫌いじゃないです。日本人って流されやすくて、その傾向が強すぎることにもどかしさを覚えることが多くて、こういう人がいるってそのもどかしさをちょっと解消できる気もする。
これは、持ち合わせたものなので、そうあれない人というのを責めるつもりはないです、もちろん。
という訳で。
理性は、兵庫の病床使用率を考えたら、かなり早いと思うけど、早い前提で止めることも考えた方が良いよと言う。
感情は、皆さんに会いたいんだけどって言う。
もうちょっと悩みます。
たまたま、1月の教室は、3週目と4週目にしています。
年末年始の広がりを確認した後で決められるので、そこはそれでよかったかと思います。
さて。
先に書いた、「広がらなかったじゃないか!」は、違うっていうお話です。
「広がらなかったじゃないか!」のお話の登場人物は、8割の接触削減の西浦教授、PCR検査で削減の小田垣名誉教授、K値の中野教授、集団免疫の宮沢准教授です。
というか、広がらなかったじゃないか!で、結構責められるのが、玉川さんと岡田先生ですけどね。
最初から言っていたんですよね。
広げないために、行動制限で感染拡大を止めたいって。
だから、広がらなかったことを責められるのは、お門違いで、これを言う人は、100%論理思考が終わっている人です。
以前に聞いたんですが、「もともと論理思考の人は、論理の破綻を責められると弱いが、最初から論理的でない人は、論理が破綻しても平気だ」って。
なので、神戸大学の岩田教授も、論理的破綻にめっちゃ弱そうって、見ていて思う。
平気な人は、右へ倣えしてしまうんだけど。
論理的破綻が苦手だから、ゾーニングされてないことを受け入れられないんです。
だって、スタッフの側に感染が起こるのが目に見えているから、自分の労力を、間違った方向へ使うのが嫌なんでしょうね。
一応、西浦教授と小田垣教授のホームページは見に行った。
K値の話は、見た気がするけど、よく分からんかったし。
宮沢准教授の集団免疫の話は、聞いたとか見に行ったからでなくて、自分の中で、類似のコロナへの既感染で交差免疫ができていてっていう話はあり得るなあと薄々思っていたものの可能性の一つとして考えていただけで、宮沢准教授が本まで出されているのは、先週本屋で気づいたんです。
細かい内容は端折りますが。
西浦教授の数理モデルは、微分とか使って書かれていて、訳分からんと思って見たけど、結論部分は、ある集団でほとんどの人がまだ感染していない場合には、数式の中の指数関数部分が一番強く効いてくるので、単純な指数関数で近似できるという物でした。
小田垣教授の方は、もっと訳が分からなかった。ただ、西浦教授のモデルに、感染者を見つけて隔離することで、その人が新たな感染を起こさないことで、隔離した人の実行再生産数がゼロになるっていうのが、加わっていた。
中野教授のK値も、今、見に行ってみました。頭のいい中学生でもできる計算って書いてあったけど。途中から追えなくなりました。
累計感染者数をグラフにしてあります。(感染者数の数え方が変わったところの前後で補正してある)
指数関数だったら、グラフの目盛りを対数で取ろうってことで、縦軸を、10、100、1000、10000と桁が一つ上がって行ってます。
指数関数なら、このグラフが直線になるはずですが、直線にはなってない。
そこから、あれやこれやの計算が入って、累計感染者数がどこかの値に収束しそうだとグラフを読んでいるんですね。
ということは、増え続けても、累計感染者数が収束する値に近づけば近づくほど、新規の感染者は増えてないと考えている。
で、ここでピークアウトというのを求めているらしく。ざっと見に行っただけでは、細かいところは分からなかった。
宮沢准教授のは見に行ってないですが、本屋でパラっと目次を見た感じでは、既感染の人が感染しないことによって、ピークアウトするという考え方なので。
少々乱暴だけど、既感染者は移らない人なので、西垣教授のモデルの無理やり当てはめると。
ある空間に、100人いました。すでに感染していてもう移らない移さない人が6割くらいと見積もってみて(仮に)感染にかかわる人が、40人いることになる。
都会で密だったはずが、まるで人出が半分以下の田舎みたいなことになる訳です。
そうすると、一人の人が次の人に移す時間は変わらないとして、その時間の間に、次の人と接触する回数がずっと少なくて済む。
行動範囲からすると、人はそうそう新規の人と出会うことはなく、40人に対して感染が始まると最初増えているように見えて、大方がかかって行くと、次の人に当たらなくなって、感染者は減って行くという考え方みたいですが。読んでないけど。
個人的には、小田垣教授の考え方が、一番良いと思う。
まだ、未感染の人が多いと考えて、感染者の発見と隔離をすることで、自粛で篭らなくても接触機会を減らしたのと同じ効果があるので、それで感染していない人は、普通に暮らせるんじゃないかって。
ただ、これは、まじめに感染者を見つける努力をしていかないといけないので、政府が面倒がっている。
神戸大医学部の先生も、そこまでしないといけない感染症か?感染症は、これで最後じゃないからいくらでもある訳で、本気で労力を割かないといけない感染症には労力を割くけれど、そうでないものに都度都度無駄な労力を割いて大騒ぎするのは、カッコ悪いって考えているらしい。
確かに、検査を本気でやるってどれだけ大変?誰がやる?っていうことを具体的に考えてしまうというところが違うのかも知れないなあと思うけど。あれは、10日以上前の記事だったように思うので、今は、どう考えられているんだろうなって思う。
話は、K値に戻ります。
もしも、感染者のあぶり出しが、もっともっとまじめにされていれば、確かに、K値でピークアウトを見つけることはできるだろうと思った。
ただし、誰もが自粛せずに感染者が増えようとも減ろうとも、一切行動を変えない前提だと思った。
もしくは、一部の人だけ怖がってずっと自粛していて、一部の人だけが、平気でずっと動き回っている場合。
仮に、ピークアウトをしたとする。
それで、篭っていた人が表に出てきたら、また新しいグラフができる。表に出てきた時を、初期値として足しあわされて指数関数が始まり、それを対数で取りなおし、新たな収束する値ができて、そこへ向かって収束する。
果たして、人々が自由にした時、収束する累計感染者数は、許容できる範囲だろうかと思う。
収束に至るまでに、医療が崩壊したとする。
そうすると、累計感染者数ではなくて、重症者の推移は累計感染者数に連動するけれど、医療を受けられないことで、死亡者数は新しい収束する値に向かい始める。
そういうところが考えられていないんだと思う。
K値の中野先生は、原子核物理の先生なので、放射性元素が一定の空間にギュウギュウ詰めにあった場合、最初に飛んできた中性子がある原子核に当たって核分裂し、核分裂で核から次の中性子が飛び出して次の原子核に当たって核分裂しと、玉突き式に核分裂が起こる、そういう場合の計算をしている。
どんどん玉突きが起きて核分裂が進むと、もう分裂できる原子核が減ってきてしまって、少々残っていても確率的に中性子が当たらなくなって、核分裂の連鎖が止まるという計算ですが。
原子核は、自粛もしないしマスクもしないさ。
いや。中性子は、飛沫と違って、マスクでは止められないさ。
実際に、今、2倍、4倍、8倍とは増えて行っていない。
これはどう考えたら良いのかって思う。
東京では、民間で検査をできるようになっていて、2900円とか、1980円とかでできるらしい。1980円の方は、サーバが止まって初日ちょっとしか受け付けられなかったらしいけど。
先行して検査している、2900円の方が、2パーセント強の人が陽性らしく。
いま、PCR検査が40サイクルも回すと、その辺に浮遊しているのをたまたま吸い込んだものまで陽性にしてしまうと言われているけど(吸い込んで、唾液で薄められ。唾液だってずっと口の中に同じ唾液はいてないので、飲み込んで次の唾液が出てきて薄められ、その一部を検体にする訳だから、その確率だって低いんじゃないの?って思う。だって、陽性者が2%で、真の感染者がもっと少ないと主張するなら、たまたま吸い込む確率なんてもっと下がるやろ)
その2パーセントを、偽陽性ではなくて感染者と考えると。
感染から感染までを5日くらいと仮定すると、今の感染が横ばいで、1カ月続くなら、6倍で、感染者が12%か。
コロナが言われ出す前は感染がなかったと仮定して、それ以降の重症者が拾えていると仮定すると、今ほど重症者は多くなかったので、既感染の人は、まだまだ少ないことになる。
コロナが言われ出す前からじわっと感染が広がっていて、肺炎で亡くなった人の中に、本来はコロナで重症の人がいたとすると、背景には多くの軽症無症状の人がいたことになって。
こっそり、2~3割の人が既感染であっても、桁としては、あり得る。
民間の検査所ができたことは、きっと良いことだ。
感染が抑えられた時期には、検査に行く人は少なくなるだろうけれど、感染が多そうな時期には、感染者の率が何となく見える。
ただし、東京という都市部の限定された場所だし、一定の調べてみようという行動的な人なので、仕事などで動かざるを得ないなど、篭っている人よりは、値が大きく出そうかなあと思うけど。
それでも、医療がひっ迫の状態で、陽性者が2%強だと。
玉川さんは、100人に1人くらいは歩いているということだから、これは多いと言っていた。
田舎だと、その比率は下がるだろうし。
人々が、密に暮らしておらず。
スーパーも、間隔を開けてお並び下さいと言われているけど、そもそも、並んでない。
田舎の密なところは、学校、会社、病院、介護施設、市役所?ってことになり。
私の暮らしでは、100人に1人以下しか感染者がいないなら、すれ違う気がしない。
田舎で暮らしていたら、なかなか100人すれ違わんもんな。
1日の内に、何人とすれ違うだろう?
本当に、田舎では、未感染者が多く、接触機会が少ないことで、感染が広がってなかったとみるべきなのかもしれない。
だから、感染者が、集団でいる場所でのクラスターなんやな。
梅田駅前とか、三ノ宮駅前とかに、民間の検査所、出来たら良いのに。
陽性率、比較したい。
大阪、どうなんかな?渋ちん多いから、2900円、払わんやろか?
またまた、迷走を始めたので、今日はこの辺で。