母が入院しました。
2泊で、明日退院予定です。
カテーテルで血管を広げてもらうのですが、今回は狭くなったところを広げるなので、予定通り終わりました。
できれば、入院ってない方が良いのですが。
中核病院がとても近くて、そこで処置してもらえるということは、本当にありがたいです。
手厚くしてもらえていると思います。
もちろん入り口では、検温してます。
何もやらないよりはいい。
前回の入院の時に、直前に嘔吐していて、時々あるので消化の問題だと思ったのですが、その時は最初念のため個室で経過を見てもらったっけ。
実際には、病院へ持ち込まれることを、完ぺきには防ぎきらないんだけど。
病院で、カテーテル処置の際に家族が行かないといけなので、デイルームなどで待っている訳なんですけど。
待ちながら、病院サイドって、どう考えてはるんかなあって、ぼんやり考えていた。
面会は基本的に禁止されています。
母は、2泊3日なので、入院の付き添い、処置の立ち合い、退院の付き添いで、3日とも私が行くことになるので、誰も来なくて寂しいって程ではないんだろうけど。
長期入院の人は、いつもと違う感じはあるんだろうな。
でも、入院フロアは、ただ穏やかに時間が過ぎている感じがする。
変な話、発熱症状がある人が分けられたことで、インフルとか旧型コロナとか他の風邪とか、そういう物をもらうんじゃないか?って感じがむしろ例年よりもずっと低いくらいで。
何事も起こらなければ、静かな場所だなあと思った。そう、いつも以上に静かで穏やかな気がした。
担当医の先生は、転勤が多いのでどんどん変わって行きますが、薬剤師さんは父を担当してくれた人、看護師さんにも見知った人がいて、ちょっとホッとする瞬間だったりする。
さて、コロナ話ですが。
コロナで亡くなっているのは高齢者ばかりだし、いよいよとなったらトリアージするしかないとか、SNSなんかで書いているのを見かけるのですが。
そういうのを見ていると、病院と縁がないんだろうなあと思います。
日常的に見ても、病院は高齢者だらけです。
心臓が悪かったり、糖尿を持っていたり、透析をしていたり。
日々、そういう高齢者にケアをして、治療している。
高齢者なんか良いじゃないか発言をしている人が見たら、高齢者ばっかりなのに驚くと思う。
私も、家族が病院にかかることが多くなって付きそう時に、高齢者ばっかりの空気感に、正直驚いたというか、ええこんなもんなんやというか、初めて知る感覚だったから。
そういう、日ごろケアをしている人も高齢者なのに、逆に、コロナだから見捨てろっていうと、感覚的にギャップを絶対に感じるはずなんだよねって、思うのでした。
他の入院患者さんに担当医の人が、「最近どうですか?」って、優しく様子を聞かれるのを聞いていると、その高齢者に対してベストを尽くそうとしてるんだよねって思うの。
高齢者なんか良いじゃないか!って言われたら、そういう日々の努力を、なんだか根底的に否定しているようなことになりはしないのかな?
コロナで病床がひっ迫してきた時、何か、とても大きな転換を迫られてしまうんだと思う。
それは、医療従事者の方々も、家族サイドも。
非常時ならば、きっと今までとは同じで行かないこともあって、それは受け入れてどうにか気持ちのどこかに落としどころを見つけるしかないこともあり得ると思うんだけど。
意識の面で、そのギャップは大きくて、戸惑うと思う。
さて、昨日、母の入院のために先に通院で行っていた病院にお迎えに行って、空き時間に、かかっていたテレビを何となく見ていたら、神奈川でコロナ対策に当たっているという人がテレビで話されていた。コロナの初期から、DMATを率いたりしていたそうだ。
コロナの入院患者には、重症者や中等症の患者さんだけでなくて、軽症や無症状の人もいる。
この場合の軽症者や無症状者は、高齢だったり基礎疾患があったりと、ハイリスクな人たちなんだそうだ。
軽症や無症状の人は、入院していても何ら医療的にケアすることはない。自力で治るのを待つだけ。
でも、ベッドがふさがり、日常のケアのために何等か手間はかかる。
それはそれで、これは何なんだろうみたいな疑問の気持が出てきてしまうそうで。
そこを解消するために、神奈川県では、ハイリスク者でも、軽症無症状の人たちは入院させずに、パルスオキシメーターを貸し出して経過を見ているのだそうで。
かなりデータが蓄積してきているので、無症状軽症から重症化する場合、重症化を掴めるようになってきて、必ずしも入院は必要ないという認識になって来たんだそうだ。
高齢者、基礎疾患のある人が、コロナに感染しても、必ずしもみんなが重症化するわけではなく、無症状や軽症で済む人だっているというところも、仰っていた。
納得した。
そうか、母がハイリスク者でも、感染が分かっても軽症で済んでしまうこともあり得るんや。
こういう立場の人が、こういう展開で、分かりやすく説明してくださると、納得する。
それを、「ただの風邪!」って、細かいところを端折って、乱暴な表現をされると、信じられないんですよね。
そこは、言い方というか、コミュニケーションの質の問題なんだと思う。
とすると、そういうところを上手く回せるこの番組に出ていた人みたいな人がいれば、兵庫県だって、感染者全員を入院させ無くても良いことになるんやなあ。
まだ、全国的には、そこの足並みがそろうところまでは行かないだろう。
で、そこが足並みそろったとしても、都市部の感染が広がりやすい人口の多い場所で、感染がどこまで拡大するのか?(もっとも、無症状者を見逃すので、その傾向は、重症者や中等症の人の数から推測するしかないのかも知れないけど)が、分からないので。
無症状者や軽症者の入院が必要なくなっただけでは、ベッド数が足りるのかどうかは分からないからなあ。
ここ2日、そんなことを思っていた。
母が入院している病院が、まだどこか穏やかなのは、市中感染率がいうてもまだそんなに高くなってきていないからなんだろう。
この先、もっと市中感染率が高くなることがあるんだろうか?
でも、市中感染率が高くなくても、たまたま感染者が紛れ込んでいたらダメなのかなあとか。
でも、しゃべらんかったら良いのんか?とか。
結局、そうい事を考えていても、よく分からなかったりする。
結局、沖縄のニシバマのサンゴの根に住んでいるキンメモドキみたいに、右見て左見て、わらわらわらわらと、その場その場で動きを決めるしかないんだろうか?
いやいや。
それってさ。
キンメモドキやデバスズメダイなどは、春先に産卵して一斉に孵り、サンゴの根について群れで暮らす。プランクトン食べながら。
で、肉食の(高級魚の)ハタから逃げ惑う。
運が悪い個体が食べられて、夏に向かって成長しつつ数を減らしていく。
種としては、生き残った個体がまた産卵をするという計算で、「再生可能」なサイクルになっている。
個体ごとに見れば、運のいい個体しか生き残らない。
右見て左見て、多くの人がもしかして感染しないのに、運悪く感染してしまうとしたら、それって仕方ないのか?
何かいい方法があれば、右見て左見て逃げ惑うだけが唯一の方法ではないんだろうなあとか、思うんですよ。
そうやな。
一つの方法は、都会に住まないこと。
人混みには出かけず、確率を下げておくことしかないな。
息を殺して生きているのは損だと思うのか?
まだ、コロナ感染が言われ始めて一年経たないので、冬の初めから感染者が増え始めることは未経験だから、せめてもう少し様子を見るべきなのか?
そう考えたら、一年くらいは、様子を見て慎重にしている間、少しくらい我慢しないといけないのは、仕方のない事なのかもしれない。
メリットとデメリットを天秤にかけて、判断するしかない。
それにしても、兵庫県の病床の使用状況みたいなものの情報が分かりにくい。
あまりにも過剰に反応して、誰よりも早く自粛して、後から必要なかったんじゃない?みたいなやりすぎになるのもどうなんだろうって思う。
さっき、病院から帰って来て(面会が制限されているので、以前より病院にいる時間が短くなって、母が入院すると今までよりもちょっと楽だったりする。母も来てほしそうにワガママを言えないからね)テレビを見ていた。
東京農工大学の水谷教授という人がコロナの起源についての質問に応えられていた。
なんでも、SARS関連の研究で、2013年に雲南省の通関というところで見つかったコロナウィルスと、今の新型コロナウィルスの遺伝子が96%一緒なんだそうだ。
可能性としての話ですが、いろんなところで似たようなコロナがいろいろ発生してとは考えにくいので、2013年に見つかったものから変異したと考える方が自然なんだそう。
可能性の話なのですが。2013年以前からあったコロナが、狭いエリアで人に感染して少し広がっては収まり、また少し広がっては収まりと、何度か小さな感染を繰り返しながら変異して、感染力を強めたものが、今回世界に広がったのではないかって仰ってた。
ヨーロッパやアメリカで、武漢で確認される前に、抗体を持っていた人がいたことが分かったりしていても、やはり、抗体を持っている人が少ないので、今までから感染を繰り返していたとしても、ごく小規模の感染だったのではないかって。
ふ~ん。
純粋に、科学的な切り口から見た時に、知的好奇心がめらめらします。
すごいよね。
ゲノム解析が、こんなにできるようになったからこそ分かるようになったことも多い。
宇宙論の発展もだけど、情報処理能力が高くなるってことは、本当に今まで知りようのなかったことを知ることができるようになる。
今の若い子たちは、バブルを知らないからかわいそうか?とか、経済が右肩上がりではなくなってかわいそうか?とか、そういう話はあるけれど。
科学者になろうと思ったら、こんなにエキサイティングな時代はないんじゃないかと、羨ましく思う。
散々いろいろ言われているPCR検査も。
多分、コロナウィルス以外のいろんなものに反応しているんだという話も。
きっと、以前に読んで先生の良い子ちゃんって、ヒドイ言い方を(私が)していたあの女医さんのブログにあった、コンタミネーションの話なんだと思う。
これも、きっと、違う物を増殖しない方法はあると思う。
目標のDNAの二重らせんを一本ずつに切り離すときに、温度を上げると、二本に離れるそうで。
たんぱく質は、熱をかけると形が変わるので、今まで大人しくくっついてた2本の鎖が、それぞれお互いに変ちゃの方を向こうとして離れて行くんだろうなって思った。
そのたんぱく質の形(アミノ酸の配列の仕方)と、長さなどによって、どのくらいの温度にどのくらいの時間さらされると、きれいに2本に分かれるのかが変わって来るのは、何となくそうだろうなあと思う。
で、この時間と温度をきっちり管理する必要が出て来る。
上げた温度を下げて、あらかじめ入れてあった相方になる原料が、一本ずつになった鎖それぞれにくっついて、2本の鎖ができるので、この工程一回で、DNAが倍になる。
2本の鎖がきれいに出来上がるまでの温度と時間がやはりあると思うし、相方の原料がぷかぷか浮いている場合、濃すぎても、原料が動き回る邪魔になるだろうし、薄すぎたら相方として収まる席に材料が当たる確率が減るので、時間がかかることになる。
こういう最適な条件を、増殖させたいDNAごとに見つけておく必要はあると思う。
で、スタートの資料の中に、ウィルスのRNAが、最初からたくさんあったのか、ごく少なかったのかによって、何サイクル回すことで目印の物質が蛍光に反応して光り出すかも違うようで。
全自動で、多くの資料を一斉に処理していても、資料ごとに、何サイクル目から蛍光が確認できたかをチェックして記録できるようにしたら、ある程度、定量的に分かるはずなんじゃないのかなあと思う。
個々の所を、どうやってクリアするかは、いろんなハードルがあると思うけど、何となく今の科学技術をもってすれば、できることだろうなって何となく思えて。
他の雑多なものを拾うからPCRダメなんだ!って叫ぶ前に。
せっかく使える手段なんだから、より精度を上げるように作って置けば、いろんなところで役に立つものができるはずやんって思う。
何でも知りたい人なので、そのくらい何とかなるやろうって、考える質なんだということを、年を食って自覚した。
それに、感染して体内で増殖したコロナのRNAなのか、たまたま環境中から吸い込んだだけのRNAなのかっていうのも。
そんなん、ぜったいに見分ける方法があると思う。
環境中からたまたま吸い込んだものなんて、時間とともに洗い流されてどっか行くと思うので、面倒でも、時間をおいて検査して、検査の結果を定量的に比較したら、多分、分かる。
きっとそういうところは、分かるか分からないかというよりも、検査をしないといけない検体の数が増えてきた時に、どう戦略的に使うかなんだろうなあと思うんです。
最悪、偽陽性でも、大人しく寝てろになる可能性ってあると思うし。
陽性者を野放しにするよりは、可能性の低い偽陽性であれば、ごく運の悪い少人数の人に我慢して大人しくしてもらっていれば、運悪く本当のウィルスに当たる人よりは、たぶん許容できると思う。
あなたは、それを許容しますか?と言われたら、筋が通っていることなら、許容すると思う。
新型コロナの話は、自分の生活も直撃するんだけど。
新型コロナの話を聞いていると、科学の進歩をまざまざと感じて、何か気持ちの別のところが騒ぎ始めるのを感じる。
ちょっと不謹慎でもあるけれど。
自分の頭の中に、いろんなことを感じる複数の個所が存在している気がする。
話が、大幅に逸れたまま、疲れてきたので終わります。(笑)