どんな未来を見ているんだか

 そうか、施政方針演説っていうんやな。

 菅総理の演説。

 ちゃんと聞いていません。

 ニュースなどで切り取られて要約されたものを聞いて、ふ~んって思った。

 

 コロナについて割かれた時間が少なかった。

 そして、コロナ後に、「グリーン」と「デジタル」で、経済を回す。

 とまあ、そんな演説だったらしい。

 

 ああそういうことなんだなって、前々から、もしかしてそうかなって思ったものを確信した。

 つまりどういうことかというと。

 コロナ禍は、弱者だけしか痛手を負わないので、そこそこの対策をしておけば未来が来ると思っているんやな。

 で、その来るべき未来のためにやって置かないといけない事があると。

 今は、コロナに向き合う部分を強調しないと、国民の気持ちと離れてしまうと解説していた人がいた。何ならコロナだけに時間を割いた方が良かったと。

 

 菅さんのコロナ対策には、本当に腹が立っている。

 一方で、人々がけちょんけちょんに言うていた演説の中身に、期待している私がいた。

 というのは、「グリーン」なんですよ。

 脱炭素を目指すと、菅さんは言った。

 疑っている私がいた。

 これを、安倍さんが言えば、必ず、原発への未練たらたらで、原発は二酸化炭素を排出しませんっていうんですよ。

 ずっとずっと、嫌でたまらなかった。

 一つは、原発をやめない事。

 一つは、再生可能エネルギーにかじを切っておかないと、諸外国にこれ以上遅れを取るのか?と、ずっと思っていた。

 過去の欧米の傾向を見ていれば分かるんだけど、欧米がこれは環境に良くないとか、人間の体に良くないとか考えたものに関しては、そこに早く対応しておかないと、対応していない物が売れなくなる。だから、慌てて日本の企業が対応してきた過去がある。再生可能エネルギーで作ったものでなかったら、買ってくれなくなる日はすぐに来るだろうって、思っていた。

 ただ、菅さんの言葉の断片だけを聞いた感じでは、ここだけは、安倍さんとは違う。

 正義のための再生エネなのかどうかは分からないけれど、欧米に対して商売ができなくなるという切り口からも、どうも原発固執ではなくて、本当に再生エネに向き合おうとしているらしい。

 本当に心からホッとした。

 デジタルに関しても、日本は、後れを取っている。

 もちろん、ここもやらなくてはいけない。やって欲しい。私はちょっと苦手分野だけど。

 コロナ対策で、アホや!、知性ない!、最悪!って、ものすごく嫌いだった。

 だから、人ってそういう一貫性を保ちたいのに、グリーンには心が動いてしまった。

 もしも、菅さんが退陣することになっても、ここは引き継がれて欲しい。脱炭素宣言しちゃったので、このまま弾みがつくと良いなと思う。

 

 さて、コロナ対策ですよ。

 コロナ対策も、ちゃんと国際基準でやって置く必要はあると思うんです。

 検査の拡充反対論の人たちの罪は大きい。

 私個人としては、コロナが日本人にとって、仮にチョロかったとしても、検査できる国であってほしかった。

 なぜなら、SARSの教訓で、韓国と台湾が、いち早く対応できる検査体制を作り上げていた。

 日本も、コロナで、検査体制を作っておいて欲しかったんです。

 でないと、この先、感染症は、大きいの小さいの、きっといろいろやって来ます。

 昔は、自然界からやって来て、人間の間に感染が起こっても、集落と集落の行き来が少なかったことで、1つの村が全滅くらいのインパクトで起こっていた可能性があって。

 今は、都市化と交通網の発達で、感染症が広がりやすい環境がある。

 だからこそ、都市自体を、感染症対応の都市にしておかないと、感染症の度に右往左往することになるし。

 今回は、東アジアがたまたまラッキーだったようだけど、次の感染症は、全世界に等しい被害があったとしたら、検査体制のない日本は、もっとも痛手を被ることになる。

 

 もっと目先のことを言えば、今の新型コロナ(コビット19)に関しても、どう落としどころを見つけるのか、困り果てている。

 高齢者が死ぬのは寿命だという人がいる。

 ある意味、医学が発達していなくて、本当に目先の食べ物がなくて死ぬ状態なら、一部の人が死んでも、他の人が生き残る選択をせざるを得ない。

 でも、今はまだそうではない。

 あきらめが早すぎるのって、まずいんです。

 なぜなら、やることをやらずに投げたことが、諸外国にバレてしまうと、日本の民度を、それで測られてしまう。

 そして、今のところ、欧米人にとって大きな脅威とされていて、まだ、東アジアはそこまででなく。

 ファクターXが何であれ、一説では、ネアンデルタール人の遺伝子が影響しているのでは?という説があったりする以上、「コロナはね、日本人には風程度なので、放置の方針なんですよ」何て言うのがバレたら、欧米人から見た時に、ビジネス相手として、格下げされてしまうと思うんです。

 科学が通じない、野蛮な国だなあって思われる。

 それって、経済でも、マイナスが大きい。

 実際に、ただの風邪とは違うし。

 それは諸外国に向けてだけでなく、さすがに国内でも、諦め良く弱者切り捨てしますって、正面から言えず(言ってもらっては困るしな)、結局、経済を止めることになる。

 ならば、PCR検査を増やすことで、そこのコストをかけても、きちっとコントロールすることで、どの程度恐れるべきものかという評価ができるし、経済が動いていくと思う。

 建前が揃っていないと動けないのなら、その建前をきちっと作るために、横着せずにデータを積み上げる必要があったと思う。

 そのためのコストを、もったいないと思う人が、日本の中で一定のポジションにある人が思うのなら、ずいぶんと貧乏くさい。

 実際には、私の方が貧乏だと思うけど。(笑)

 お金を使うところがセコイと思うんです。

 

 が、一方で、口にしてはいけないような疑いも持っている。

 菅さんは、もしかして、意図があって放置しているのではないか?

 でも、違うのかな。

 意図して放置は、「この機を使って、弱者を切り捨てておこう」という意図。

 高齢者、風前の灯火の生産性の低い企業。

 機能しなくなった古い枠組みを壊して、産業構造が変わらないと、新しく変わって行けない。

 それに利用しようとしているんじゃないのか?

 もしも、そんな目論見があるなら、セーフティネットを整えて、古い枠組みの中にいた人が新しい枠組みにシフトできるまでの凌ぎを、ちゃんと手当てしないといけないと思うんだけど。

 

 私と菅さんの関心の違うところは、圧倒的に、高齢者問題への関心の違いだと思う。

 それから、感染症対策。

 言ってみれば、高齢者のケアや、病気になったときのケアは、外貨を稼ぐために売れる商品を作るみたいな部分とは、全然違う方向で。

 昔で言えば、「ハレ」と「ケ」みたいな、晴れ晴れしいジャンルと、弱点をカバーするための地味なジャンルの違い。

 菅さんは、「ハレ」の部分にしか興味がないんだなって思う。

 「ケ」の部分も、間違いなく人が生きる事に絶対についてくることだし、見ないではいられない。

 若いころの私もみなかったけどさ、いい年してくると、そこも見るようになるんだけど。

 きっと、女性に丸投げみたいな、昭和な考え方なんだろうなと勝手に思っている私がいる。

 ほんとうに、「ハレ」である「グリーン」と「デジタル」に、「ケ」である医療と介護、さらに子育てと、一見地味に見える物への関心があればなあと思うけど。

 ないな。

 実感が薄いからなんだろうと思うけど、ない。

 介護は、在宅に舵を切った。

 ところが、今の介護制度では、働きながらだと、丸投げして預けてしまわない限り、働けない。

 そりゃ、親子関係はいろいろなので、親と離れていたい人もいると思うけど。

 親を預けてしまわずにどうにかと考えている人たちのための制度が薄いんです。

 今のデイサービスでは、フルタイムはもちろん、パートでも厳しい。

 丸投げで預ける場合でも、デイサービスのような通所サービスを使えるものに変えていく場合でも、感染症対策はしておかないと、多くの人をまとめて預かって、預かっている人数の何分の一課のスタッフで回すという枠組みが、使えなくなる。

 一対一で介護をすると、世話を四六時中している訳ではないのに、自分の時間が切れ切れになってしまって、できないことが増える。

 だからこそ、まとめて預かってもらい効率を上げることは不可欠だと思う。

 そこのシステムを上手く作り込んで、自分自身もそうだけど、その親世代が使う時でも、一定の安心が必要になる。

 その上での人手が、働き手になる。

 おそらく、子育ても一緒だと思う。

 こういう仕組みづくりは、まさに公助ですべきものだ。

 事業者が民間でもね。

 やっと今回の演説では、自助公助共助を言わなくなったらしい。

 市役所関連の人に、2か所で各1回ずつ言われた時、「ぷち」って、心の中で切れた。

 公助をする立場の人の口から、「自助公助共助」って、何なんなん?って思った。

 公助は、まさに、自助というレベルの小さい部分からはやれない、大きな仕組みづくりこそが仕事じゃろ?

 何言うてくれてるんですか?

 って、思ったんだけどね。

 

 と、そんなことを考えていた。

 でもな。

 とりあえず、諸外国並みの感染症対策をしてないと、「後進国の野蛮な国」認定受けそうな気がしますけど。

 コロナに関しては、あまりに正攻法でやってくれないことにイライラが募り、思考停止しそうになる。

 絶望をしている人がいるのを見ると、それを放置する事への怒りがある。

 個人的には、絶望しなくても、どうとでもなると思うし。

 本当に生きていれば、楽しいことって絶対出てくると思うし。

 仮に、また物のない時代になったところで、人とのつながりの中に、人は楽しみを見出すと思っている。

 そういう風に思える人ばっかりではない。

 だったら、リーダーっていう人が、大丈夫だよって、言ってあげないといけないと思う。

 何でやらんねん?

 ホンマに、小さいわ!

 

 すみません、また口悪く終わろうとしていますが。

 本当に追い詰められないと動けないというなら、追いつめられるのを待つしかないのか?

 とりあえず、生き残りましょう。

 

 さ、仕事に行こうっと。

 ↑売れるのか?な、作品を作りに

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