「メタモルフォーシス」とは、生命のライフサイクルのことなんだそうです。
日本語で言うと「変態」ですが。
カエルが卵から孵って、オタマジャクシになり、足が生えてカエルになる。
クラゲの卵が孵り、プラヌラ、ポリプ、ストロビラ、エフィラ、成体のクラゲと変わって行く。
高校の理科で、シダの生活史の話が出てきた。
私たちが良く知っているお正月の飾りの状態の「シダ」と、「前葉体」という状態がある。
お正月飾りの状態のシダの葉の裏には、胞子嚢が付いていて、そこから胞子が出て空中に散り、その胞子が育って前葉体になる。
前葉体はハート形で、ハートの上の方には卵を作るところが、ハートの下の方には精子を作るところがある。これが受精して、そこから発芽したものがお正月飾りのシダのようになる。
お正月飾りの方を「胞子体」、ハート形の方を「配偶体(前葉体)」というそうだ。
胞子体は、2nと書いてあるので、DNAを2対持っていて、配偶体はnと書いてあるので、DNAを1対持っている。
シダで言えば、2nの胞子体の時は、無性時代で、nの配偶体の時が、有性時代なのだそうだ。
そうそう。
理科Ⅰで生物を教えてくださったタクロー先生は、とっても個性的な人で、アインシュタインとベートーベンを足して割ったおっちゃんが白衣を着ている感じの人なんだけど、突然おもしろい導入から入る。
「〇〇ちゃん(先生のお気に入りのいっつもニコニコしてほんわか見えるのに、めっぽう頭の良い女子)アンタ、オスか?メスか?」
その次には、クラス中の生徒に向かって、「オスか?メスか?」って、聞き、席の間を順番に聞いて回った。
そして、タクロー先生は言った。
「君たちは、オスでもメスでもありません。あなたは、あなたというオスでもメスでもない個人に、オスまたはメスが寄生した状態なのです。なので、オスでもメスでもなく、男性であり、女性です。」
なんかよく分からんけど、そうなんや~って、聞いていた。
それはつまり、この、シダの生活史の話と絡めた話なんだけど。
タクロー先生の話は、そこまでで、後は個々受け取れば良いって感じだったんでしょうか。
生物学的には、DNAを2対持っている組織は、無性状態の組織で、DNAを一対しか持っていない組織だけが、有性状態ってことになる。
時々、そうなんかな?って、思い出していた。
ただ、そういう個人も、女性ホルモンの影響を受けて、女性は女性の特徴が備わる。
もちろん、バックグラウンドが違うので、そこには個体差はある。
ただ、間違いなく、何らかの特徴は出て来る。
とんぼ玉教室をしていると、普通に生徒さんたちに出会う以上に、作業をする状態の個性を見ることになるので、やっぱり違うなあって思うことはあります。
一つ顕著なのは、男性は、全般に規則的で幾何学的なものが好きで、女性は、不規則でイメージのメッセージが強い物が好き。
もちろん、女性でも、幾何学的なものが好きな人もいるし、男性でも、技術的な部分を直感的に受け取る人もいる。
色彩に関する反応は、女性の方が強いように思う。
先日のバイアスの話。
もともと見つけた記事は、黒人の人の研究で、黒人は頭が悪い的なバイアスがかかると、そのバイアスに合わせようとするかのような結果が出るし、女性は数学が苦手というバイアスがかかると本当に数学が苦手になるというもの。
子供の頃から、時々感じていた。
一つは、クラスの中に、背が高くて身体能力が高く、運動ができる女子がいる。
そうすると、まわりは、彼女のことを「しっかりしている」というバイアスをかけて見てしまっている。
よく見ると、メンタルは繊細なんだろうなと思っていた。
見た目からの期待値と、実際には、ギャップがある。
こないだのブログで、ダイエットに成功してメイクをまじめに始めて、キャラを変えた後しか知らない一人の生徒さんに「女性の割には、論理的」とか、何回も言われた話を書いたのですが。
後から、読んでいる人をミスリードしたかも知れないなあと思ってしまった。
元のキャラに戻ろうとしたのは、この、やたら「女性のわりに・・・」と言われたようなことが理由ではないんですよね。
実は、ほとんど気にしておらず。
「人間観察が薄いですな!」とか「申し訳ないけど、中学レベルまでなら、数学も理科もめっちゃ得意で、腹立つくらい論理的です」って、心の中で、ペロっと舌を出していた。
むしろプレッシャーだったのは、見た目を女子女子してしまうと、女子としての優しさや気遣いみたいなものを過剰に期待される気がして、それを裏切られたと思った瞬間に、相手が傷つく感じがプレッシャーだった。
すみません。力不足です。
いえ、むしろ、自分の興味のある事にロックオンされてしまうと、周りが見えなくなってしまう集中癖があります。
何で、そんなことがプレッシャーになったのか?
もしかしたら、女子女子した見かけでなかった頃には、そういう期待を感じなかったからかも知れません。
一応中身はまあまあ女子なので、そういうのってさすがに分かる。
で、思ったんですよね。
私が女子女子するだけで感じる訳だから、世の中の真に美しい人たちは、いつもこんなバイアスによるもっと大きな無意識の期待に晒されていた訳なのね。
期待されていると、それに応えるべく頑張って、良い結果を出すことにつながることもあるみたいなことは聞いていたけれど。
見た目や肩書きやその他のバイアスによって、実力と違う期待が間違ってかかってしまうことも、世の中にはよくある事なのねって、改めて思ったのです。
昔と違って、そういう事が、人間にとっての「あるある」なら、それも含めて人間のありようって面白いなあと思えるこの頃で。
無意識の期待に、ものすごく素直に一生懸命に応えようとするのか、さらっと流してしまうのか、とてもムキになって逆の行動に出てしまうのか、そういうのもきっと個人差がある。
山口真由さんは、「可愛い女」ではなくて「賢い女」と評価されたいし、他人に自分の評価を委ねたくない、自分を評価するのは自分でありたいって書いていたので、ムキになって対抗中ですね。申し訳ないけど、彼女、めっちゃ可愛いと思う。そういうムキになるところとか。
そして、前にも書いたけれど。
生まれた時のあなたという存在は、まだ何者でもない。生きて行く中で、環境や立場や、いろんなものによって、これが自分だと思い込まされているけれど、それを変えることができるというあの悟空塾のお話。
↑あ、元天文少女なもので、「宇宙観」の違いがあるので、悟空塾は受けてません
必要がないなら、無理に変えないといけない訳ではない。
結局、自分って、何なん?本当は、どうしたい?って問う瞬間が、一つのチャンスだし、きっとそこには何か困りごととか、きっかけになる何かがあるんだろうなあと思う。
私のダイエットのきっかけは、父の認知症だったし、自分自身のパフォーマンスの低下だった。
メイクのきっかけは、仕事上でプロフィール写真が欲しいけれど自分で納得できなかったことだった。
今現在、どうにも納得できない事があるか?と言われると。
ずっとなんですが、アクセサリーの仕立て上がりが、本当に自分が欲しい形でない事かなあ。
クラゲも、メタモルフォーシスで、何段階も変容していくので、私もまたまた変われないもんかなあとか思ったりしますが。
まだ、足踏み中です。
↑ずっとやろ!