ナマケモノなこの頃

 本題の前に。

 今朝、メイクに使っている100均の鏡を壊してしまった。

 あるあるなんですけど、前もこの部分が割れてしまったんですよね。

 さて、メイクできないんだけど。

 そういえば、とんぼ玉の撮影の背景に使っている鏡があったけど。

 後ろにスタンドが付いていたのを、水平に置くのの邪魔になるから取ってしまい、スタンドの入る部分の突起も、カッターで切り取ってしまっていた。

 そうか!あれがある。

 ってことで登場。

 ニトリの、スマホスタンド。ⅰpadみたいな大きなのにも対応しているんだそう。

 真ん中に穴があるのは、充電しながら使えるようにだそうで。

 スタンドとしてでなく他の目的で買ったんだけど。

 鏡を乗せてみた。

 良い感じ。

 鏡の撮影って困るんです。

 写り込むと、プライバシーが見えてしまう。

 隠すほどの物ではないけど、見せるほどの物でもないから。

 科学捜査をすると、暗い鏡面から、プライバシーは浮かび上がるかもしれないけど、ほぼ分からない。

 いやいや。

 写真撮影、変なところは上達しているんだわ。

 鏡も、あまりこだわりがないので、壊れたらまた100均みたいなパターンだったんですけど。

 そろそろやめないとね。

 なぜなら、100均のクオリティが下がっているので。

 単純に言えば、日本円が弱くなっているからだと思う。

 これは、ある程度、予想できたことで。

 数年前に、良い物を少し買いだめて置いて、先々使おうかと思ったこともあった。

 買って置いたら良かったなあと思う物は、ワイヤーハンガーですね。

 アルミ線の4~5ミリのもので、ワイヤーハンガーが作ってあって、シンプルでめっちゃ好きな感じだったんだけど、廃盤になりましたね。

 あの時も少し多めにと思って買ったんだけど、もっと買って置けば良かった。

 そうそう。

 鏡ですけどね。

 必ずこのプラスチックのところが壊れる。

 この感じが嫌いで。

 自分でスタンド部分を作ろうかとも思ったんだけど、このニトリのスタンドは良いですね。

 なぜなら、構造がシンプルで、ここで壊れるだろうという場所が特にないから。

 こういうの好きなんです。

 ダメになるなら、二枚の板を差し込んでいる溝が削れて、きれいに立たなくなるかなあと思うけど、その時には、テープやボンドで溝のところを修正してやればきっとまた使える。

 とにかく、壊れたら、捨てないといけないのが面倒なんです。

 同じ金額で、安い物を5回買って壊れて捨てる間に、5倍の価格の物を買って同じ期間持つなら、5倍の方を買いたい。

 買いに行く手間と捨てる手間が、面倒なんですもん。

 という訳で。

 壊れた方の鏡のスタンドを探そうと思います。

 拡大鏡も必要だから。

 

 ところで。

 ワクチン打ちました。

 二回目は、お盆明けですね。

 一回目は、打撲くらいの腕の痛みだけだった。

 二回目、ドキドキします。

 熱出るかな?

 小野市は、ワクチン接種が早いらしい。

 先日、かかりつけの先生のところに行きまして、「今日の午後、ワクチン接種なんです。〇〇さんにたまたま出会って、先生か、今なら集団接種の方が早いよって仰ったから、集団接種予約したって聞いたので」っていうと。

 「そうなんよ。僕も、休みの日に集団接種会場に行って打ってるんやけど。あっちやと、接種だけやから、1日で1人80人は打てる。診療の合間やと、そんなに打たれへんからね。」

 へ~。

 やっぱり、先生も集団接種会場にも行ってはったんや。

 小野市の開業医は、自分のところでの個別の接種にもとても前向きで、ジャンジャンこなしているイメージがある。

 他の先生のところに母を連れて行ったときに、そう思った。

 個別接種を待つ爺ちゃん婆ちゃんで、待合室がいっぱいだったから。

 小野市民で良かった。

 あ、先生に、そう言っておくのを忘れた。

 

 ワクチン接種に関しては、私はもともと前向きで、どうせなら、mRNAワクチンを打ちたいと、最初から言っていた。

 というのは、mRNAワクチンは、癌治療でも研究が進んでいるという話があって。

 大きな問題がなければ、今後は、癌治療から感染症から、多くのジャンルで標準的な医療になって行く気がしたから。

 これが可能であれば、医療は大きく変わる。

 その最初のところに私たちはいるかもしれないと思ったから。

 歴史的な瞬間という奴ですね。

 

 メッセンジャーRNAというのは、私が高校の時には、既に理科で習っていた。

 生物学は履修していないので、理科Ⅰで出てきたということです。

 遺伝子の設計図であるDNAには、いろんな設計図がある。

 それを元に、体の中で働く物質を合成する。

 そのために、DNAのある部分の設計図を写し取ったのがRNAで、4種類の核酸でできているDNAとは、1種類が違うのがRNAで。

 DNAから、必要な物質を合成するところまで設計図のコピーを運ぶのが、メッセンジャーRNAなんだと習った。

 なので、体内には、多種類のメッセンジャーRNAが、今日も働いている。

 

 高校では、そこまでしか習ってなくて、ぼんやりとした認識しかなかったけど。

 最終的には、メッセンジャーRNAは、役割を終えると、速やかに分解されるのだそうだ。

 ワクチンは、ウィルスの突起の部分のたんぱく質、Sタンパクを作るための設計図であるRNAをカプセルに入れたもので、この設計図が、人間の細胞の中に入って、そこで人間の細胞の中の材料を使って、Sタンパクが合成される。

 この後、Sタンパクの合成に使われた細胞は死ぬ。

 外に飛び出したSタンパクに対して、人間の免疫システムが、異物と認識して抗体を作る。

 この流れだと、Sタンパクには、抗体が結びつく。

 で、やっつけた異物として、処理されるんだろうと思う。

 

 ウィルス感染が起こると、ウィルスの全部のRNAが細胞に取り込まれ、人間の細胞を使って、刺部分だけでなく、全ての部分のコピーを作る。

 そして、ウィルスが増殖する。

 ウィルスの増殖に使われた細胞は死ぬ。

 

 ここで、ワクチンのメッセンジャーRNAは、数に限りがあるので、作られるSタンパクも、メッセンジャーRNAの個数を超えて作られることはない。

 なぜなら、メッセンジャーRNAは、自己増殖しないから。

 もちろんSタンパク自体も、自己増殖はしない。

 ところが、ウィルスは、自己増殖を繰り返すので、天井が見えない。

 人間の体の免疫が弱くて、ウィルスの好きにさせていると、利用できる限り利用して増殖する可能性があって。

 と、考えた。

 まあ、ワクチン打つわな。

 

 やっぱり、どこまで悪くなるのか分からないだけに、コロナ感染を防げるなら防ぎたい。重症化を防げるなら防ぎたい。

 ワクチン接種をいち早く終えた母だけど、私が罹ったら、やはりリスクになる可能性があるから、そこは防ぎたい。

 客商売としてのポジションを考えると、打たない選択肢は、無責任だと思った。ダサいから。

 ワクチン接種が進むことで、感染拡大を抑える一助になるなら、社会生活が早く元に戻ることに貢献できる。早く自由になりたい。

 そして、ミーハーにも、歴史の転換点で、「私、打ったで!」と言いたい。

 

 正直、あんまりリスクは感じていない。

 というのは、Sタンパクが悪さをすることを恐れたら、コロナウィルスが悪さをする方がもっと得体が知れなくて怖いと思ったから。

 それは、上記に書いた通りなんだけど。

 

 強硬な反ワクチンの人たちがいる。

 その人が、SNSに張った動画を見た。

 ツッコミどころ満載だった。

 

 ファイザーの治験のための資料というのに、こんなことが書いてある!こんな危険なワクチンだ!

 って論調ですが。

 治験者の汗に、体内で作られたSタンパクが出て来て拡散するので、妊婦が治験者が出したSタンパクに曝露しないように注意することと書いてあると。

 まあ、書いてあるんやろうな。

 ただ、治験段階やから、まだ海のものとも山の物とも分からんものが、他の人に影響を与えないように注意するって、当たり前やん。

 多分、他の薬剤の治験でも一緒だと思う。

 で、その動画によると、Sタンパクをまき散らすんだそうで。

 あのな。

 Sタンパクは、ワクチン中のmRNAの数を超えては作られることはない。

 上限が決まっているんですよ。

 そして、治験者の体内で、抗体を作るのに消費されて消える。

 汗に染みだすとしても、その残りやし。

 汗から拡散したとして、汗の水分にくるまれて空気中に散ったとして。

 風に流され、水分が乾いてしまい、紫外線を浴び、壊れる。

 治験者の体内と比べて、濃度は、限りなく低くなる。

 そんなもんが怖かったら、治験者は、バタバタ死んでる。

 

 このワクチン脅威論を信じてしまう人に欠けている視点がある。

 質量保存の法則、エネルギー保存の法則。

 材料がないのに、無尽蔵に何かを得ることはない。

 昔、SF作家になりたかった時に、設定で、良く考えていた。

 これが増殖するには、その材料になる物質と、その物質を作るためのエネルギーが要る。

 それをどこから得るか考えないと、SF(サイエンスフィクション)としては成立せず、そこを無視して、無尽蔵に物質を取り出しては、ただのファンタジーになってしまう。

 上質なSFは、そこがしっかりと描かれている。

 「星を継ぐもの」なんかは、かなり上質なSFだった。

 高校の時に貸してもらった本なんだけど、中年になった時、再ブレイクして、嬉しかった。

 19歳の時に、関大前の市民会館だったかで開催された第25回SF大会(DAICON5)の会場で、作者のJ・P・ホーガンを間近で見た。

 今でも、自慢です。←誰がうらやましがってくれるかが謎ですけど

 

 今も、リケジョ崩れとして、「科学」の衣をまとったまがい物を見分ける嗅覚は鋭いと思っている。

 大体、エネルギー保存の法則と、質量保存の法則が破綻していることが多い。

 その根底が破綻した論理は、根っこがウソなのに、枝葉の話が本当の訳がない。

 そう思う。

 

 何でここでこんなことを書いているんだろう?

 SNSでは、ワクチンに関する投稿は、とてもナーバスになっている。

 それなのに、なぜ書いているんだろう?

 

 おそらく、私が「キッド」だからだと思う。

 集団に対して、マインドコントロールをするとき、論理に矛盾を見つけてついてくる個体が、ごくまれにいるという。

 マインドコントロールにかかる人々を、「シープ」と呼び、中に紛れ込んだ邪魔をするものを「キッド」と呼ぶらしく。

 邪魔になるので、「キッド」は、その場から摘まみ出されるのだそうだ。

 昔から、「キッド」の自覚はある。

 実は元生徒さんにも一人、「キッド」がいる。

 いや、もしかしたら、あの人もあの人もそうかも知れないと思うことがある。

 摘まみ出される運命らしく。

 でも、しょうがない。

 「大さまは裸だ!」という役回りに生まれてきているんだろうなって思う。

 おかしいことを、おかしいという。

 たまに、そういう人がいても良い。

 変な人だと思われるんだろうなって思う。

 ふく蔵の、昔のギャラリー担当の人が言った。

 「作家さんには、わざと変人に見せようという人も一定数いるようですよ」

 「いやや、これ以上、変な人に見られたくないわ。」

 思わず応えた私でした。

 でも、自分でいることを無理して変えて生きて行く息苦しさよりは、まだ良いのかも知れない。

 

 そんなこんなで。

 自分らしい形で周囲とアダプトすればいいって思うようになった。

 そして、自分のありようについて悩んでいた私だったけど、誰しも、幾許かはそういう部分があるんだよねって、気づいた。

 無自覚だったり、自覚していたりそれぞれなんだけど。

 人とはそういうもんだと、そこ毎、受け入れて行けば良いんじゃないかなあと思えた時、楽になった。

 多分、この頃、コロナ禍もあってフトコロは寂しいのに、やけに幸福感が高いのはそのせい。

 

 そんなとりとめのない事を考えて暮らすこの頃でした。

 やっぱり、世界は驚きに満ちていて、とっても面白いって思うのです。

 やっぱり、変な人か。笑。 

 

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