リケジョ崩れです。
が、お子ちゃんの頃から、ゴリゴリの理屈っぽい奴でした。
多分、生まれてから、死ぬまで変わらないと思う。
論理的に考えておかしい事、まあ、それも自分の能力の及ぶ範囲内しかわからないのが人間なんですけど。
自分が分かる範囲で、明らかに論理的におかしいことがまかり通ることが、気持ち悪くて、うっかり本音を言うと嫌われた。
そんな人生さ。(笑)
で、気持ち悪くてしょうがないのが、「検査をしないことが正しい」理論です。
いろんな理由付けがされます。
「検査で、陽性が増えると、医療崩壊する」
違うやろ!
感染が広がったら、検査しなくても、医療崩壊はする。
陽性が増えても、大阪市が打ち出したような、症状による検査トリアージをすれば、すぐに破綻はしない。トリアージしても破綻する時は、感染が広がっていて、検査せずとも破綻する時だ。
ましてや、検査で判明すれば防げたかも知れない大規模な感染拡大を、防げない可能性もある。
「検査能力の限界があるから、検査すべきでない。」
違うやろ!
検査能力の限界があるから、残念ながら、検査できる範囲が、限定的になってしまう。
というのであれば、能力ぎりぎりに近い検査件数でないとおかしい。そこには足りていないと思う。
もちろん、現場が疲弊するのであれば、長いスパンで、現実と折り合うのが、最善の選択肢だろう。
これが落ち着いたら、検査のボトルネックになっている、検体を取る部分を、効率的に実現できる手段を見つけるべきだ。
そもそも、大型の室内イベントができなくて苦しい人がたくさんいて、いったいいつ?って判断もできない。
本当は、抗体反応とやらで、もっと多くの検査ができれば、検査をすべきだろうと思う。
兵庫、大阪間の、不要不急の往来の自粛が言われました。
そうやろうな。
兵庫も、大阪も、春節の時でなくても、日ごろから中国からのお客様が多く、当然、水面下で広がりやすい今回の新型コロナは、入ってきていると思う。
経路を追えていると、ずっと言っていたけど、多分、最初から追えてないと思う。
鎖国してるんやないもん。
追えていないと認めることが恥ではない。
追えていないという現実を、直視できないことが恥だ。
検査をすべきでないと言っている人は、正論は言っていない。
見つかったら怖いし、めんどくさいから、乳がんの検査をしないのと一緒だ。
そういう病気でも、罹ると、自分一人のことでは済まないので、検査をしない私もどうよと思うんですが。
今回のウィルスは、感染症なので、話は、個人レベルでは終わらない訳で。
検査をして、広がりが見えて、症状によってすべき行動を、ちゃんと教育されていたら。
もっと、国内のイベントに関しては、何時?どう?っていうのが、目途が立てやすいんだろうけど。
多分、これほど検査をせずに、症状が現れた人(しかも、肺炎の治療が必要になった人)だけを起点にして追っかける以上は、全体像なんか見える訳がない。
本来は、そういう常識でないとおかしいと思うんだけど。
そういうのって、見たくないんかな。
私は見たい。
それって、感覚的におかしい?
というか、少数派?
そういう感覚の違いで、嫌がられるんやろうな。
例えば、神戸大学の岩田先生のことも、うやむやになっている。
現状が悪いとか、足りていないとかいうことは、「誰かを責めている」って、受け取られるんですよね。
本来は、現状が現状なのは、今の限界に過ぎない。
それを打ち破ろうとすると、大体、抵抗がある。
何か、世の中いつもそういう物なので、人類の本能の一部が、そういう風にできているんだろうなあと、年を重ねて諦めが出て来るけど。
自分自身も、現状を変えることに、いつも積極的でいられるほど、いつも元気でもないけど。
それでも、元気がなくても、横着に先延ばししていても、先延ばししている事実を認めたうえで、「本心は、より良い方向に変えたい」と、感じている自分でありたいと思うんですよ。
基本、怠け者なんで。
そして、全てを理想的にそろえるのはムリなので。
だけど優先順位が高い事って、より良くあって欲しいと思います。
もう一つ。
ツイッターで、「検査を増やしたら医療崩壊する」って、ツイートしていた、医療スタッフの人。
直接言えないので、ここで、空に向かって叫ぼう!
検査をしたら、医療崩壊するっていうのは違うって、先に書いたけど。
抗体反応の検査に関しては、検体を採るほどは危険でないそうだ。血液だから。
そこをうやむやに書いていた。
自分の仕事がこんなに大変だから増やすな。
でも、抗体反応で簡単に確認できるようになると、これほど大変で高度なことをしているんだよという自負が、簡単に打ち砕かれるから、抗体反応の検査も認めたくないんだろうなあというのが、部分的なごまかしを含んだ、文脈から読み取ってしまった。
ええやん。
そんなちんまい。
抗体反応の検査にしろ、PCR検査にしろ、100%ではない。
そんなことを言い出したら、あらゆる観測が、100%でないですよ。
そこを、少しでも現状に近い事実を読み取ろうと努力するのが、科学じゃないですか?
状況が良くなって欲しい。
そう思いますよ、私は。
きっと、抗体反応で確認できにくい検査もあるんでしょう。
PCRが必要になって来る局面があると思う。
PCRの検査の件数に限界がある、「ボトルネック」になっている部分が、ツイートしていたあの人の言うように、検体を取るのに技術が必要で、マンパワーに限界がある部分なら。
何か、機器を開発して、検体を取る人が要らないのではなくて、検体を取る人の仕事の負担を減らすためのサポートができる機器を、作るしかないかと思う。
技術職は、全て機会に置き換えられるとは、全く思わないので。
感染症の特徴や、個人個人の体の違いがある以上、人間が判断するところは絶対にいると思うので。
何で、今日、こんなことを書いているんだろう?
そう、「室内の大型イベントが開けない、いつ開けるか、判断ができない」その話を聞いたからかな。
検査に消極的な空気感は、私は良くないと思う。
ただ、考えました。
検査して、私が陽性だったら、母も移っていて、家族全員自宅待機か?
何をどうすることもできず、ただ、自分の面倒を見られない母のことも、誰かに委ね。
自分自身の食事の用意すら、材料が買えなかったらできないんだけど、誰がサポートしてくれるの?
すでに自分が多くのところで感染を広げたかもしれないって、周囲に思われたら?
そう考えると、自分が重症化する可能性が低いとはいえ、陽性って判明する瞬間は、怖いと思う。
それでも、判明しないまま、それ以降も、より多くの人に自分が広げることも怖いと思う。
昔はもっとだったはずで。
「伝染病」にかかったら、「家内中終わり」って、祖母が表現していた。
医療がどこまで進んでいるかにもよるけど。
もっと怖い病気もあるけれど。
新型コロナに関しては、見つけてもらえる方が、命をつなげる可能性は高いから。
ほんとは、昔とは、いろいろ違うはずだと、理性は思う。
人間の、根源的な恐怖と結びついた反応って、医学がある程度進んでいても、変わらないのかなあ。
でも、「理想は、検査が十分にできること」だと思います。
って、私は、ヘンですかねえ。