先日、ネットのニュースを見ていると、女優の中谷美紀さんの記事が上がって来た。
何でも、ドイツ人のオーケストラのビオラ奏者だったかの方とお付き合いをしていて、ヨーロッパでは事実婚が多いのでそれでもいいかと思っていたんだけど、制度上、結婚しておいた方がコロナ禍では、思うように生活できるからということで、結婚されたらしい。
その中谷美紀さんに、ドイツ人のご主人が言った言葉が、「Life is too short.」だったんだそうだ。
人生は、あまりに短いよ。
良いお話でした。
中谷美紀さんは、本当に綺麗な女優さんだなあと思っていた。
で、記事で知ったんですが、仕事をすると仕事だけみたいにストイックなタイプだったんですって。
まあ、確かにそれでは、仕事関係の人以外の出会いはないんだろうな。
で、ドイツ人のご主人とどうであったかって記事にあったかどうかあんまり覚えていないのですが。
何でも、忙しい中、仲間との交流もしていて、人生を楽しんでいる人だそうで、いろいろ感化を受けたんですって。
変な感想ですが。
何か、ストイックな部分があって、打ち込んでいたから、人生を楽しみつつも打ち込む部分を持っている人と共感もあったし、ただの出会いから、長い関係まで続いて行ったんじゃないのかなあと、ちょっと思った。(誰との比較や?えへ、一つ前のブログ参照?)
状況は全く違うけれど。
「Life is too short.」
は、ちょっと今の私に刺さったかも知れない。
先日、友人の勧めで、ファンデーションの色を変えました。
顔色が変に見えるって。
確かに、ファンデーションの色を変えると、顔色が良く見えるようになりました。
どっかで、もう良いかって思っていたところがある。
16キロのダイエットに成功し(今は、ややリバウンド中)、仕事上要ると思ってSNS用の写真を自撮りしたら行けてなくて、生徒さんに聞いた、別人のように奇跡の一枚を撮ってくれるという梅田の写真スタジオに奇跡の一枚を撮りに行き、そこでばっちりメイクをしてもらったことで、「こんなにやって良いんや!」って目覚めて、本を買って我流でメイクを始めた。
で、メイクを始めると、一週間たたない間に、ビューラーを使っていると、長年一重だった目が二重になった。
それだけで、目がぱっちり開いたけれど、それでもいまいちで、口角を上げるようにして、真面目にメイクをしていると、何だか顔が変わった気がした。
先生整形?って、冗談半分で、かつての生徒さんと久しぶりに出会ったら言われたけど。
我ながら頑張っていると思った時期もあった。
ところが、ここ一年くらいかな。
元に戻ろうとしていた自分がいた。
自覚はしていた。
友人に、ファンデーションの色を変えることを勧められた時に、なかなか最初乗り切れなかったのは、今考えたら、そういう気持ちの変化が間違いなく影響していた。
太っていて、メイクなしで、理屈っぽくて、書類の「女」の方に一応丸はする、そんなころの自分に戻ろうとしていた。
慣れという物もあって、それはそれで、楽な部分がある。
あの頃の私は、ガラスに関しても、オタクで技術偏重だったと明確に思う。
概ね、男性の生徒さんに多いんだけれど、理詰めの質問が来る。
そんなとき、結構、論理的にびしっと返すオバさんだった。
まじめにメイクし始めた私しか知らない男性の生徒さんに、良く言われた。
「女にしては詳しい」「女にしては、そこまでできる人は珍しい」「女なのに数学が強い」って。
知らんやろ、ふてぶてしかった、太ったオバさんだった頃を。
ずっとずっと前のことを思い返すと、子供の頃からすでにそんな自分像を作り上げていた気がする。
弟はかわいくて、ずっと「かわいいな」「オトコマエやな」「ええ人おるのん、紹介しよか?」「かなりタイプ、結婚しても良い(半分冗談半分本気)」って言われていたけど。
私の方は、「丈夫やな」「元気ええな」って、苦しい誉め言葉だった。ぽっちゃりで、地味顔だったしね。そのあとは、「女の子やのに勉強できてねんてな」だった。
しかも、ファッションにも親や祖母が無頓着だったせいで、あんまりかわいい服も買ってもらえず。
私は、ファッションにも見てくれにも興味はないと言っていたと思う。
小学三年生くらいだったかな。
自分はボーイッシュな方が似合うって、思うことにした、その時来ていた服を思い出せる。
果たしてそうだったんだろうか?
生まれてきた時のあなたは、まだ何者でもない。
生きて行く過程で、環境や立場によって、役割を与えられて行き、今の自分を形成する。けれど、そういう物を脱ぎ捨てた時に、何者でもない自分がいる。
ざっくりと、そんな短い言葉を悟空さんに聞いた。
流行りの悟空塾で教えているのはそういうことだと。
それでも、その話を聞いて、変わりたいと言いながら本当に変われる人は、3割くらいかなあって仰ってた。
私はその時、世間話としてぼんやりと聞いていた。ふ~ん。
でも、言うてはることはそうなんだろうなくらいに。
で、先日の、友人のファンデーション話だ。
まだ、肌に透明感が残っいる間に、不透明な汚い色を塗りつける必要はない、と。
その時のやり取りで、思った。
そうやな、乗ってみても良いかも知れないって。
友人が言うには、きれいにメイクをしても、そのメイクをした新しい自分を受け入れる人は少ないんだそうだ。
多くは、元の自分でいようとする、と。
それは、ずっと前にも聞いていたんだけど。
ハッとした。
自分もまたそうだったのかも知れないって。
ひとたびは、痩せた、メイクしてみたら二重になった、調子に乗った。
自分も変われるんだなと思ったのに、何か、そこでトラブルがいくつかあると、元の自分ならなかったことだと薄々感じていて、なんだか煩わしくなってきて、元の自分に逃げようとする。
ずっとずっと昔から知っていてボーイッシュな方が似合っていると思い込んでいた頃の私から知っている友人に、引き留められたことになる。
結局、友人から発せられたメッセージは、悟空さんが変わりたい誰かに発しているメッセージと一緒だったらしい。
受け取ることにした。
無理をせず、自分の可能性を引き出してみようかな。
そういうのも、面白いかもしれない。
そんなときに、森元総理の「女性蔑視」発言騒動が起こっていた。
会社員の頃は、まだ、「女の子やし、辺鄙な田舎に出張に行くの嫌やろ。」って、変な方向で優しい課長に言われた。
まあ、自分に覚悟が足りなかったこともある。
システムの仕事を希望していなかったこともある。
今にして思えば、システムの仕事にも面白いところはあると思えるんだけど。
結局、頑張れなかった。
女子としてのアイデンティティーの優先順位が自分の中で低いつもりでいたのに、ちゃんと突破できなかったんだ。
今、森元総理の発言を聞いて、どう思うと聞かれたら。
これから頑張って行く女性も、女性だからではなくて、仕事の成果のみをちゃんと見て、評価されるようになったら良いと感じている。
そうしようとしたときに、女性としてのアイデンティティーはどうする?って話で。
そうなると面倒になってしまって、ガサツな自分を演じ始めてしまった私がいたんだよね。
でも、女性としてのアイデンティティーは、捨てないことにしたんだ。
さらに、内なる自分のありようもまた、捨てずにいけたら良いと思う。
悟空さんの言う、「生まれた時の自分」が、社会的、環境的、立場的にまとっていく自分は、「バイアス」と言われるらしい。
女性であったり、昔なら長男であったり、人種も、家庭環境も。
バイアスによって、「女性は数学が苦手」と思い込まされたら、本当に苦手になるんだという研究をしていた人がいた。
その人は、黒人だった。
人は、バイアスを通して、人を見がちだ。
森元総理も、よくある考え方をしたに過ぎず。
ただ、時期と立場とがまず過ぎた。
私もまた、人を見るときに、バイアスを通してみてしまうことも多いだろうと思う。
そして自分自身で、私はおばちゃんだから、とてもそんなことはって、バイアスをかけて、楽な自分でいようとする人だって多いだろう。
でも、そうかな?って、問いを投げられた時。
それは、一つのきっかけかも知れないと思う。
Life is too short.
何故か、その言葉が、とても刺さった。
お仕事も、どこか足踏みをしていた。
まだ、そこから抜け出せていないかもしれないけれど。
ファンデーションの色を変えて、顔色が明るく見えた。
口紅の色を変えて、違う印象の自分に出会えた。
でも、マスクの下だから、それを知っているのは私だけだ。
あ、友人もか。
でも、自分が知っていることは、大事な気がする。
春めいてきた気候と共に、少し、気持ちが変わってきたことを感じた。