価値観の不一致なのね

 今日、出先で時間待ちをしていて、ワイドショーうるさいなと思って、聞くともなしに聞くことになった。

 元貴乃花と息子の確執の話。

 人んちのゴタゴタ、ホンマに興味がない。

 しかも、景子さんに関しては、冴えない同世代女子からしたら、鼻につくことしかなくて、僻み盛り盛りで、嫌いな女だったからな。

 良いやん、子供欲しかったなという気持ちがどっかにある私からしたら、好きに揉めてろって思うし、これが家なら速攻チャンネルを変えているところ。

 

 でも聞きながら思った。

 昔の私ならそんなことは思わなかっただろう。

 息子は靴職人になるべく、イタリアへ留学したが、途中で帰って来た。

 そして、テレビなどでもてはやされるようになった。

 そもそも、靴職人になりたいからイタリアへ行きたいということには、母の景子さんは反対で、父の貴乃花の方が背中を押した。

 で、何らかの理由で、息子は留学を切り上げて、イタリアから日本に帰って来た。

 その息子が、テレビなどのメディアに取り上げられるようにいろいろとプッシュしたのが母の景子さんだった。

 ところが、父にしてみれば、職人として中途半端なまま帰ってきたことに納得が行かなかった。

 ここで、息子の言い分としては、イタリアから帰って来たのは、父の母に対する態度がひどく、2人の妹からSOSがあったために帰って来たと。

 ところが、父の言い分としては、夫婦の意見の食い違いで争いがひどくなったのは、長男が返って来てからのことだった。

 

 ふ~ん。

 私ならどっちかな。

 職人として中途半端なら、イタリア帰れ!かな。

 で、芸能活動をしたいなら、靴職人と名乗るなってとこかな。

 実際、貴乃花は、親子げんかで息子に対して自分を売り出したいなら、親の名前を使ってくれるなと言ったそうだ。

 

 ここで見えてくるのが、景子さんの生き方と、貴乃花の生き方の違い。

 貴乃花は、始めから注目されていたところがあって、そこは本人は意識していないと思うんだけど、一方で、ただただ相撲に精進することだけを考えていれば、世間が認めてくれたと思っていて、それが成功体験になっている。

 一方で、景子さんは、ああそうだっけ?と思うけど。大学生の頃から、モデルとしてチヤホヤされて、バブルのさなかにフジテレビ入社で花形アナウンサーで、時代に押されたのと、本人の美貌とコミュニケーション能力といろんな自己研鑽の努力で、注目を浴び続けて、貴乃花と結婚。

 とんぼ玉作家をやっていたら思うんだけど、売れるって、どうすればいいのって話で。

 この夫婦はそれぞれの方法で、売れた訳で、それぞれの成功体験がある。

 貴乃花は、もともと、知名度を上げるところはやらなくても初めから持っていて、技を磨くことで、上手く完結した。

 景子さんの方は、最初に売り込みありきで頑張った。が、彼女の場合、コミュニケーションがメインの世界で、専門性の高い特化した技術を要求されはしない。いや、専門性が高いという意味では、コミュニケーションの技術っていうのがメインの世界だ。

 この二人が、それぞれに、息子のことを心配した時に、意見の食い違いが起こってしまったんやね。

 靴職人として売れるにはどうしたら良いのか?

 一つには、絶対的に専門性が高く腕が良いということは必須だと思う。

 でもそれだけでは、売れない。

 靴という道具としてみた時に、履く人がいて、その人が何を求めているのかというのを察知するコミュニケーション能力もいるし。

 それだけで、口コミで売れて来ることもあるかもしれないけど。

 実力の上に、知名度が上がるチャンスがあれば、きっとうまく行くんだろう。

 どっちも欲しいな。

 が、貴乃花は、技術偏重で、景子さんは、コミュニケーション偏重だったってことだ。

 そして、息子としては、母について行って、職人として甘えることを選んだ。

 まあ、お父ちゃんやったら、心配込みで、怒るわな。

 結局、人って、自分の価値観の外側にある、他の価値観で有用なものをなかなか認められないんだなあって思う。

 靴職人というけど、確かに、ボンが帰って来た年齢を考えると、本当のところ、職人って言って良いんだろうか?

 もっともっとを願うなら、そんな年数では帰って来られないと思うな。

 職人に向いていない。

 それを、靴職人っていうのを、ただの飾りとして芸能活動をするって、どうにも醜く思えてならないんだけど。

 景子さんは、それで良かったのか。

 だったら、芸能活動一本で、頑張ってみるという方向もあったはずなんだけど。

 価値観の不一致が、如実に出てしまったのは、こういうところだったんだなあ。

 

 本当に、成功するって簡単じゃないんだなって思う。

 技さえあれば、腕さえあれば。

 それで食べて行けるとしたら、そういう枠組みが出来上がった世界だけかもしれない。

 例えば、そろばん職人だったら、市場があって、問屋があって、腕が良かったら信用もあるし、仕事依頼が来た。

 が、時代が変わったことで、維持できなくなって、地場産業丸ごと急激に縮小してしまった。

 道具物の金物も、必要な物だから、この人にしか作れないという物を作れていたら、アピールの部分はあんまりやらなくてよかった時期があったかも知れない。

 ただ、冷え込んでくる地場産業だけど、間違いのない技術はあるので、良さを知ってもらうアピールをすれば、新しい顧客に当たれるという意味では、知ってもらうためのコミュニケーションの部分も、実は必要なんだと思う。

 

 今作家活動をしても、腕とセンスだけでぐいぐい売れている人がほんの一握りいる。

 他の人たちは、必死で作ることもアピールすることも、自分でやらないといけない。

 まあ、自分でやらないといけない人というのは、結局作品の「引き」みたいなものが弱いからかも知れなくて。

 その「引き」の弱さって、コミュニケーションの欠如なのかもしれないとか、思うことがある。

 

 景子さんの側の、職人としての技術に対するリスペクトの欠如とか、貴乃花の側のコミュニケーションの重要さへの気付きの欠如とか、ふとそういう物を見た時に、自分の問題に返って来た。

 そうなのよ。

 売れるって、難しい。

 

 ああ、待ち時間のおかげで、普段見ないものを見てしまった。

 その待ち時間の先にあったものと絡めて、自分がこの先、何をどう考えてどんな自分で生きて行くのか、ふと考えてしまった。

 ちょっと、不調だったので、工房の模様替えは中断して、ゆるゆると休んでいるのですが。

 寝て寝て寝て、脳ミソの方は、凄く休めたと思う。

 脳の中の老廃物が排出されていればいいな。

 

 金曜日くらいから、工房の模様替えを再開して、来週中には終わらせたいと思います。

 2月後半からは、今のところ、感染対策を取って、教室再開と行きたいと思います。

 天気予報が、激寒いので換気不可能っていう悲惨な物でなかったら、教室は再開します。

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