あけましておめでとうございます。
毎年、この時期に、この一年、どうしたいかなあって、考えます。
途中で、ころっと変わることがあるので、あまりアテにはならないかもですが。
今年は、今までとは違う気がします。
2016年8月から、2018年5月まで、両親のことで、ドタバタしました。
母が入院、父がいよいよ介護が必要になり、それが、私にかかってきた。
父が亡くなり、その後も母の入退院が続いた母が、やっと落ち着き、2018年の後半に、やっと、介護と仕事のペースを作れた。
その2年が終わってみて、自分の気持ちが変わった気がします。
漠然と、幸福感を感じている。
2018年、気づくと、お仕事が大変なことになっていた。
介護が原因ではないんです。自分のやり方の結果なんですけど、間に介護が入ったことで、今 までのやり方で煮詰まっていた状態に、冷却期間を置けたんですよね。
介護は、待ったなしだった。だからこそですが、煮詰まってしまっていたものに、執着していられなくなって、一回、止めた。
そんな時だから、周りを見回す余裕ができた。
実は、お仕事の方向性を、変えたいと思っていた。
私に足りないのは、何なんかなあって、考えた。
良い答えが出たかどうかはわからないですが、なんか、こっちで行こうかなあって、思うものが、形になってきたこの頃です。
2018年後半。
工房の入り口のドアに、サンドブラストを入れてもらった。
道沿いに、ちゃんとした看板を、看板屋さんに付けてもらった。
工房のチラシを作ってもらった。
工房のホームページを作ってもらった。
工房の中を、いろいろ、模様替えした。
教室を、どんな風にやっていこうか、気持ちの部分も、ちょっとリニューアルしたいと思いました。
教室も、小野教室と加古川教室だけになったので、結果的に、時間の負担が軽減されました。
そうそう。
作品作りが、足踏みしていて。
去年の「ふく蔵」さんの作品展で、東寺で作品を買ってくださっていたTさんに、「もう、以前のような作品は作らないの?」って聞かれました。
そういう状態だったんです。
自分らしい作品を作りたいと頑張ってきたものの、ほんとは、負担に感じていた部分があって。歩留まりが極端に悪くて、作るのが大変な割に、あんまり、売れない。
どこか、奇をてらっている自覚があって、もっと、素直に作れないもんかなあって、思ってた。
結論としたら。
やっぱり、今までの方向で行きます。
また、作ります。
一つ違うのは、インプロージョンを作る時の、私の腕が向上していて、歩留まりが、少し上がって来た。新しいものを作りたくなって、試作の比率が異常に高いのは、一緒ですけど。
作品は完成してなかったけど、試作、繰り返してました。
これから、形にします。
2018年の後半から、すごく、いろんな人に会いたくなった。
たまに、会いに出かけてます。
介護で、たくさんの医療関係者や介護関係者の方と出会って、否応なく関わることになって、すごくお世話になって、今まで人付き合いに感じていた苦手意識を払拭できたような気がします。
母とのかかわりの頻度が増えたことで、プライベートが薄すぎて出てなかったオキシトシンが出ているのか、幸福感が増している感じがします。
何も変わったことが起きてないのに、ぼんやりと、気持ちの真ん中があったかい。
人間らしくなったんだろうか?(^^;
さっき、ながらで、「ニッポンのジレンマ」を見ていた。
早口で、聞きなれないワードと概念がポンポン飛び出すので、ついていけない。
でも、6割くらいは、ぼんやり分かる。
その中で、語られていたことは、実は、自分に起きたことではなかったのかなあって、思った。
生物として、生き残り子孫を残すという目的のために有利になるために、「仕事」をしてきたけれど、必ずしも、仕事やお金を手に入れることだけが、有利にするための手段ではないことが分かってくれば、仕事やお金以外のところにも、価値を見出すようになるのじゃないか?
ふむふむ。
子孫を残すところには、挫折してしまったし取り返せないけど。
お金と仕事で、幸福を得ようとしていた。
お金と仕事ももちろん必要だけど。
そうでない価値観の部分にも配分した方が、幸福ってあり得るんだろうなあと、思う。
なんか、そういう風に思って作った作品の方が、共感を得られるんじゃなないだろうか?って、思う。
ホンマかなあ。(^^;
外側から見たら、「教室をやって、作品を作っている」ので、まあ、そんなに変わったようには見えないけど。
自分の中では、世界は違って見えている気がします。
今年の目標は、「素直に、気持ちがときめくものを形にしたい」です。
それと、教室では、「ワクワク感を感じてもらえるお手伝いをしよう」です。
あ、もう一つ、「愛を探そう」ですね。落ちてたら、教えてください。(^^;