禍福は糾える縄の如し、かな。

 今日、地味な作業をしながら、ふと「幸福感」を感じて、ため息が出た。

 何してたんだっけ?家事だったかな、覚えてないんですけど。そのまま、考え事を始めてしまったので。

 

 何なんだろう、この幸福感は。

 自問してみて、その結論が、お天気やなって思った。

 ちょうど、梅雨空に微かな晴れ間がのぞく直前だった。

 そして、7月に入ったというのに、涼しくて快適だ。

 暑い夏だと、6月に入るか入らないかの内に、あっつ~!って、ヨレヨレになっていても不思議ではなかったのに。

 去年の夏も涼しかった。

 で、今年も涼しい。

 何より、自分もなんだけど、高齢の母と、これまた中高年にかかった愛犬のランちゃんの体調の心配が少ないっていうのは、とてもありがたいです。

 それと、とんぼ玉教室時に、換気をするのも快適だし。

 コロナ禍の影響だと、信じている私でした。

 ほら、自粛で活動が抑えられている影響かと。

 やっぱり、人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し。

 良くないことと良いことは、お手々繋いでやって来るのだ。

 

 以前、NHKの「お江戸でござる」という番組のお終いの方で、江戸風俗研究家みたいな先生が登場して、寸劇に絡んだ江戸の文化や風俗のお話をしていたんだけど。

 江戸時代の、お江戸の夏は、27℃くらいだったんだそうだ。

 だから、打ち水で夕涼みができた。

 当時の日本の首都でそうだったんだから、田舎ならなおさらだ。

 いや、剣客商売(小説の方を読んで、血みどろ過ぎてかなり引いた私だった)の中に出て来る品川宿の描写なんかは、相当田舎で、田んぼの中だったので、27℃でも不思議じゃないよねって思ったりする。

 

 それだけじゃないなあ。

 多分、自分の気持ちが、かつてないほどに安定している気がする。

 もちろん、ストレスがない訳ではないし、ストレス下では余裕なんてちっともないし、気持ちが塞いで仕方ない瞬間だってあるにはあるんだけど。

 そういう物を見るときに、離れたところから見ている自分がいる。

 もともと、物事を考えるときに、どこか他人事のように考えている瞬間がある人だったりするのですが。

 そのきっかけが、親の介護だったかどうかは分からないけど。

 攻撃的な人を見て、単に嫌な奴で怖い奴と見るのではなくて、それがその人の「防衛本能」とか「恐れから来る反射的な反応」とか、そういう物が見え隠れするなあって、思うようになったからかも知れない。

 この恐れに対する反応も、人それぞれ。

 コロナ禍において、「コロナはタダの風邪」って言っている人に関しては、不都合なことは見ないという、事実を曲解することで、恐れから逃れようとしているように思う。

 背後に見えるのは、心の弱さ。

 私は?と聞かれると。

 科学的な説明の整合性が取れる範囲で、自分の都合の良いことが起こって解決しないかなあって、ムシの良いことを考えている。

 でも、現実を見て、そうではないらしいと気付いてしまう「反例」に出会うと、そうではないことを認めざるを得ないなあって素直に考えるように努力している。

 だって、事実誤認してたら、本当の意味での危険に会うかもしれないから。

 誤認してなくても、危険なときは危険なんだろうって思うけど。

 

 そんなこんな。

 人にリアルにかかわる度に、そうやなあ、人って誰でも、突かれると傷みだすところってあるのかも知れないなあって、感じるようになる。

 そう思って自分のことも見てみると。

 昔、やけに自己肯定感が低かったけど、意外と普通やなって、安心できる。

 

 高校の時、「適性検査」っていうのを受けたことがある。

 いろんな質問があって、その人の傾向を知って、向いた職業を判定しようって物で、大学進学や就職の時の参考にしようっていう物。

 詳細はあんまり覚えていないんだけど。

 一つの項目で、関心が「人」と「物」に対して、どっちが強いかという傾向を問うものがあった。

 いろんな質問に答えて行き、その答えを総合して、より物に関心が強いのか、人に関心が強いのかという傾向を見ようという。

 「物」でした。

 きっと、「人」に関心が強いと、人とかかわることがメインの仕事に向いているとかいう結論になるんだろうけど。

 自分の中には、あまり人への奉仕の気持ちとか、薄いと思っていて、そういう答えになっていたんだと思う。

 ただ。

 今は、「人」が面白くて仕方ない。

 それに、コロナ禍の反動で、人恋しくて仕方ない。

 

 先日、大阪時代のお友達が、作品展に来て下さった。

 とっても年上の女性で、絵画クラブで一緒に絵を描いていた人。

 最近、介護していたご家族がなくなって、ずっとどこにも行けてなかったのが、少し自由が利くようになったからって。

 特にお金持ちではなくて普通の人なんだけど、体の負担を小さくするために、大阪から姫路まで新幹線で、姫路からバスで。

 聞けば、正解やなって思った。

 遅めに出て、早めに帰ると、新幹線は貸し切り状態だったそうで、ウィルスに当たる確率をすごく下げられそう。

 うれしかったです。

 まず、お元気そうだったことが。

 

 私は、友達いないって、自覚していた人でしたが。

 いるな。

 日常的に、あちこちでかける密着度の高いお友達は、ほとんどいないけど。

 どこかで共感を持てて、ふと様子が気になる人たちが普通にいたわ。

 コロナ禍も手伝って、気づいた。

 今、自分の気持ちが、人恋しくて、人に対して開いているんだなあと思う。

 多分、幸福感はそれだ!

 

 もっとも、私の気分という物は、変わりやすいような気がしなくもない。

 とりあえず、幸福感をふと感じたあの瞬間から、今の時点まで、幸福感持続中です。

 開放的に窓を開け放ち、半そでの軽装で、部屋でゴロゴロしながら骨休め中です。あまりにも疲れがたまっていたから。

 とりあえず、今、ガラス作品で作りたいものが、いろいろあります。

 このやる気も、ずっと持続できるのか?

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