「縁側」に代わる場所

 さて、今日は、介護話です。

 興味のある方だけ、読んでくださいね。

 

 この頃、母の様子がすっかり落ち着いてきまして。

 といっても、風邪一つで、崩れるのは、どの老人も一緒ですけど。介護施設の利用日程の組み換えを、時々やったりして、今のペースに落ち着いたのがいつくらいだったか。

 そこまでの2年間ですね。2016年の夏から、2018年の夏まで、ホンマに、変化に続く変化で、走りながら考えていた。

 まあ、そこでも、あきらめの悪い性格が、随所に出てくる私です。

 ああ、これがあれば、どんなにと思うと、やっぱりどうにかしたいと思う。

 母がちびちび貯めた貯金で、車をタントスローパー(タントの車いすの乗るタイプのもので、介護施設でも、送迎によく使われている車種)の中古に買い替えた。前のタントは、父が乗った記憶と結びついていたし、買ってから2年たってなかったけど、思い切った。

 自由度は格段に上がりました。

 今日はその話じゃないので、ちょっと置いときます。

 

 介護が始まる前からなのですが、良く思っていました。

 おばあちゃんたちに、縁側の変わる場所を、作ってあげられたら良いのに。

 子供のころ、祖母が、縁側で縫物や編み物をしていました。新聞を読んでいたこともある。なので、私は結構、祖母と一緒に縁側にいたんです。まあ、子守してもらってた。

 そこへ、近所のおばあちゃんが、遊びに来る。昔の縁側は、サッシなんかははまってなくて、オープンなんですよね。そのうち、サッシがついたけど、気持ち的にはオープンなまま、むしろ、冬場の寒さが防げて、ちょうど良かった。

 うちの祖母も、ご近所の縁側にいるお友達のところに、遊びに行っていた。

 昔は、そういう行き来が多くて、縁側でのんびりしていた。

 今は、なんか、個々のおうちがセキュリティーレベルを上げたというか、結界ができてしまっているというか、昔のようなオープンな場所ではなくて、お年寄りも、そこにはいない。

 で、やや元気なお年寄りも、ちょっと認知症が入ってしまったお年寄りも、足腰を鍛えるために、お散歩をしているのを見受けるけど、行き場が特にある訳ではない。

 家にいるか、所在なくお散歩に出るか、デイサービスに行くか。

 そう思って見回すと、お年寄りが集う場所がある。

 イオン小野店のテレビの置いてある場所。

 メセナ活動とかよく言うけど、イオンがそのつもりはないけど、そういう場所を提供していることは、相当、意味のあるメセナ活動なんじゃないかと、思う。

 一昔前は、ご近所の病院の待合室。

 「今日はあの人来ないねえ、どこか悪いのかな」っていう冗談が、流行った時期がありましたよね。あの頃は、元気なのに、医療費を使うなんて!と思ったものだけど。あの頃は、あの頃なりに、縁側に代わる場所だったんだなあと思う。

 その話を、先日、福祉関係のお仕事をしている生徒さんに話すと、返って今は、重度の介護が必要になっている人に手厚いけれど、そうでない、簡単なお世話がいるか、ほとんどお世話がいらない人に対しては、どんどん予算が削られていますよって、おっしゃってた。

 現実は厳しいな。

 デイサービスとなると、料金が発生する。もちろん、その分、お世話してもらえることを期待できるわけだけど。それに、デイサービスに行かない日は、どこに行けばいいんだい?って話で。

 介護を必要とするかどうか、微妙な人もいる。その人はどうすればいいんだいって思う。

 そうそう、それと。

 介護が必要でない人(要介護認定を受けられない人)、介護が必要な人(要介護認定を受けた人)、この人たちの居場所が、別々なのだとしたら、今までお友達だった人が、同じ場所で出会える機会が、なくなってしまう。

 例えば、介護が必要でない人が集っている場所があったとして、そこに介護が必要な人が行こうとすれば、だれか付き添いが必要だったとする。

 たまの、介護施設の利用のない日、かつてのお友達と会える場所があるなら、私が付き添っていけば利用できるなら、母を気晴らしに連れていけたらいいのになあと思う。

 そう思うと、結局、難しさがあることは理解できる。

 お年寄りが集まる以上、だれがそこを管理するのか?とか、管理していると、事故やけがなどがあったときは、責任問題になるんじゃないのか?とか、結局、そこを心配することになるんだろうな。

 で、手厚くしようとすると、ハードルが上がる。

 結局、お年寄りは、家にいるか、所在なく散歩でさまようか、デイサービスに行くか。

 デイサービスほど、さあ!行くぞ!みたいな形の、ちょっと前の、なんだか緩~く集まれる場所は、やっぱり難しいのかなあと思う。

 何だったら、一定規模以上のスーパー、病院などには、病気でない人が集いやすいような、畳のお座敷とか、車いすの入れる席と畳から座れる席のテーブルでお茶を飲めるような場所とか、作るよう義務付けとかあったらいいのになあ。

 事故を防ぐだけの作りにしてあったら、そんなことでも事故は起こるのか?みたいな、高度な注意義務までは追わないことを、明記して、使う側に、自己責任をちゃんと納得してもらったうえでだけど。(ほら、駐車場での事故には、責任負えませんみたいな)

 と、そんなことを思う。

 なぜ?と聞かれたら、きっと、祖母といた縁側は、子供のころの幸せな場所だったからだろうと思う。

 祖母お得意の、結構湿っぽい、恨みがましい昔話も聞かされたけど。(^^;

 誰でも、気軽に、習い事をするみたいな肩ひじを張るのではなくて、テレビ見に来る、(自販機で買った)お茶飲む、話する、そういうオープンな場所が、増えたらいいのになあと、一人、思うこの頃なのでした。

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