7月が、いよいよ終わろうとしています。
ほんとに作品を作らなかった7月でした。
実はふく蔵さんの前にも、一年がかりでぼちぼち作ったものや直前で作ったものも出したのですが、塗装作業や、他の準備に相当時間をつぎ込みました。
なので、少し作る側の方が手薄になっていて、この頃は不完全燃焼気味です。
そんなときもあるって、割り切るしかないと思います。
作品が宣伝しなくても売れ、教室を宣伝しなくても生徒さんが来て下さったら、作るだけに専念できるんですが。
そうは行かない。
そのことは、最近強く感じます。
今、とんぼ玉体験のチラシを作っていますが、これで終えようといつも思いながら、ちょっとしたことで躓く。
原案を、フォトショップの旧バージョンで作っているのですが、旧バージョンでは、そのまま投稿できないようなんです。
そういえば確認してなかった。
そのまま投稿できてしまえは、早かったのに。
原案のレイアウトを、慣れたフォトショップで作り、プリントして三つ折りにして、イメージを確認する。
フォトショップに使った画像と、レイアウトイメージはある。
これを元に、ラクスルのオンラインデザインに置き換える。
ところが、レイアウトに使っている「枠」が上手く作れない。
ふと思いついて、「.png」という拡張子のファイルの使い方を調べたら、このファイルで保存したら枠をそのままラクスルのオンラインデザインに持ち込めることが分かったので、何とか解決。
なんだかんだって、2日、3日と、時間が失われて行く。
頭で、「チラシ作って」と考えることと、実際に形にすることには、このくらいの違いがある。
若いころは、そういうことに対してもどかしさから苛立っていたけど、今は、内心焦りを覚えつつ、それだけかかるものはかかるんだなって思うようになった。
だからこそ、デザインに長けた誰かにやってもらうべきなのか?と思う反面。
デザインに長けた誰かも、私の仕事をものすごく理解できている訳ではなくて。
私が、このチラシを手に取る人が「とんぼ玉体験」に何を求めているのかなあ?って考える、その下地となる情報を持ってはいない上で、どういう完成イメージを作るのか考える訳で、作ってもらうにはそこをうまく伝えなければ、方向が違うものが出来上がってくる可能性がある訳で。
誰かに依頼することというのは、思ったほどやすやすと状況を解決してくれるわけではないと思うんですよね。
と言いながら、自分で作業。
もう、これは遺伝子やな。
何でも自分でしようとする癖は、人にはありがちだけど、うちの父が、やたら何でも自分でしようとしていた。
効率が悪い。
お金と仲良しになりにくい。
器用貧乏という。
本当は不器用なんじゃないかと思う。
宿命か!?とか、一周回って、笑いが出たりするのでした。
そこへもってきて、デルタ株の登場による、コロナ感染者の広がり。
体験とかに、いらっしゃい!いらっしゃい!と言える空気ではなくなるわけで。
それを言えば、教室だって、生徒さんに来て下さいとは言いにくくなる。
またまた、ピンチになる?
まあ、体験チラシを作って置けば、内容は先々変わるとして、次にチラシを作る時の経験値にはなるさ。
先日、AI(人工知能)の世界で天才と言われる、特例で日本での永住権を獲得した韓国の人に、誰だったかがインタビューをしていた。
やっぱり、天才は違うんだろうなあと思ったのですが。
その天才が言っていた。
「手間を惜しむための手間を惜しまない」
良い言葉や。
物事を学ぶ上で、そういう考え方をしてるんだって。
お勉強に関しては、そんなに全体を俯瞰して見たことはなかったな。場当たり的にやってた。
日常生活では、私も少しだけ実践している。
マメなお片付けが嫌いなので、片付けの手間がかからない片付けの仕組みを始めに作って置くっていう。
まあ例えば、作業効率化するためのお道具を作る時間を取る。
お道具を作っている時間は作業ができないので、その時には一見無駄な時間に思えるんだけど、そのお道具を作って置けば、後々のルーチンワークの効率がものすごく上がるっていうことを目指す。
まあ、チラシ作りも、ラクスルみたいなのが登場したからには、今までのように、プリンターで擦っている間、ジャムらないように前で見張っている時間が無くなる訳で。
きっと今のうちに、オンラインデザインの手際が良くなっていれば、後々楽に違いない。
三つ折りパンフレットでも、自分で折ることを考えたら、仮に1000部でも、折ってないものと折ってあるものの価格が4000円も変わらない訳で。
1000部自力で折ったら、どれだけ時間がかかる?っていう時間は短縮できるし、そのためにデザインを誰かに依頼するという手間も、オンラインで編集することで短縮できる。
きっと、無駄にはならないって思うことにする。
今月、ホームページをある程度自力で触れるようになり、チラシをラクスルで作るのに慣れて来て。
でも、インスタなどに動画投稿するのって、どうするん?とか、インスタでお買い物機能をつけて、ネットショップに上げたものと連携するにはどうするん?とか、今時の細心の部分は全く手つかずです。
そもそも、バーナー作業を動画で撮るのって、やりにくいんですよね。
やっている人がいる訳なんで、不可能ではないんだろうけど。
見やすく録りたい。
でも、手の美しさには自信がないので、あんまり手は映したくない。
とか、余計な要求が増えるほど、ゴールは遠のくのだ!
いつになったら、ネットショップの体制を整えたうえで、安心して政策に集中できるんだろう?
私は何屋やねん!って思うこの頃なのです。
こういうことをするのに、見よう見まねでやってしまう人がいる。
そういうアプローチを、帰納的と呼ぶ。
仕組みを理解したうえでないと、頭が受け付けない人がいる。
そういうアプローチを、演繹的と呼ぶ。
往々にして、演繹的なタイプは、スロースターターだと思う。
先日生徒さんと話していても、他の人の話で、スロースターターというワードが出てきた。
昨今では、見よう見まねで、パパっとやる人の方が評価されがちだよねえと、被害妄想的に考えてみたりしたこともあった。
最近の自分はどう?って言われたら。
そこのスタイルを変えたら、できないねん。
大まかな全体像を分かった上でやらないと気になるタイプに、全体像なんて見ようとするな!って、強要したら、たぶん無意識下の気持ち悪さで、作業そのものにかかるためのモチベーションがダダ下がりになると思う。
という訳で、どうにも宿命らしい。
とろいです。
今の時代、滅びるのかも知れません。
でも、スタイルを変えたら破綻するのは見えているので、自分スタイルで行くしかない。
これで滅びるなら、運命やなって、決してすねるでもなく、どこか俯瞰的に見ながら、冷めて考える自分がいたりするのです。
そんな訳で。
今日、母を送り出したら、とんぼ玉体験の三つ折りパンフ型チラシのオンライン編集を終えて、入稿してしまいたい。
そして、7月が終わります。
その後、ネットショッピング周りをしないといけない。
8月はそれで終わるんだろうか?
昔なら、作ることだけをやろうとしていた。
でも、仕組みづくりしないと、作っても売る方法がないことになる。
俯瞰的に見たら、やるしかないんですよね。
本当に自分のトロさを、つくづく思い知るこの頃ですが。
そういえば、ガラスを始めてすぐの頃、壁に当たったら、人間は、違う発想もしつつ、似た部分が必ずあるので、同じ壁にきっとみんな当たる。その壁を乗り越えた方が、他の人と差を付けられるに違いないって考えるようにしていた。
今となっては、他の人と差を付けるというよりも、やっとこさ、他の人に追いつこうか?ってレベルの話になるんだけど。
きっと、やって置くべき時なんだろうなあとは思う。
ネットショップの準備、8月中に終わるかな?
笑。
足元に火がついていて、本当に緊急に売らないといけない訳ですが。
ただただ、自分で一つずつ形にして行かないといけない。
きっとそこには、近道ってないんだろうな。
本当に、事務仕事が嫌いです。
集中し始めると、切り替えながら物をするのが苦手なんです。
昔は、そういうところが、会社員としては、使いにくいんだろうなって思ったこともあったし。
融通が利かなさと考えたら、発達障害?とか思ったことがあった。
切り替えることに対する抵抗が激しいので、ワガママとみられたこともあった。
でも、最近は思うんです。
脳内物質が出るのが遅く、ひとたび出た脳内物質を回収するのが遅いタイプなんだろうなって。
エビデンスは無いですが、自分のことなので、半世紀以上見ていると、ほぼ確信しています。
その代わり、ひとたび集中したら、途中で何度も嫌になりながらも、どうしてもこれぞと思う物の結論は、意地でも見ようとする。
そういうタイプには、そういうタイプに割り当てられた役割はあるんだろうと思う。
ただ、扱いにくいから受けは悪いだろうし、いろんなところで頭を打つだろうし、いや、実際そうだったし。
長所と短所は、裏表の関係にある。
という訳で、チラシ出来たら、次はネットショップです。
物作りの集中力が年齢的に残っている間に、物づくりに没頭したいんだけど。
スタート地点にたどり着くのに、一山ありそうです。
きっと、それ終えたら、物づくりに没頭します。
大丈夫、きっと、大丈夫です。
↑ホンマか?笑。