ふと、ブログを書こうと思ってホームページを開いてみれば、前回書いていたタイトルが、「これからのこと」だった。
で、良いタイトルが思いつかづに、「これからのこと、その2」にしてしまいました。笑。
昨日、夜にランちゃんの散歩に出たら、星がきれいだった。
新月だったかな?
そう思って見上げていると、うっすら雲が見える気がした。
いや、天の川だ。
辿ってみたら、本当に天の川だった。
慌ててランを連れて家に引き返し、免許、キー、カメラ、三脚、双眼鏡を持って、天の川が見えた場所へ引き返した。
最近、アスファルトで舗装された農道で、夜は誰も通らないから、その細い農道を塞ぐように車を停めて、天の川撮影を始めた。
何枚も撮影して、合成すると、もっとはっきり出るんだそうだ。
そこはまだできないから、今日の子の星を撮れるだけ撮って置こう。
何分、機材が乏しいので、できることは限られているけど。
実際はもっと暗いんですけど。
星が写るように、四秒間露出していると、結構明るく写るんです。
南の空、さそり座と、その上にへびつかい座。
画面のやや左寄りに、銀河中心部が写っていて、垂直に立ち上がっている。
双眼鏡でも、M8干潟星雲、M20三列星雲、M7、M6、M22を見ることができる。
天の川を上空へ辿って、夏の大三角。
はくちょう座の胴体と同じ方向に、天の川が流れている。
天頂付近の方が、光害が幾分ましで、上空の方が天の川は見やすい。
今日なら、行けそうな気がして、拡大してとることにした。
その場で確認するのは、出来るだけ星にピントが合っている事だけですが。
返って来てチェックしてみた。
探してみると、かすかに写っていました。
M27あれい星雲。
めっちゃうれしい。
子供の頃から大好きだった星雲です。
昔の話をするときに、「天文少女だった私にとって」みたいな表現をしたら、自分のことを少女って恥ずかしげもなく表現できるのが自己愛がどうだとか、難癖をつけてくれた人がいましてね。
少女やん。ぽっちゃりでもさ。小学三年生の頃やしね。
中高生だったときも、天体観望してたけどさ。
あれい星雲を好きだったのは、小学三年生の時からだった。
図鑑を開いては眺めていて、大好きでずっと見ていられた。
コンデジで撮影できるとは!
世の中の進歩はすごいって思う。
思いがけず梅雨が早く開けて、一気に夏がやって来て。
夏の思い出というのは、どこか優し気でいて、少し切なさを含んでいるらしく、特定の思い出にという訳ではないけど、いろんな時期にいろんなことに感情を揺さぶられた思い出が蘇ったりする。
一方で、世の中の変化を見ながら、いろんなことを思う。
一つは、ふく蔵さんかな。
今後は違った形で続けようかと前回は書いている。
ふく蔵の作品展が始まってすぐに、心が決まっていた。
今年で最後にしよう。
一番大きな理由は。
ふく蔵さんで中心に売れる物と、私がこれから作ろうと思っているものが違ってしまっているから。
10年以上続けて来て、変化はあって当たり前なんだと思う。
割と、いろんなものへの愛着は強い方かも知れない。
いろんなものが終わって行ったり変わって行ったりすることに、抵抗している自分がいて。
変わることを拒んでいたりする。
一方で、もう一人の私は、変わりたい!って叫んでいる。
私がどれほど拒もうとも、世の中は変化して行くので、留まろうとすると、置き去りにされるんだ。
かつての生徒さんが作品展に来て下さり、お話をした。
ある人は、会社で広報の仕事に変わり、ネット広告のお仕事をしているのだそうだ。
そしてある人は、工房を開くのだそうだ。
そんなお話を、一つ一つ聞いていると、時代の変化や自分の状況の変化と妙に符合して来る。
手放すものを手放して、変化をしようと思う。
いちいち面倒なことを考えなくても、息をするように変化に乗って行っている人を知っている。そういう人の方が、生き残っている気もする。
ふく蔵の作品展は、今回で最終回になります。
そして、とんぼ玉体験も終了します。
とんぼ玉教室は、小野教室だけが残る形になったので、細々と存続しつつ、あまり熱心に生徒さんを増やす方向では行かないつもりです。
出来るだけ、土日には固定の用事を入れないようにして、東京と大阪に販売に行こうと思います。
そこで実物を見ていただいた人を増やして、ネット通販で遠くの人にも買っていただけるようにしようと思います。
今までずっと、ネット通販と言いながら、できなかった。
あれもこれも抱え込み過ぎて、キャパをオーバーしていた。
新しいことを始めるには、何かを手放してその分の時間に回さないといけない。
中々、何かを手放す決断ができなかった。
ただ、いろんな状況に追い詰められて、変わるしかなくなって、やっと変われそうな気もします。ホンマかな?
年齢的にも、本気で作品を作れてあと何年だろう?って、考えます。
だから、あんまり抱え込んでいる余裕はない。
出来るだけ、シンプルにしておこうと思う。
ガラスだけに夢中になっていた頃もあったけれど。
欲張らずに、身の回りをできるだけシンプルにして、本当に作りたい物を作って、自分の時間を確保して、星も見るんだ。
小樽で買った「海の見える街」のオルゴールを聞くと、夏の思い出の切なくも美しい気分に浸れる。
そうそう。
人は、物事の記憶は消えても、その時に感じた感情の記憶は覚えているんだって。
だから、その切ない夏の思い出ってなんなん?ていうのが具体的にある訳ではなくって。
何かが起こりそうな予感にドキドキした、子供の頃を思い出すのかも知れない。
何か、良いことが起こりそうな予感は、ちょっとだけある。