今、新型コロナで、学校が一斉に休校になっているそうで。
個々のケースでは、大変なんだろうなあと思います。
私だって、母を預けられなかったら仕事できないなあと思うし、その仕事も、いわゆる娯楽の範疇の物ですし、今は元々低空飛行なので日々使っている生活費も少ないので、仕事が回らなければ、預金を崩す方法で、3ヶ月ぐらいなら我慢できるかなあと、最悪の場合を想定してみたりします。
個人的には、14年続けてきた地元作品展のふく蔵作品展の最終回で、いくばくかの思い入れもあるので、通常通りでなかったら辛いですが。
嵐の解散前の公演中止の残念感よりは、まあ仕方ない、人生このくらいあるよなあと思うわけです。
で、この頃、ブログを書いたり消したりしながら、頭の中を整理していました。
思ったのが、「自然災害」なんだなあということ。
「地震」、「台風」、「洪水」は、分かりやすく起こる。
「疫病」は、手が付けられないくらい流行ったら、ようやく目に見え始める。
で、今朝の「モーニングショー」では、玉川さんが、やっぱり、「自然災害」なんですよって、仰ってた。
で、「地震」「台風」などは、起こることは避けられないけれど、「疫病」は、人間サイドで手が打てる事がある災害だと。
ホンマやなあ。
今回の新型コロナは、かかっても軽症の人も多いので、多くの人にとっては、「罹ってしまったらお終いだあっ」ではなく、治るんだろうなあというもので。
これほど警戒しているのは、大流行して、重傷者が増えると、呼吸器が足りなくなるなどの「医療崩壊」が起こって、万が一自分が重症化した時に、自分に呼吸器が回ってくるために、大きな流行を防ぐために協力しているんだと考えるべきものなんだなあと思います。
お子さんの日常や教育に支障が出ることのリスクと、医療崩壊が起こって身近な人が重症化した時に適切な医療が受けられないリスクを、天秤にかけて考えないといけないので、難しいと思います。
お子さんで、自分の安全を確保できないお子さんをどうするかは、一律ではなくて、個別に工夫したり助け合ったりして、何とかしないと、新型コロナじゃない理由で危険な状態があるのは、コロナしか見ていないことになる。
コロナしか見ていなくて、客船に高齢者を押し込めて置き、陰性だからって熱のある高齢者を何日も船にとどめた話は、決定権のある人のミスだと思う。
介護を始めて、いつも思うことなんです。
高齢者のケアを、どこまでも手厚くするのは無理なんです。
祖母をどこまでケアしないといけないのか、線引きに迷った、主たる介護者の父は、祖母とふすま一枚隔てて寝ていて、睡眠不足になって、体調を壊した。
その前は、私と交代でだったんですが、その私か父が寝る部屋は仏間で、私が朝寝ているのに、早朝に仏さんに供え物をする。
「眠れないから止めてくれ」とけんかになって、私との交代が無くなり、父が一人で祖母の隣に寝た。
で、どうすべきか考えて、父を、元の寝室で寝てくれるように説得した。決断が遅かったかなあと思うこともないではないですが、あの時の判断力の限界だったかと思います。
あの頃は両親ともそこそこ元気で、夜、複数回トイレに起きていましたし、私が寝るのが遅かったこともあり、祖母の様子を複数回見に行けた。
その合間に事故が起こっていたとしても、それは、防げなかったことと考えるしかないと、考えた末に判断したんです。
そもそも、早朝の供え物をしないといけないって、ナンセンスって、リケジョは思います。
遅い時間に、仏さんごめんなさいって、供え物をすればいいのに、長年の習慣を止められないんですよね。ま、良いか、終わったことだし。
これは一例ですけど、高齢者に限らず、すべでのケースで、手厚くケアすることと、日常を守ることは、天秤にかけられるんですよね。
介護していても、無理をしないように工夫しようと思っていて、この頃は、かなり施設に頼って手を抜く気持ちが大きくなったり、スタッフさんのレベルが維持できない現状で、昔のできた人だけで固めていた時代は、むしろ恵まれ過ぎていたんだろう、今くらいなら合格ラインだろう、やっぱり頼り過ぎもいけないなあとか考えてしまい。
あ、話が逸れました。
比較的差しさわりのない一例を出してみたんですが。
父の介護の場面では、もっとシビアに、考えさせられました。
みんなで恩恵をシェアしないと、ウチだけ手厚くって、言えない。
そもそも、社会全体で、高齢者にどこまでも手厚くするために、未来のある若者を疲弊させていたとしたら、それは良い事なのか?って、それも思います。
手厚くはしたい、でもどこまでも無理。
現実を考えると、どこまで?とは思うし、今の時代に介護されている母なんかは、施設利用もできるし、医療も受けられて、恵まれているんだろうなあと思います。
今回の新型コロナでも、そうです。
高齢者へのリスクが高いことから、流行を防ごうというのは、高齢者や運悪く重篤化してしまう若者を、医療崩壊でケアを受けられない状態を回避しようという物。
一方では、お子さんたちや家族に負担を強いることになる。
経済的な打撃もある。
そうすると、高齢者を守るために、それ以外の人に、大きすぎる負担を強いているのか?って疑問もある。
ただ、大流行になってしまってからでは、学校も学校閉鎖やら、もっと大きな経済的な打撃も起こりうる。
そうなると、高齢者だけの問題ではなくなる。
あまり赤裸々に書くことかとも思うのですが。
極論を言えば、流行を放っておいても、国民の何割かが死ぬなんて話ではない。
誰かが生き残るんだから、「生物学的」には、人類全体としては、OKなんだという見方もある訳で。
その時、そこまで締め付けなくても、みんな死ぬわけじゃないって考えかたもあると思う。
騒ぎ過ぎと仰っている著名な方々のお顔が、今、二人浮かびます。
まあ、らしいなと思います。
日頃の発言を聞いていても、「介護問題」って、ひとくくりにして考えておられる辺り、身近に高齢者や弱者がいらっしゃらず、老いや病も、少し距離感があるんだろうなあと感じられる方で。
こういう元気な人が、経済なんかを引っ張っていくという部分も大いにあるんだろうなあと思います。
目の前に高齢者が、「高齢者」ではなく「うちの母」って形でいると、きっと、あの人たちも感覚は変わってこようなあと思いつつ。
必ずしも、身近にいる人の感覚の意見だけで出来上がる必要性もないし、身近に高齢者がいない人の感覚を代表するものだろうなあとも思う。
で、どうする?って聞かれたら。
流行しませんようにって、神様に祈りつつ。
人混みには出かけない。
昨日、一昨日と、小野市で備蓄の半数のマスクを市民に配布するっていうのでも、貰い損ねた。
気づいたのが遅かったので、間に合うかとも思いつつ、長蛇の列ができたという記事に、他に方法ないんか?って思って、結局行かなかった。
そんなこんなで、休校という判断は、今しておくべきものなんだろうなあと、思いました。
小野市は、してません。
小野市自体の流行の加減は分からないし、大都会ではないので、これでどれほど?とは思うんですが。
私、みんなで右へ倣えとか、列に並ぶとか、大嫌いな天邪鬼ですが。
小野市の市長、大丈夫か?って、思う。
もっと重大な局面での判断ができる人なのか、ちょっと今回のことで疑ってしまった。
まあそれは、個人的な感想なんで、良いですけど。
「モーニングショー」で、今日印象に残ったのは、山口真由さんの言葉。
「(休校などでいろいろ困ることが起こるので)みんな一人一人が考えて、一律ではなくて、個別にいろんな方法で乗り切る時だと思う」というもので。
みんなが一人一人考えて、その言葉を、何回か繰り返した彼女でした。
「換気の悪いところで密集するのがいけないんだから、それを避けて、何ができるか一人一人が考える」とも。
ホンマにそう思います。
1人でお留守番が、本当に危険な年代の子もいる。そこは、無理をさせない方法を考えないといけない。
でも、頑張ればできる年代の子に対しては、「宅配便でもドアを開けるな」とか、「火を使わない」とか、危険を回避する身を守る知識を教えて、一人でお留守番させ、一人で頑張ってご飯を食べてもらい。
頑張れる年代の子を、ただただ心配するのではなくて、目の前のことに自分で対処できるよう頑張ってもらったら、きっと、その時だけの思いがけない体験になって、何かの学びや成長がきっとあるんじゃないのかなあとも思う。
そういう子たちに、頑張れ!って、思います。
今、自分が立っている場所がどこなのか、確認しておきたいタイプです。
まあ、今は、お仕事もできるので。
ブログはこの辺にして、働くか。