無意識下の願望って何なんだろう?

 昨日、友人に、うだうだととりとめのない話をしていた。

 そして、話し終えた後にも、会話の中に登場した内容を、思い返しては、そこからまた違う思考へ考えが転がったり。

 物を考えている時間が長い方だと思う。

 これは、持って生まれた気質らしいんです。

 以前、中野信子さんの本の真ん中あたりにメインの話とは別に、ちょこっとだけ出てきたところに書いてあった。

 何種類かある脳内物質の何だったかが、出る量やスピード、それを引っ込めるスピードなどに、個人差があるらしい。

 それは、遺伝子によって決まっている。

 この、ある脳内物質を引っ込めるスピードが遅い人は、考えることを快感と感じていて、引っ込めるスピードが速い人は、考えることを苦痛と感じている。

 日本人の7割が、考えることを苦痛と感じる遺伝子で、3割の人が快感と感じる遺伝子らしい。

 それを読んだ時に、ものすごく腑に落ちた。

 そして、昨日の友人の一言。

 ぼんやりと分かっちゃいたけど、明確に言葉にされると、すっきりと見える。ラベル付けの効果かな。

 「考えることは、消耗することやから」

 そうなんです。

 私は、考えようとしなくても、頭が勝手に考えていて。

 それが習い性なのに、考えることは疲れるのです。

 でも、考えてしまうことがある。

 人によって、生き残るための様式が違っていて、その多様性があるほど、つまりいろんな人がいるほど、人類の種としては強みらしく。

 私は、考えるタイプの人で、そういう手段で自分を生き残らせようとし、良いこともきっとあるけど、消耗する。

 消耗に気付いて、ほどほどに止める賢さも必要なんだろうな。

 

 無駄に考えているきっかけの一つは、何か問題を抱えていること。

 そんな訳で、うだうだとした自分の考えの渦の中に、友人を巻き込んでしまった。

 きっと、消耗したんだろうな。

 でも、お蔭をもちまして、ちょっとだけ自分の無意識に気づけた気がする。

 自分が望んでいる事とか、でもそこに困難がありそうって思っている事とか、でも考え込んでいないでやるだけやってみないと分からない事とか、その上でないと、できるかできないかなんて決められなこととか。

 世間では、知っている人はとっくに知っていることを、反芻していた訳ですね。

 成功を収める人は、自分の無意識と顕在意識の願望が一致していると、ネットで書かれていた。

 で、自分の口で言っている意識と、無意識が本当に一致しているのかって、探り始めたんですよね。

 なかなか行動を起こせない自分がいて。

 顕在意識では、こっちというのがあった。

 はて?無意識は?

 自分の無意識下で、できるんじゃないかっていう気持ちと、無理なんじゃないかという気持ちが、せめぎあっているらしいことに気付いてしまった。

 自分に対して自信のある自分と、自分に対して自信のない自分が、対立していた。

 

 話は変わるのですが。

 そういう、自分の中の無意識下の対立用のような事に気付いた時。

 それって困るよね~のはずなのに。

 ああ、人の気持ちって、そういうもんなんやなあって、人の在り方の深さに、しみじみ感じ入っている自分がいる。

 何か、ちょっと気持ちがふるふるって、震えている自分がいるんです。

 

 考えることが快感の人と、考えることが不快な人というのは、白黒きっぱり分かれるのではなくて、きっと、脳内物質を収納するスピードが、速い遅いの2段階ではなくて、グラデーションのように程度があるんだと思うんだけど。

 ざっくり考えるのが好きな人が、3割程いて。

 見ていると、考えることが好きな人というのは、確かに私以外にもいる。

 友人も間違いなくその一人で、変なところから見知らぬ話がぽこっと飛び出してくる。

 一見飛躍がある、その感じが、人からは不思議に見えるのかも知れない。

 きっと、私もこんなんなんだろうなと、ふと思う。

 飛躍はしているけど、考える行為によって、自分の中では繋がっているんだけど。

 

 自分の無意識下には多くの願望があるらしい。

 でも、そのすべてを叶えることはできないし。

 身の丈に合わない願望や、努力をしない願望を持つと、結局何も得られなかったペール・ギュントみたいな人生になる。

 だから、生きる上でのモチベーションとしての願望はとっても大事なんだけど、ちょっとだけ、現実的に手に入れられる範囲に仕分ける必要がある。

 でないと、おかたずけ出来ない部屋のようになってしまう。

 でも、自分の無意識下に、多くの願望があって、ぼんやりと感じてはいるんだろうけど。

 探ったときに、言語化出来て、顕在意識に上って来る。

 

 と、いろんなところへ考えが転がって行き。

 いろんな理由付けをしてみる。

 でも、単に、マンネリ化しているのかな。

 今、全然違う世界に出会うと、面白くてしょうがない。

 きっと、数年間に介護の世界を垣間見ることになった時、大変さと同時に、自分にとって新しい刺激になっていたところは大いにあり得る。

 今、草木染をやってみたり、リハビリに通って知らなかった世界を覗き込んで、新しい人と出会うことが面白かったりする。

 方向性に悩んで足踏みしている。

 で、いろんな可能性を探る段階で、自分がダメダメなんでは?っていうマイナス思考にも陥ってみたりして。

 でも本当はそんなことではなくて、もっと新しい事、もっと違うことに出会うことを、望んでいるのかも知れない。

 って、意外にも、全然違うところに結論が転がって行ってしまった。

 それって逃避なんだろうか?

 

 ああ、無限ループ。

 考えるのをちょっと止めて、手を動かします。

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