あけまして、おめでとうございます!

 あけまして、おめでとうございます。

 

 年末に、部屋を片付けまして。

 若干年を越えたものの、床の上に積みあがっていたアクセサリーの在庫ケースなどのあれこれを、棚の上等に収めまして、床が見えた新年を過ごしております。

 おかげで、な~んとなく、在庫が把握できて、エエ感じでございます。

 

 今年のテーマは、「トキメキ」ですね。

 めっちゃ流行っている「こんまり」さんのおっしゃることはごもっともだ。

 物のなかった時代は、どんなものでもありがたく、どんな物にもときめいた。

 今は、違うんですね。

 昔はね、文字をかける人が少なくて、契約の書類なんかも、いちいち手書きなもんで、書類が少なかった。

 昨今、書類が多すぎ。

 溜まって、置き場所に困るので、バンバン捨ててます。

 母のお弁当代の書類なんて、一ヶ月分まとめて払うと、その場でA5用紙で、6ミリ位の束くれますからね。

 もちろん中身を見てみることもせず、貰った束のまま、廃棄です。

 どうにかならないもんでしょうか?

 下手に、大量に書類を作れてしまうこの現状。

 そういうことを考えると、モノ作りも、ちょっと考えてしまいます。

 トキメクもの以外、無意味だと、強く感じるこの頃です。

 

 元旦から、「モーニングショー」をしていました。

 人気のようです。

 惰性で見ているものの、面白いと思います。

 元旦早々、「イノベーション」「終身雇用の限界」「AI」「プログラミング教育」というワードを絡めた話をしていました。

 日本の企業が、もはや終身雇用を維持するのが難しくなっているようで、トヨタが、終身雇用、年功序列という、今までの体制を変えて行くと言ったんだそうで。

 日本の企業は、イノベーションを起こせておらず、GAFAなどに軒並み良いとこ持って行かれて、優秀な人材も日本から海外へ流出してしまっている。

 それを食い止めるべく、給与体系を見直そうというわけです。

 が、果たして、お給料だけを上げて、優秀な人材が日本の企業に残ってくれるのか?

 終身雇用がなくなると、今まで、企業の中で人材を育てていたようなことはできなくなる。

 自分から学んで、向上し、成果を上げて、たくさんの給料をもらう、そういうところを目指しているんだとか。

 だとしたら、どんな教育をすれば、企業で求められるイノベーションを起こせる人に育てることができるのだろう?

 今後は、AIの普及によって、AIに取って代わられる仕事が増えて行くと言われていて。

 いったいどんな教育が良いのだろう?

 折しも、小学校で、「プログラミング教育」というものが始まるが、それはいったいどんなもので、本当に意味があるのか?

 そして、AIに取って代わられない職業というのは、何なのか?

 まあ、そんな話をしていました。

 

 この手の話は、実は、大好物です。

 自分が、しっかり稼いで行ける人ではなくなっているというのに、そんな「概論」を、面白がっている場合じゃないだろう!

 むしろ、私にゃ、「今どうするのん?」みたいな、「各論」が必要なんではないのか?

 っていう、現実的な話は置いといて。

 ↑置いとくのかい!?

 

 この頃、ちょっと考えていました。

 今という時代って。

 

 いっぱいいっぱい、めんどくさい話を考えて(こないだの、スイーツの中身の話なんかも含む)。

 これからの時代は、「量より質」を目指す時代ではないんだろうか?

 なかなか、そうはなって行かないのかもしれないですが。

 

 偉そうなことを書きます。

 起業すると、割と昔から言われているのが、「もっともっと、事業を大きくする」「日本一を目指す」「利益最大を目指す」など、大きいこと、多いことが、とかく目標に掲げられてきましたが。

 それって、発想が貧困だから出てきた価値観ではないのか?って、良く思っていました。

 分かりやすい。

 大きいこと、多いこと。

 でもね、地球が有限で、その上で私たちが生きている以上、大きくなり続けることは無理なんです。

 経済学は、専門ではないのですが。

 利益を最大にすることが、株式会社の目標なんだって聞いたことがある。

 利益を最大にして、株主に配当すること。

 その背景なんかを考えるとね、吐き気するくらい、嫌な考え方です。

 お金持ちの出資者が、事業にお金を出して、事業がうまく行ったら、配当金で潤う。

 庶民には、関係のない話やわ。

 いや、今、クラウドファンディングなんかがあるので、庶民にも関係あるのかもしれないけど。

 利益が最大なら、その質は、どうでも良いのか?

 ちょっと前に、「エシカル」っていう言葉を聞きました。

 「倫理的な」という意味らしく。

 「利益最大にすること」と、「倫理的に正しいこと」が、対立した場合、それでも、「利益が最大であること」が、優先されてしまうんでしょうか?

 こないだから、「スイーツがねえ」とか、つい、ふざけたような切り口でブログを書いてしまいます。関西人の血でしょうか。

 でも、本当は、本当にまじめに書いています。

 利益を最大にするために、安物の材料で、見た目だけ良い感じに作って、それを消費者に買わせる。

 その食べ物で、消費者の体が作られていく。

 今や、「スケールメリット」を生かすために、大企業が効率良くたくさん物を作り、それを多くの人が買って口にする時代に、「中身の貧しい物」を作って「利益だけ最大にすること」は、果たして、「エシカル」なんでしょうか?

 それでも利益を最大にすることが正義だというのが今の経済学なら、その理論の根幹の精神の部分が間違っていると思います。

 いい加減、新しい経済学が登場して欲しい物だと思います。

 またまた名指しですが。

 セブンイレブンの、東大阪のお店、最初に時間短縮に踏み切ったお店を、セブンイレブンの本部は切り捨てました。

 そういう企業なんやなあと、消費者に宣言したようなものです。

 人が、普通に幸福に生きることよりも、従来の古びたルールを死守したのです。

 ルールは、本来、人を幸せにするためにあるべきじゃないでしょうか?

 時代が変わっていく。

 価値観も変わる。

 旧来のルールも、現実的なものに変えて行かなければ、多くの矛盾が生じる。

 そういう物へ、乗り換えて行こうという、「大局観」のようなものが、今のセブンイレブンには欠けていると感じます。

 スイーツの中身に、落胆していたのと、時期も、根っこも、きっと同じなんだろうなあと、思うこの頃です。

 中身を貧困にしていくことは、消費者への裏切りであるのと同時に、そういうものを店頭に並べざるを得ない加盟店への裏切りでもある。

 中身を貧困にし、関わる人々の幸福には目を向けることをせず、利益を最大にする、それは、トキメクことなんでしょうか?

 私は、トキメかない。

 だから。

 これからは、「量より質」の時代であってほしい。

 自分自身の日々の行動はどうか?

 いろいろ、反省することは多いです。

 トキメク行動をする自分でありたい。

 他ならない、自分自身のために。

 

 でもなあ。

 なんで、人々に、貧困な中身のものを買わせることに、こんなにトキメかないんだろう?

 それは、人類の、生物としての根源的な本能が、そういわせていると思う。

 人は、生きたい、成長したい、増えたいという、本能的な欲求を持っているのだそうです。

 子供がいなくて、繁殖では負け組の私でも、生物学的には、甥や姪の血縁者の幸福を願うのも、本能ですが。

 普通に考えたら、自分の子孫が有利に増えることも正義なんですけど。

 より多様な遺伝子が、その周りに健全に存在しないと、自分の遺伝子だけになってしまったら、その自分の遺伝子を安全に生かすことはできないですからね。

 チーターだったかが、免疫の遺伝子のHLA型が、全て同じなので、その免疫が対処できない疫病が流行ると滅びる可能性があるというのは、子供の頃聞いた話です。

 人類に限らず、動物は、我が遺伝子が可愛ければ、他の遺伝子も大事にしないと、我が遺伝子を、安全に残せないんですもん。

 集団か?個か?

 って言われるけど、個のためには、健全な集団が、必須なんです。

 すみません、当たり前のことを書きました。

 

 そんなこんなで。

 質を問わない「利益最大」という、貧困な発想が、大嫌いだ!

 すみません。

 新年早々、うざくって。(^^;

 

 というわけで。

 今年は、自分の心に素直に。←いつものことだと思うが

 トキメキを探して行こうと思っています。

 今年もよろしくお願いいたします。

 

PAGE TOP