自分が本当に望んでいる事

 ふく蔵さんの作品展のDMができたと、今朝、ご連絡をいただきました。

 今日明日には、家に届くと思います。

 

 そんなときに何なんですけど。

 こんなことを、赤裸々に書いていて良いのだろうか?

 

 コロナ禍を言い訳にしている今日この頃ですが、お仕事が、低迷中です。

 教室の生徒さん集めも、チラシを作っては、配るのに力が入っていなかったし。

 教室情報のサイトに上げようかなと思っても、そのまま先送りするし。

 力の入った作品をネット通販に上げて売って行こうと言いながらも、なかなか重い腰を上げない。

 「頑張らないと!」と、掛け声ばっかりで、先日、友人に「ヤルヤル詐欺」認定されました。

 「2年間は同じことを聞いているけど、その自分を押しとどめているものは何なんやろうな?」と聞かれた。

 

 そうやな。

 考え始めて、ほどなく結論のようなものに気付いた。

 どこかで、教室の生徒さん募集をしても、うまく行かないんではないかと思っている自分がいる。

 高額商品をネット通販に上げても、私の作るものなんて売れないんじゃないかと思っている自分がいる。

 口では、凄くオリジナリティを追及している作品のはずだからと、自分で言っておきながら。

 教室だって、ちゃんと上級者の希望にも沿っていける教室だからと、自分で言っておきながら。

 作品は、技術を追求して小難しいことをしてはいる。ただ、小難しさのあまりに、こなれるところまで回数を作ってないんじゃないかって気持ちもあるし、技術が安定しても、それを売れるだけの魅力のあるデザインに作りこめないんじゃないかとどこかで思っているし。

 シンプルでも自分が素直にきれいと思ってたらそれも良いんじゃないかと思いながら、今時作っている人がたくさんいて、超絶難しい技術で作るものでなかったら、それを作れる技術があって自分よりセンスがいい人なんて、いくらでもいるんじゃないかと思っているし。

 教室も、以前に募集しなくてもネットで簡単なホームページを上げているだけで、どんどん生徒さんが集まって満席になってクラスを増やしたことがあった。でも、あれはとんぼ玉が珍しくてブームになっていた時で、入会も、教室を見つけて見学する前に、いきなり「入ります!」っていう勢いの人が、たくさん来られていた。

 今は、そういう時期を過ぎてしまっているんだろうなとか。

 頑張る!という言葉と裏腹に、どこかしら、うまく行くとは思っていない自分がいるらしいことに、気づいてしまった。

 

 で、ネットでとある記事を読んだんだけど。

 うまく行っている人は、無意識下での思いと、顕在意識が一致しているっていう話だ。

 ナルホド。

 ガラスのお仕事を始めたばかりの頃、そうだった。

 沖縄で、ガラスのアクセサリーを売ろう。

 なぜならば、ガラス工芸の世界は、多様なテクニックや表現方法があるのに、そういう物が手に取って買えるものとして、全く存在していない。

 沖縄に通っていた頃、ガラスが好きで、国際通りをうろうろしてお店を探したけれど、魅力的だというお店はいくつかあるだけで、そのお店でも、売られているのは拭きガラスのコップなどが主流で、アクセサリーはほとんどなかった。

 自分が、ダイビングで沖縄にリピーターとして行っていて、ガラス好きとしてこんなのが欲しかったみたいな夢を形にしたいと思った。

 無意識下と顕在意識は一致していた。

 結構体力的にきついことでも、全く苦にならずにやっていた。

 いつか、その沖縄事情も変わって来る。

 ガラスアクセサリーを作る人が増え始めて、珍しさが無くなって行くし、当然、パクられるようにもなって来る。

 そこでムキになっても、泥仕合になると、消耗するだけなんだよねと思っていた。

 しかも、土産物としては、おしゃれな海デザインのタオルなどのグッズや、Tシャツなど、ガラス以外のものと競合が起こって来た。

 

 それと同時に、とんぼ玉で作家活動に力を入れたいと思う自分がいた。

 ただただ、作品を頑張って作ったら何とかなるんじゃないかって思って作っていた時期もあった。

 他の人に追随されない方法は、技術的にまねされないものを作ることだと思っていた。

 その頃、とんぼ玉ブームがちょうど来て、教室が大盛況になった。

 

 状況は、刻々変わって行くもので、自分の中で、何かしら「次」が必要な気がしていた。

 で、今日に至っているんだけど。

 果たして、自分の中に、何か強い願望って、今あるんだろうか?

 口で、こうありたいと言っていることは、本当に自分の中から出てきた言葉だったんだろうか?

 とある人が言っていた。

 「作品を頑張って作るところは、ある程度形にしてきたから、後は、売れっ子になってどんどん作品を売りたい。」

 って。

 私だって、できればそうなりたいなあって思う。

 作品展には呼んでもらえるようになったけど、人気でどんどん売れているごく一部の人気作家さんのようにはいかず、地道な売り上げだからなあ。

 そうなりたいかと聞かれたら、確かに、なれるもんならそうなりたいけどなあ。

 と、確かに思ったんだ。

 それは、確信なんだろうか?

 自分の中で、強い願望なんだろうか?

 

 今、ひだ玉や、幾何学的な球を作っていて、光がとおると、ああきれいだなって思う。

 もう少し変えて行ったら、どんなのができるだろうと思うと、時間を忘れて没頭していたりする。

 自分が作家として特徴が必要だと思って作っていた小難しい物は、いつの間にか、自分の中で「作りたい物」から「作らねばならない物」になってしまっていた気がする。

 でも、きれいだなあって思っているものが、本当に必要とされているのか、確信が持てない自分がいる。

 昔から、「ヒカリモノ」が大好きで。

 クレヨンしんちゃんの妹のひまわりちゃんが、新聞広告のチラシで、宝石店のチラシをコレクションしているという設定がある。

 私がそうだった。

 子供の頃、宝石店のチラシを集めていた。

 ガラスも大好きだったし、45年前に、お子ちゃま向けのシードビーズのセットを買ってもらって、指輪とかネックレスを作っていたし。

 中高大学では、天文少女で、星を見るのが好きだったし。

 大学に入っても、2年次の基礎物理学実験では、いろんな実験の中から実験を選んで実験をしてレポートを書くんだけど、既定のジャンル(電磁気学、力学など)を一通りこなしたら、ひたすら「光学」の実験ばっかりやっていた。(先輩に指摘されるまで、気づいていなかった)

 自動車免許の試験中に、美しすぎる夕焼けに見とれてしまっていたし。

 ダイビング中には、時分が吐いた息が丸い気泡になって、海中をキラキラしながら登って行くのを飽きずに見ていたし。

 ちょっとだけ彫金を習ったのをきっかけに、彫金はお留守のまま、オパール(もちろん天然)のルースをコレクションしているし。

 ともかく、昔からヒカリモノが好きすぎる女なのだ。

 

 女性全般に、ヒカリモノは好きな物なんだけど、私に関しては少し度が過ぎていて。

 ひだ玉が、キラキラ出来上がって、うっとり見つめながら、自分が好きな事と他の人が好きなことは、必ずしも一致しているとは限らないんだ。

 って、思っている自分がいる。

 

 昨日、インスタライブで、一番簡単なビーズクロシェを作るのを見た。

 くさり編みに丸小ビーズを一つずつ通していくという物。

 変わった糸を使っていたんだけど、その糸を持っていたので、やってみた。

 カワイイ。

 うっとり。

 ブレスレットにして、母にプレゼントしたら、喜んでいた。

 とんぼ玉じゃなくても良いんだ。

 それに、天然石のワイヤーワークもインスタでいっぱいフォローしていて、結構好き。

 とんぼ玉じゃなくて良いんだ。

 じゃ、ふく蔵さんに、天然石をワイヤーでセッティングしたアクセサリーも出そうかな。

 たまたま、字数の関係で、今年は「とんぼ玉とアクセサリー展」にしたので、例年のガラスアクセサリー展にしなかったから。

 で、手持ちのタンブルの研磨をした天然石をじゃらじゃら見たけど、ピンとこなかった。

 ああ、何でも適当に使ってちゃ、自分の気持ちがときめかないんだ。

 作るなら、ちゃんと自分が好きなものを使わないとダメなんだろうなって、思った。

 

 無意識下で、ちゃんと望んでいる事って、何なんだろう?

 「自分の欲求や望みに正直になること」

 ちょっと、考えてみる。

 という訳で。

 ふく蔵さんの作品展の作品、自分がちゃんとトキメク物を、形にしよう。

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