12月後半の教室を中止にします

 12月後半の教室を中止にします。

 この後、皆さんにご連絡しようと思っています。

 昨日の夜、決めました。

 goto中止というのもあるけれど、一番の理由は、SNSの一般の人が、神戸で感染して軽症で家族が順に移って陽性だったけれど自宅療養をし、陽性確認から3日は出歩かないようにと言われたという書き込みをしていたのを見たから。

 兵庫県は、感染が確認された人をすべて入院させていると、以前にニュースで読んで、そうなんだと思ってたのですが、感染が拡大しているにもかかわらず、軽症者用のベッドにずっと空きがあるままだったので、どうしてるんだろうと思ってはいたんです。

 神奈川方式に近い感じにして言ったんですね。

 神奈川は、パルスオキシメーターの貸し出しと、健康確認をしているそうだけど、兵庫県はそれもなし。

 勝手に解釈すると、何となく、そういう話をどこからか掴んでいるっていうことでしょう。

 ただ、はっきり言わないのは、今時は「エビデンス」がないと、わーわー言われるご時世だし、そういえば「建前と本音の使い分け」って、日本のお家芸やったもんな。

 科学的には、もやっとするし、欧米の文化からしたら、科学的と受け入れられないだろうな。

 

 つまり、ある程度は、市中感染が起こっていて、横ばいくらいの状態か、じりじりと増えている状態。

 グーグルの予測を見ると、新年に向かって感染者が増えて行き、今、年明けのところまでグラフがあるのですが、ドンと増えたまま上がって行く予想。

 人出が変わると、AIが判定をやり直すため、日々予測は変わるようですが、過去の人出と、今の人出から、予測している。

 毎年、この時期このくらいの人出はあったはずなのに、減っている。だったら、この先も、例年よりも減るだろうといった感じだと思うのですが、減った上でも、例年は年末年始の人出が多かったので、一定数が自粛したことを加味しながらも、徐々に人出が増えるという予測だからだろうと思う。

 この後、実際の感染者が減って行って、人出が減れば、グラフの予測が下がって来るということでしょう。

 

 都度変わって行くということなので、スクリーンショットを張っておきました。

 

 上から、陽性者数、病床使用数、累計陽性者数の推移です。

 とりあえず、どのくらい洩らしながら、どのくらい掴んでいるのかが分からない陽性者数(感染者数とは書かれてないですね)ながら、まあ、増えて行くと。

 なので、止め時です。

 

 先月の後半にどこかで出ていた病院クラスターで、透析患者さんにも感染者がいて。

 昨日見たニュースでは、透析患者さんが陽性で、でも透析で陽性の人を受け入れてもらえず、高度医療を家族が希望しなかったということで、陽性判明から5日後に亡くなったそうで。

 あと、和歌山のデータでは、症状が出た人の内だったか陽性判定が出た人の内だったか、糖尿病を持っている人の9割、高血圧を持っている人の9割が重症化するということで。

 ああ、高血圧もリスクファクターなのねって、思ったんですけど。

 要は、市中感染率が上がることで、私や母、そして生徒さんたちのリスクも上がって行くんだよねってことで、止め時と判断しました。

 

 ただ、和歌山のデータには、見逃されている無症状者は入っておらず、おそらく、全ての高血圧の人の9割でも、全ての糖尿病の人の9割でもないんだろうとは思ってます。

 ただ、いくらかある確率に、自分が当たらないとは限らないって思うので。

 「賭け」をするなら、ある程度低い確率でも致命的なリスクがあるところには、張らない。

 なぜなら、無症状者をあぶりだして、ちゃんとした比率が出されている訳でもなく、どういう人がその不幸なパターンに当たってしまうかという情報もまだ全然出されていないからです。

 という訳で、お休みです。

 年明けは、3週目と4週目なので、様子を見る時間があって、年明け早々にバタバタと判断しなくて良くて、都合が良かったかもしれない。

 でも、年末年始で増えたら、一ヶ月では収まらない可能性もあるなあとは思います。

 皆様、感染対策を取って、お気をつけてお過ごしくださいね。

 

 

 さて。

 この頃考えていたこと。

 先日、ファクターXはなかったんじゃないかと書いたんですけど。

 その理由は、横浜のお医者さんの研究で、感染が確認された軽症、中等症、重症の人に、半年後、抗体が残っているかどうか調べた結果では。

 中等症、重症の人は100%。

 軽症の人で、97%。

 これだけの人に抗体が残っていたという研究と、春に行われていた東京の抗体検査の結果の、陽性者0.1%という結果を突き合わせてのことだったんです。

 これは、感染している人自体が少ないんじゃないのか?

 って、思った。

 それに、感染確認した人の内重症化する人の比率が、ヨーロッパでも日本でも変わらないって記事が出ていたから。

 これは、増えて行ったら、死者は増えるなと思ったんです。

 

 でも、昨日。

 それにしても、マスクや湿潤な気候だけでは、死者数が説明できないよねって、思った。

 自分で書いたブログを思い出しながら。

 既感染の人が一定割合いても、人口密度が上回れば、増加にはなる。

 その増加に、医療のキャパが耐えられなかったら、医療崩壊は起こる。

 もしかしたら、日本は、こっちなんじゃないかと思うようになった。

 

 というのは、東大の名誉教授の児玉龍彦さんの研究で、重症者は、IgM抗体の上昇がはっきりと起こるのに、軽症者は、顕著な上昇が起こらない、これは、既感染であることを示していると考えられるっていう話が以前あったから。

 そして、東京の民間の検査センターでの最初の頃の陽性者が2%台。

 これは、どう考えても、多くの無症状陽性者が見逃されているということ。

 陽性者が一定数治っては、他の人が感染してというサイクルを考えると、今2%程度なら、増減しながらこの一年で、どのくらいの人が感染したんだろうっていう話で。本当の陽性者の累計は何人くらいなんだろうって思う。

 中には、複数回、無症状になる人がいるはずなので、この累計は、延べ人数で、既感染の人の人数とは、イコールではない。

 でも、このペースで罹って行くなら(都会限定かも知れないけど)、過去の類似のコロナの感染だって、複数回の感染なら、相当数になるはずで。

 見逃される無症状者が、相当の数なのは、もっともで。

 そういうことなのかもって思った。

 あれ、神戸大学の岩田教授が、ファクターXはない!ってタイトルの記事が出てたけど。

 もしも、この既感染がファクターXなら、またボコボコに言われそう。

 良かった、一般人で。

 

 だとすると、日本人にとって、コロナはチョロいのか?

 まあ、無症状で済む人にとっては、チョロいんでしょうね。

 問題は、既感染でない人、既感染でも交差免疫の反応が弱い人にとっては、他のコロナよりはキツいっていうこと。

 その不幸な人に、自分が当たらないとは、まだ確信が持てないっていうことなんです。

 なので、今は、用心する。

 で、いつ自由になるのかい?っていう話ですが。

 例えば、アビガンとアクテムラとかの組み合わせで、有症で感染が見つかった際に治療してもらえたら、死なないだろうみたいな流れがきっちりできた場合とか。

 他国で先行しているワクチン接種で、なんか大丈夫そうだし、かなり流行を抑えられているみたいだから、じゃあ日本でもってことでワクチンが普及した時とか。

 これはなさそうだけど、自分の交差免疫がそこそこ大丈夫そうだと分かった時。

 ただし、3つ目に関しては、じゃあ、流行させても平気っさ~!って、やっちゃうと、交差免疫が弱い一部の人を見殺しにすることになる。

 だったらどうする?

 究極言うと、感染が立ち上がる前に、極力多くの人が動きを止めるロックダウン。

 ぼちぼちくらいに減ってから、春先にピークアウトしかかったときに、ダメ押しのロックダウンで、できる限り、ウィルスを減らす。

 そのココロは。

 本来なら、強毒のウィルスは、宿主を殺すことで広がれなくなって絶滅し、弱毒の物しか残らないそうで。

 でも、このコロナは違う。

 コロナにしては強毒なのに、軽症者を伝わって伝搬してしまう。

 なら、人為的に、淘汰することができたら。

 そのためのロックダウン。

 そうしているうちに、弱毒のものが残るかもしれない。

 

 ロックダウンをやけに嫌う向きがあるけれど、我慢した結果が、(多分)自由なんだよって、説明されたら、ちょっとは協力しようっていう気になるんだと思うんですよ。

 この春の緊急事態宣言が、8割減とはいかずに中途半端に、だらだらと長引き、十分に消える前に中途半端に終わってしまったのは、緊急事態を口にした安倍さんが意味を理解しておらず、明確なメッセージにならなかったから。

 感染が拡大してしまう(おそらく類似コロナへの感染歴があまりない)ヨーロッパと比べて、効果は出たはずだから、もっとちゃんと伝えたら効果も出たと思うんだけどな。

 大体、安倍さんは、表面上の数字を見場良くすることが大好きだからな。

 私は、見かけは良い。

 中身が欲しい。

 なぜなら、自分が、中身がない事に気付いてしまうなら、そんな価値のない事に自分の労力と人生をささげるのは、まっぴらだから。

 でも、この後どうなるのかは分からない。

 そういうメッセージを発する人がいないので、日本人は、ゆるゆると、右見て左見て、沖縄のニシバマのサンゴの根に住むキンメモドキやデバスズメダイみたいに、空気で動いて行くんだろう。

 私自身も、今回はそうなった。

 だって、前回、みんな真面目に自粛するだろうって信じて、真っ先に教室を止めたら、ウチは止められないからとか言いながらだらだらハンコ押しに社員を出社させる会社があったのを見て、本当にやり切れなかったから。

 みんなで止めたら、効果が出て、みんなが幸せなんやで!アホですか?

 でも、昔と違ってあきらめたんだ。

 神様が作った多様性は、どうしようもなくて、私と正反対の人がいるのも、また、神様の摂理だとこの頃は受け入れているから。

 多分、本当に多様でないと、今は自分が正しいと思っていても、一方向に向くだけでは、本当にいけないんだと思うから。

 でも、ウチが都市圏ならそれでももっと早く止めたと思う。

 小野だったから、日和った。

 でも、生徒さんは神戸や姫路などのエリアの人もいて、田舎の人もいて、そこをシャッフルすることの罪悪感を持ちたくなかったから、小野だからよりは、もうちょっと早く決めた方が良いとは思いながら。

 だらだらしました。はい。

 言い訳、書きました。

 

 結局、日本で検査が進まなかったのは、そういうことだったんだなと思う。

 私は、無症状者が少ない事実も、日の下に晒して、クリアにしたい人だったけど。

 それをやっちゃうと、動かなくなる所があるんだろうな。

 で、ダブルスタンダード。

 「建前と本音」ですね。

 ただ、ホンマにそれが良いんだろうかって思う。

 見通しをちゃんとクリアにして、大丈夫、何とかなるから不安にならないで、明日は明日で違う世界が広がっていて、良いことと悪いことはいつでも抱き合わせでやって来るけど、未来にはきっと仕事だってあるさって、メッセージを発したら、自殺しないですんだ人はいるんじゃないの?って思う。

 それもまた、過酷な適者生存なのか?

 敏感な人は、淘汰されるように見えながら、5人に1人が自殺するわけではないから。

 自然界の適者生存は、遺伝的な有利さで生き残るだけでなくて、運不運の偶然も働く。

 同じ人でも、環境がアンラッキーだったら、不運の側に落ちる。

 そう考えたら、死んだら損だと思う。

 自分が何にも残せていなくて、自分のことを認められなくて、何なんだろうなこれって思った瞬間もやっぱりあって。

 今まで頑張ってきた自分が否定されたと思った瞬間、人は絶望する。

 その瞬間は、誰にでもあると思った。

 でも、やっぱり、生き抜いた人が勝ちですよ。

 

 そんな訳で、人生考えた。

 考え事が趣味と、日ごろから行っている私にとっては、結構大きなテーマで考えることになって。

 まあ、こんなのも良いのかなと思った。

 

 という訳で。

 自粛してできる楽しみを見つけて、楽しく過ごしましょう。

 

 多分、年明けのグループ展は、人出は見込めないだろう。

 とりあえず、作った作品までは持ってかれないからって、誰か昔言っていたぞ。

 年内は、作品作りを頑張ります。

 やっと乗って来ました。(笑)

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