「第22回 星をもとめて」という天文イベントに行ってきました

 インスタに投稿したのですが(そのまま同じものがフェイスブックにも流れるようにしてます)、天文イベントに行ってきました。

 

 実は、今日19日(月)の午後が、奈良の阿字万字ギャラリーのガラスペンの搬入でした。

 そのため当初の予定では、17日(土)はとんぼ玉教室で、18日に(日)必死に梱包作業や値札作成をして、19日(月)には、電車で奈良に向かっているはずでした。

 が、台風接近により、主催者の大鎌さんから、できる人は発送を前倒しするようにご連絡があり、それは無理やわって思ったものの、木曜で作成をいったん止めて金曜に箱詰め作業をしたところ、幸いにも、ふく蔵さん用に準備していた箱がそのまま使えたため、17日(土)の朝の内に、宅急便を出せてしまったのでした。

 いつもぎりぎりの割には、今回ばかりはちょっとだけセーフでした。

 本当に、ぎりぎりはダメですね。

 

 さて、18日が、フリーになった。

 見に行きたい作品展もあったものの、台風が近づいていると、特に朝方のだるさが半端なく、1日うだうだ過ごすはずでしたが。

 フェイスブックで、イベントを知った。

 土曜の内に気付いていたものの、日程を間違って理解してて土曜は行けないよって思ってたけど、日曜でした。

 行けるやん。

 しかも、いつもの土日なら、母を介護施設に迎えに行かないといけないか、母がお休みかで。

 あらかじめ予定が入っていれば出かけられるものの、2~3日前に分かっても、休日の夜は身動きできないんですよね、大体。

 が、今回は、母が入院中。

 それはそれで心配ではあるものの、リモート面会も、病院のスケジュールの都合で、月に一回程度の制限があり、どうすることもできず。

 なら、今は仕事を思う存分できる時では?って思った。

 その前に、思う存分、朝寝てやろうって思った。

 ゴミの日に、ゴミが出せるぎりぎりまで寝て、それ以外の日は、目覚ましをかけないゾ!って。

 でも台風が来なかったら、18日は追い込みで泣いていたはずが、お仕事一段落でフリーの日。

 2時くらいにイベントの内容を見て行きたくなったものの、お昼ご飯と身支度がまだで。

 ダメ元で、現地に16時半着を目指した。ブースは、何時まで出てるんだろうって、ハラハラしつつ。

 

 インスタの方が長くなったので、サクッと書いてみよう。

 

 現地に着くと、ブースはまだやっていた。

 が、マニアックな空気感に気後れするばかりで、しまった場違いだった!って思ったものの、せっかく来たのであちこち恐る恐る覗いてみた。

 買ったのは、無くした双眼鏡のキャップ2個。400円、のみ。

 その後、知り合いのご夫婦と出会い、さらに知り合いの方とも少しお話しできた。

 ああ、全然違う、この感じ。

 18時に始まる「電子観望」の講演を聞くために会場にいて、17時30分からのじゃんけん大会で勝ち抜いて、7番目に商品を選べ、「双眼鏡で星空観察」っていう本をいただいた。嬉しい!じゃんけん大会やビンゴ大会で、良い商品を貰えたのは、人生初じゃないかな。

 18時からの電子観望の講演では、CMOSカメラの選び方という内容で、今とても気になっている内容だったので、とてもお勉強になりました。

 

 行きの、新名神の川西で降りて来る道も、帰りの篠山周りの道も、車で走るのは、なかなか楽しい道だった。帰り道、もうちょっとマイペースでゆっくり帰りたいけど。

 帰りの道は、東寺の骨董市に月1出店した時に、21日が土日祝に当たっていると、京都南から孵る高速が混むので、その時は亀岡周りで篠山を通って、弟の運転で良く帰って来ていた道で、良く見知った道でした。

 で、いつものコンビニで、篠山の黒豆のおやつを買いました。

 家には思ったよりも早く帰り着きました。

 

 追い込みで泣いていたはずの18日が、いろんなことが重なって、急にイベントに行くことになって。

 とても楽しかった。

 

 7月に一旦停止を取られて、あと一回で免停で、すぐまた捕まるイメージで委縮して荒れたものの。嫌味か!くらいにのろのろ運転をして嫌なイメージを払拭できたかも。

 西はりま天文台友の会例会に出かけたり、星をもとめてに出かけて、やっと通常モードに戻れたので、奈良には、超安全運転で車で行くことにしました。

 星のソムリエの受講のための姫路へも、超安全運転で、車で行きます。

 あ、イライラされないよう、後続車には先に行ってもらう方針です。

 

 新名神を川西で降りて、見知らぬ道を走りながら、またまた幸福感に包まれていた。

 たまに思うんです。

 10年前の私は、高速でいろんなところに出かけている自分をイメージできてなかったなって。

 そして、父の世代や祖母の世代では、こんなに自由にどこへでも行けなかった。

 この先もまた、エネルギー問題なんかがあるので、分からないしなあ。

 もしかして、今だけの贅沢かもしれない。

 女一人で高速を走って、自分で行きたいところに行ける。

 今生まれついたから、ガラスを仕事に出来た。

 そして、天体観測のあれこれの進歩で、見知らぬ世界を垣間見ることができる。

 何か、幸せだなあって。

 歌いながら、運転する。

 しかも、高速混んでて、60~80キロで走るので、窓を開けてると風が気持ちいい。

 

 イベント会場に着いてから、多分30分くらいは、しまったどうしよう、18時まで時間を持て余しそうって思っていたものの。

 双眼鏡のキャップは買えたし、本はいただけたし、高い望遠鏡の実物を見られたし、講演会は面白くてためになったし。

 帰り道では、平均燃費30.6㎞/Lの燃費で帰れたし。

 

 追い込みで泣いていたはずの18日が、なんだか楽しい時間になった。

 カメラの話は、本当に面白かった。

 さて、このブログ、本題はカメラ愛の話です。

 

 うちの父がカメラ好きだった影響で、カメラは好きなんですが。

 それとは全然関係なく、小学校3年生くらいから、天文少女でした。

 中一の時に、天体望遠鏡をお年玉の貯金をはたいて買ってもらい、中学生の時に、理科の先生とお友達グループで星を見ていました。

 思い返すと、高校1年の現代国語の作文で、優秀な方に選ばれた訳ではなかったけど、現国の先生が個人的に、私が好きなものを集めてみると光という共通点があるって括った部分が個人的に面白かったと授業の後で言って下さった。

 大学2年の基礎実験では、好きな実験を選択して良いけれど、物理の各ジャンルの実験を最低一つずつはするように決められていて。天文同好会の一年先輩に、私の実験レポートの選択が、(一通りやったもの以外が)「みんなヒカリモノばっかりやな」って言われて初めて気づいた。

 蔗糖溶液に偏光を通したら、どのくらい旋回しているかっていう実験とか。

 ネオン管の光をスペクトルに分解して、どの波長の光が出ているかっていう実験とか。

 大学四年の時に、修士課程の先輩(天文同好会の先輩が同じ研究室だった)ともう一人の修士の先輩が、初代のカミオカンデからメンテで外して来た古い光電子増倍管を貰ってきていて、触らせてもらって、ドキドキしたり。

 大学1年と2年の間の春休みに、ハレー彗星が来て、先輩が撮った彗星の2種類の尾が写った写真をずっと会社員時代も飾っていたり。

 大学4年の時に、研究室の先生の一人が、マゼラン雲の中でできた超新星の観測のためにオーストラリアに長期で行ってしまっていなかったり。

 その後、腐っていた会社員は、突然ガラスアクセサリーを売って生活するとか言いだした。

 ずっとずっと、ヒカリモノ好きなままな気がする。

 

 と、そんな訳で、カメラです。

 それまでぼんやりと感じていたものを、直感的に、何だそういうことかって気づいたのが、前にも日記で書いた、「ユニステラ」という会社の望遠鏡で天体を見せてもらった時でした。

 初代のユニステラの望遠鏡は、接眼レンズ代わりにカメラのセンサーが付いている。

 そこからデータをスマホなどに転送してくれる。

 最初はぼんやりした画面が見えていて、明るいところと暗いところがくっきりとした粗い感じの星雲が浮かび上がって来る。

 パソコンなどで、画像が見えるときにぼんやりした物から次第に鮮明なものになって行くあの感じが、もっとゆっくりと起こっていて。

 ずっと待っていると、繊細できれいな星雲が見えて来る。

 そうか。

 光子が少しずつ、ぽつぽつ飛んできて、望遠鏡の中にその光の痕跡が溜まって行くんだなって思った。

 だから、光子がちょっとしか飛んできていない時は、それをはっきり見せるために、一つ分の光を強調しているので、あるところないところがくっきりしすぎている。

 光が溜まって来ると、画素一つ分のところが、とても明るいのか、とても暗いのか、その中間なのか、何段階もの明るさで表現できる。

 そのためには、とても明るいところには、とてもたくさん光子が飛んできていて、その中間には、中くらいの量の光子が飛んできている。

 ユニステラで見ているものは、光の粒子性なんだなあって思った。

 

 遠い天体から、光が届く。

 さえぎられてやって来ないもののある。

 さえぎられなくても、波長が伸びて届く光もある。

 が、間違いなく、遠い天体から発された光が、長い距離をやって来て、カメラの中に飛び込んで、素子に捉えられて、電子に変わる。

 その一つ一つの光は、遠い天体から出た光そのもので、粒子性のあるその光一つ一つか、ぽつぽつと、カメラの中に飛び込んでくるんだなあって思うと、なんかすごい。

 

 QE(Quantum Efficiency)量子効率というのは、光子がいくつか飛び込んだ時に、光子が電子に変換されることもあれば、変換し損なうこともあって、何個飛び込んで、何個の電子に変換されるかというセンサーの特性のことで、波長によっても違うらしい。

 カミオカンデの光電子増倍管で聞いた、光電効果みたいな?

 カミオカンデでは、光が少なすぎるので、その一つが光ったことを確認するために、電場で電子を引っ張って、次々と電子を増やして信号を得ていたけれど。

 カメラでは、電子がいくつか溜まって、一定の電位になったら、信号を送るんだそう。

 どのくらいの電位になったら信号を送るなどの特性が、カメラごとに違うんだそうです。

 こういう話を聞くと、次々疑問が出て来て、もっと詳しく知りたくなる。

 

 後半のカメラの特性のグラフの見方のところは、何となくぼんやりとは分かったものの、もやもやがいっぱいで。

 これもそのうちちゃんと知りたい。

 なぜなら、カメラで映像を撮ることの意味を、もっと違った目線で見ることができると思うから。

 

 天体観測は、本当に面白いと思う。

 最初は、写真を撮るんだったら、私が撮らなくても、というかアマチュアが撮らなくても、もっとすごい望遠鏡で撮った画像の方がすごいに決まっているって思っていた。

 ただ、天体観測は、ギリギリのところで、届くか届かないかのわずかな光を、いかに効果的に捉えるのか、あの手この手を尽くす。

 獲物を捕らえるための頭脳戦みたいなところがある。

 私のしょぼいコンデジでも、ほんのわずかな白い靄のようなものが微かに捉えられていたら、すっごくうれしい。

 昔よりも、機材がどんどん洗練されてくる。

 そうしたらあるところでもう頭を打つのか?というと、きっとそんなことはないと思う。

 最終的には、大きな望遠鏡レベルのものを、自分で持ちたいくらいにヒートアップしていくものの、そこには手が届かない。

 それでも、一昔前には考えられなかったような機材を個人が手に入れられる。

 そう思うと、止められないんだろうなあ。

 本当に、天体観測機材の沼は深い。

 

 で、どうなん?

 って聞かれたら。

 今欲しいとすると、カラーの冷却タイプの、一番センサーが小さい物で、ピクセルが3.75マイクロメートルというやや大きめで、解像度はそんなに高くないタイプのカメラが欲しい。

 画像の転送枚数は、そんなになくても良い。

 惑星のように明るい物は、1枚当たりの露光時間を短くして、たくさん転送して、合成するときれいな画像に仕上がるんだそうですが。惑星はそこそこで良いので、転送枚数少な目で良いです。

 税込み、12万円台ですね。

 こないだ、EOSーRPと、マクロレンズ買ったやん。

 EOSーRPくらいのお値段ね。

 お仕事が足踏みしているのに、そんなの欲しがっている場合では全然ないと思うけど。

 買える日は来ないかもしれないけど。

 買える日が来たら、センサー小さ目で、解像度もそんなになくて良いので(レンズ部分がどうせしょぼいから)、そこそこ暗い星雲星団や銀河を、何となくきれいかもくらいに撮れたらいいなあって思う。

 空を見上げて、小野からうっすらと天の川が見えている夜に。

 そこに美しい物があるはずなのに、自分にはそれを見る手段がないもどかしさが出て来ていて。

 ああ、あった!きれいだねえ!くらいに見られたらうれしい。

 

 そんなこんなで。

 講演を聞けたお陰で、私が欲しい物は大体何なのか分かった気がした。

 でも、今はまだ買えない。

 

 でも思う。

 沼は深い方が楽しい。

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