非常事態宣言が出ました。
教室は、お休みにすることに決めました。
13日(水)に教室があったので、12日(火)には、みなさまにお知らせしました。
判断が難しいウィルスだと思います。
去年、ダイヤモンドプリンセスの時には、結構警戒し。
実は軽症者が多いと聞いて、ただの風邪なのでは?と思い。
イタリアの状況が伝わって来て、一気に警戒心が出てきた。
来る!来る!と身構えたものの、イタリアやニューヨークのようにはならなかった。
ある程度、使える薬ができて来て、夏ごろには、初期では重症化していた人たちも、早く処置をし、やり方も見えてきたことから、重症化する人たちが抑えられてきたと聞いた。
夏にはもちろん、ウィルスが不活化しやすいために、田舎にはウィルスがいる気がしなかった。
このまま、あわよくば、重症者が医療のキャパを超えなければ、ぼちぼち日常生活が続けられるのでは?と、思い始めていた。
ただ、母のこともあって、冬場は大人しく様子を見守った方が良いんだろうか?少なくとも母と出歩くのは、10月いっぱいで終わり、春を待つしかないだろうなと思って、お出かけ納めに出かけたりした。
でも、医療のキャパを超えようとしていますね。
もしも、医療のキャパを超えなければ、過剰に恐れずに暮らそうと思っていたんですが。
今変に動いて、コロナ以外の病院沙汰になると、何かと厄介です。
純粋に、損得勘定で、動きを抑えることにしました。
きっと、落ち着いてからの方が、生徒さんたちとも、お互い気持ちよくお会いできるだろうなと思うんです。
今日、モーニングショーで(出た!)、ノーベル賞受賞者の方々が、5つの提言をされていた。
内容を聞いて、うれしかった。
世の中は、合理的で正しいことで回って行くわけではないし、本当に不合理で間違ったことがまかり通っているんだなというのを目の当たりにしたこの頃だったのですが。
人間の認知機能と問題解決を、歴史的にどんな方法でやって来たかを考えると、まあ、そうなんだろうなって、あきらめとともに受け入れるしかないと思っていたこの頃だったんです。
その不合理を乗り越えられる人だけが、何かを成し遂げられるんだろうなって。
正しくないことに腹を立てるだけでは、現実の世界を生き抜けないだろうなって。
ずっと前から、メルケルさんが好きで、安倍さんとメルケルさんのやりとりが嚙み合ってないのを見ても、ああ、ドイツ人羨ましいって、良く思ってたし。
と、そんな中で、ノーベル賞受賞者の4人が、5つの提言をされていた。
結局、日本人は空気で動くので、権威がある人が言葉を発する必要がある、その役割を果たすべく、動かれているのは間違いない。
声明
過去一年に渡るコロナ感染症の拡張が未だに収束せず、首都圏で緊急事態宣言が出された。現下の
状況を憂慮し、我々は以下のような方針を政府に要望し、実行を求める。
一、 医療機関と医療従事者への支援を拡充し、医療崩壊を防ぐ
二、 PCR 検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離を強化する
三、 ワクチンや治療薬の審査および承認は、独立性と透明性を担保しつつ迅速に行う
四、 今後の新たな感染症発生の可能性を考え、ワクチンや治療薬等の開発原理を生み出す生命
科学、およびその社会実装に不可欠な産学連携の支援を強化する
五、 科学者の勧告を政策に反映できる長期的展望に立った制度を確立する2021 年 1 月8日
大隅 良典
大村 智
本庶 佑
山中 伸弥
(五十音順)
番組中に聞いたことを補足すると。
➀医療従事者への支援
医療のキャパを確保しつつ、効率的にするためには、コロナ専門病院を作って集約的にする方が効率的だと仰っていた。
多くの病院に分散してコロナ患者を受け入れることは、動線を分けることが難しいし、両方に対応する効率の悪さがあると仰っていた。
②PCR検査の拡充
検査拡充に積極的でなかったことは、コストの問題があったからだろうと思うと前置きされ。神戸の企業で、トレーラーに検査設備を乗せたものを作った会社があって。80分で250検体を検査可能。これを何台だったかを導入すれば、初期のコストがいくらかかって、一日何件だったか検査できると、金額まで示されていた。
もちろん、GOTOに充てられる予算より、ずっと少なくて桁が一つ少なかったと思う。
検査と陽性者の隔離をすれば、ずっと少ないコストで、経済が回せると。蔓延させながら、経済を回すのはムリだと。
③ワクチンや治療薬の承認
海外では、イベルメクチンなどの効果がかなり評価されているらしい。ワクチンなどの治験も、海外と連携し、自国だけでやるのではなく迅速に承認するなどの方法を取るべきと仰っていた。
確かに、イベルメクチンなんかは、広く使われている物らしいので、安全性を一から確認する必要はない。
④生命科学の基礎研究と産学連携の支援
日本では、こういった支援に関して、イノベーションを起こすことを期待しつつも数年先までの見通ししかない状態での支援がなされているらしく、もっと長期的な視点で、基礎研究も産学連携も実現するように支援すべきと仰っていた。
⑤科学者の勧告の政策への反映
今は、政府へ勧告すべき機関が、すり合わせの場所になってしまっていて、ちゃんと機能を果たすような仕組みがいると仰っていた。
もっと、時間を取って欲しかったけどな。
限られた番組内だったので、足りなかったと思います。
かなり、具体的なところに踏み込んで考えられているらしい。
番組中は意識しなかったけれど、研究でノーベル賞を貰えるというのは、何かしらを成し遂げる力があった人たちなので、大局観もないといけないし、それを実現するために具体策に落とし込んで行ける能力ももちろんあったということなんだろうなあって、今になって思う。
④⑤の話の時間が、全然足りなかった。もっと聞きたかったと思います。
緊急事態宣言の前に、教室のお休みを決めた。
でもまあ、お休みにするだろうな、するだろうなって言いながら、緊急事態宣言を出すだろうって流れになって、やっと。
ただ、ものすごく納得して従うのではないんです。
できることがあったのに、やらなかったでしょ?もっとやりようがあって、もしかしたら違うシナリオになっていたかも知れないよって思う。
もしかしたら、それでもダメだったかも知れないけど、それでもダメだったら、もっと納得していると思う。
検査を拡充して、陽性者を見つけて隔離なり自主隔離なりをしてもらう。
そうすれば、止めなくても済んだ可能性がある。
なぜなら、コロナは、判断に迷うくらいのウィルスだから。
欧米であれば、無理だったと思う。
東アジアには、やはりファクターXはある。
検査をしないことで水面下では、多くの無症状者と軽症者が見逃されていて、海外のように多くの検査をすることで、そこを見つけ出せば感染者数が増える。
一方で、重症化して亡くなる人は、ある程度捕捉できている。
結果、致死率は下がると思う。
それを欧米と比較すると、やはり、致死率は低いという結果になると思う。
致死率が低くても、医療が逼迫、いやすでにキャパオーバーしているということは、決して侮ってはいけないものだと思う。
それでも、新型コロナウィルスのリスクを正しく評価して上で、対策を打つべきなんだろうと思う。
ただ、日本は、そういうことができなかった。
それは、凄く残念なことで、これほど追い詰められて初めて動ける。
もっとも、欧米は、いきなり追い詰められたから動けたのかも知れないけど。
それを見ながら、時間稼ぎができている間に賢く動けなかったのかと思うけれど、人はそうはできないんだなあって、思った。
結果、医療のキャパをオーバーして、自宅待機中に亡くなる人が出てきてしまった。
この後感染者は、まだ増えるだろうと思う。動いた分があるから。
そういう危機があって、初めて変えて行けるものがあるんだろうかって思う。
例えば、感染専門の病院を作れるような仕組みとかを考えようという動きとか。
医療に関しても、見直しはいるんだろうと思う。
提言にあった内容は、コロナのパンデミックをきっかけに提言がなされたけれども、もともとの日本が抱えていた問題で、何事かがあると、その歪みの大きかったところが負荷に耐えられなくなって、明るみに出て来るんだと思う。
若者が軽症で、高齢者や基礎疾患を持つ人には脅威。
それで、若者が犠牲になるくらいなら、高齢者世諦めてくれ!って、声が大きくなってくる。
簡単に言えば、「あほっちゃ~う!」くらいに思う。
本当の危機、もっと多くの人がバタバタ倒れ、どんなに頑張っても医療が吹っ飛ぶくらいの危機に直面したら、若者なんかに言われなくても、若者を優先するよ。決まってるやん。大事やもんね。
でも、今言うのは違うで!
なぜなら、やることをやってないから。
今まさに、歪みを是正できる大きなチャンスなんよ。
いろんなものがあぶり出されたこの時に、もう一回、介護問題を解決しておくべきなんよ。
それは、一見、介護を受ける高齢者のためのように見えつつ、現役世代のため。
政府は、介護方針を在宅にかじを切った。
その意味の大変さが分かるのは、若い人は、この先で、自分の負担が大きくなったことに愕然とすると思う。
ある程度安全な場所に集めて、何人かの現役世代の人が、その数倍の高齢者を見ることで、現役世代の人が他の職に就ける。
ここをきっちり合理的に作って置けば、現役世代が動けるし、特養の空席の熾烈な席取りをしなくて済むかもしれない。
今のデイサービスのままでは、在宅介護では、家族は働くことができない。絶対使えるものに変えておく必要はある。
他にも、やって置くべきことは、いろいろある。
それをやらずに、簡単に高齢者よ死んでくれ!そしたら若者楽になるで!とか、一番安直な方法を取ってしまったら、問題だらけで弱者切り捨ての未来を迎えることになるのは、他でもない若者たち。
弱者であることが、生きる価値が低い事という価値観を持ってしまったら、自分が弱者になった時、自分を肯定できなくなるんだけど。
違う違うと否定しつつも、心の奥底で、どうせ自分なんて邪険にしてるんだろうって被害意識を持って生きてしまうって、あんまり賢くはない。
若い世代との間柄もぎくしゃくするし、もめたらもめるほど、消耗するけどなあ。
と、コロナ禍で、考えさせられる。
本当に、巧妙で、恐れて良いのか恐れなくて良いのか、難しいところを突いて来られると思う。
それでも、もうかなりの高い確率で死んでしまうかも!程の恐怖感はない。
じわじわと、真綿で締められるみたいに、医療へのアクセスができなくなって、何事かあったら危ないんだよね、安心感が脅かされているよねくらいの感じで迫って来ている。
不謹慎にも、神様のいたずらのようにさえ思える。
でも、きっと最後には、真実が残る。
追いつめられたら追いつめられるほど、ごまかしや嘘は吹き飛んでいくと思う。
どうなって行くのか。
バタバタ死んでしまうような脅威ではないんだろうな。
すべてを合理的に解決できるわけではないんだろうな。
できることをしながら、成り行きを見守るしかないなあって思います。
ただ、日常は、意外と変わっていません。
ランちゃんの散歩に出ると、世界はそのままだし、四季の移ろいは感じるし。
一時、コロナのことなんて本当にすっかり忘れていたりする。
そして、何を作ろうか、考えながら生きている自分がいるのでした。
あ、最近、お肌、絶好調です!
↑なんやそれ