昔、「お箸の国の人だもの」っていうコピーが流行りましたよねえ。
あ、ゼネレーションギャップ?
今朝、ワイドショーで、「ドルチェ&ガッバーナ」というブランドの上海でのファッションショーが急きょ取りやめになったという話をしていた。
↑ほ~、そんなブランドあったんや
↑↑あんまりブランド知らないもんで・・・・(^^;
そのショーのために作った動画が、中国人の反感を買って、炎上し、不買運動にまでなっているんだって。
実際の動画が、番組内で紹介されていました。
「ああ、やっちまったね」
そう思った。
中国人らしきモデルさんが、お箸を下品に使って、イタリアのピザを食べるという、ちょっとしたおふざけ的なウイットに富んだ動画のつもりだったんでしょうね。
まあ、作った側の人の、美意識を問われる内容だと思った。
これを見て、中国人なら、怒らないとダメだねと思った。
日本人なら、嫌だなあと思いつつ、笑って尻尾を振ったかも知れない。
でも、中国人は、ストレートに怒った。
私も見ていて、正直、胸が悪くなった。
これは、中国人をバカにしているにとどまらず。
同じ、お箸の文化を持つアジア人として、私たちまでもバカにされたと思った。
で、「ドルチェ&ガッバーナ」は、まずいと思ったんでしょうね。
その後のネット上でのやり取りが、またお粗末で。
そのやり取りをしたのは、「私じゃない=Not me」と言い出し、それでまた、さらなる怒りを買ったという話。
チャン・ツィイーまでが、怒って少々お下品な表現でお返ししたという顛末で。
これは、まともに謝罪すべきだったんだろうなあと思う。
ただ、口先でごめんなさいを言うのではなくて、中国人に対して、すごく正面から、正攻法で、ごめんなさいを言うべきだった。
と言うのはね。
日本人、昔、海外旅行デビューした時、必死で、ナイフとフォークのテーブルマナーを勉強して、西洋の文化に合わせようとしたはずなんです。
相手を不快にさせないため、相手の文化を尊重するため。
今でも、海外の人をお迎えするときに、「それは、向こうの国では、相手をバカにする行為だからやっちゃダメなんだって」とか、気を遣じゃないですか。
確か、どこかの国では、子供の頭を手で覆うようになでなでするのは、子供に失礼にあたるって聞いたことがある。どこだっけ?
今回のお箸動画は、そういうレベルなんですね。
お箸を使うときに、これをすると、下品だとか、やっちゃだめだよと親から教えられて、深く深く、感覚の中に刻み込まれた物で、見ていて不快だと思える行為って、あると思うんです。
そこを、ウイットだと勘違いしてしまった動画の製作者側。
きっと、イタリアにもあると思うんですよ。そういう、それって直感的に見ていてアウトだよねっていう、お行儀の悪い行為。
そういうことを、中国人モデルさんにやらせて、そういう物を公開してしまった。
相手の文化を理解して、尊重して、お互いに良いコミュニケーションを図ろうっていう、気遣いをすっ飛ばしてしまった。
自分たちがやったことってそうだったんだなあと、ちゃんと理解すること。
そして、それをやってしまった自分に対して、心から恥じ入っているという気持ち。
それに対して、心から謝罪すること。
そして、今後は、お互いにちゃんと理解を深めて良い関係を築きたいんだという本心からの気持ち。
さらに、それに伴う今後の行動。
そういう一連の物がセットになって、初めて、相手に伝わるんだろうなって思った。
「Not me=私じゃない」中国人の脳ミソがクソだとコメントしてしまったのは、アカウントが乗っ取られたんだ!
って、やっぱりまずかったよね。
チャン・ツィイーからは、「あなたのクソが落ちていたので、投げ返しておくわ」って返される始末。
これって、退きで見ているから、しかも、私自身がお箸の国の人だから、中国人の怒りの意味をイタリア人目線よりも一歩深く理解できているのかなあと、思ってるんですけど。
いや~、私も、文化の違う人と関わる時には、相手の大切なものを踏みにじったりしないように、気遣いってちゃんとできているんだろうか?って、ちょっと、考えてしまいます。
あ、そういえば、流行りましたね。
「世界のエリートは、なぜ美意識を鍛えるのか?」っていう本が。
けっこう、最近では、注目されている「美意識」。
つまり、理論も大事だけど、直感的に感じる好き嫌いって、大事なんだよ~っていう方向の流行ですよね。
何なんや?
何をこんなに怒ってるんや?
っていう本質を分かろうとすることって、一見、相手のためのように見えながら、結局、自分を助けることになるんだろうなあって、思ったのでした。