今朝の「モーニングショー」、「玉川さんロス」のところへ、颯爽と登場の「田坂広志さん」でした。
玉川さんもエエけど、田坂さんもめっちゃエエわ。
高木美保ちゃんも。
田坂さん、準レギュラーになってくれはったらエエのに。お忙しそうやし、リスクマネジメントが必要な局面で、必ず登場してくれはったらなあ。
田坂さんの、今日のありがたいお話は、「リスクマネジメント」と「ニューノーマル」ってことです。
リスクマネジメントというのは、最悪を想定して動く。
例えば、原発の例を出して、防潮堤の高さを決めるときに、最悪を考えて、それに備えた装備(この場合は高さ)にしておく。そういうのが、リスクマネジメントの考え方だそうで。
(ただ、必要がない可能性もあるからそうなるんかなと思うんですが、よく分からんけど中を取ってみたいに)最悪に備えた高さにしないで、ほどほどで押さえてしまうと、福島第一原発の防潮堤を乗り越えてしまった。
安全と安心を確保すること。
人は、安全な状況でも安心できないことがあり、安全でなくても安心してしまう状況がある。
今回のKー1や、花見客や、大阪の地下イベントのライブが、安全でないのに安心してしまっている例。
危機感を伝えるには、言葉2割、あとは、話し方などの様子に鬼気迫るものがあるかどうかで、8割。
小池さんの伝え方、確かに、正しい危機感を伝えきれていない。
余談ですが、好感度を落としたくないから、ソフトにしたのか?パニックを抑えるためだったのか?なんて、勘ぐってしまう私でした。いや、小池さん自身が、ホンマの状況を、正しく理解できているんだろうか?
そして仰っていたのが、田坂さんが、海外の知人の方とのやり取りで、お互い同じ認識を持つと仰っていたのが、「ニューノーマル」の時代に来たと認識しないといけないのかもしれないということ。
今までの普通ではなくて、新しい普通の視点に切り替えて行かなくてはいけない。
ツイッターを見に行くと、感染症のことだけに触れている視聴者の方もおられたけど、実は、台風の水害や、家の被害なんかでもそう。
今回たまたま不幸にもこんなことが起こったけど、過ぎ去ればいつも通りって考えではなく。
一回ではなく、この先も「来る」「起こる」ことを前提に、備えてある社会である必要があるって。
それは、そう思った。
感染症に関していえば。
病院の作りや、医療システムの仕組み、老人施設での備え。
さらにね、飲食業やレジャー業など、また来た時、外出できない時に、そっちモードに切り替えた営業ができるようになっておけば、良いのかもしれない。
「ふく蔵さん」では、とりあえず、家飲みで楽しんでいただけるおつまみを用意していますって、インスタ流れてました。
一か所で集まって、飲食するのがいけないなら、例えば、さっとレジを通れるようにしておき、予約制で、季節のお弁当をお渡しできるようにしたら。ふく蔵さんだと、田舎なので、お客さんは車で人数分取りに来て、2人位ならお家の縁側で季節のお弁当を食べる。とか、安全を配慮しつつも、少しはホッとできるものを提供しようとか。
いざという時、きっちりと感染対策をしたうえで、自己隔離している人のために、出前いたしますとか。容器は、もちろん使い捨てですよね。ただ、今回より怖い感染症なら、そうは行かないんだろうなって、思うけど。
何か、考えてはるんかな。実際には、どこまでなら、安全にできるのか、判断が難しいので、大変。うちの教室もですけど。
みたいな。
想像力がこのくらいなので、このくらいしか出てこないけど、「モード切替」で、次来た時にも対応できるようにしておくのって、飲食店なんかの「ニューノーマル」って、言えるのかも。
私の仕事なんかだと、通販を考えます。皆さんもう、されている感じですよね。
私の場合、思いついても、試作中ばっかりで、そもそも売れる状態になってない。ニューノーマル以前の問題や。
今の対策を見ていて、確かに思うんです。
最悪を考えた施策になってない。
いや~、そこまでではないかもしれんやんか。やり過ぎやったら、しんどいだけやで。
ほな、中取って、ほどほど自粛していただきましょかあああ~~~。
って感じ。
やるなら、もっと検査件数を増やして、やり過ぎなのかそうでないのか、判断材料を少しでも増やす。それでも判断は難しいだろう。が、それやらんかったら、もっともっと、判断難しいっちゅ~ねん!
キャパの6分の1ってネットのニュースにあったけど、それ、何やねん!ふざけんな!本気で終わらす気、あるんか?
K-1開催した主催者も、ひとたび感染を広げた結果になったら、その時の信用の失墜の損失は、計り知れない。
っていうか、それだけの損失を前提にしたものを「自粛」させようっちゅ~んやったら、やることやってから、言え!最低限、検査データ、そろえとけっていうねん。本気見せんと、誰に何が伝わるねん!あほ!
家賃要らんからまだまし、とか、お利口さんの答え、よそではするけど、スマホ代も、払われへんわ!(貯金で払います)
って、思い始めたら、怒りが治まらなかった私でした。
すみません、日本に27%の、感情の切り替えが遅いタイプのようで、怒りも悲しみも、ハッピーも、長続きしてしまう人なんです。
話それました。
そういう意味では、私はリスクマネジメントできているのか?
最悪を考えて生きているのか?
台風の備えはした。
教室のお休みもした。必需品の買い物以外では、1人で働く工房へは行き、田んぼへの犬の散歩以外出かけてないし、買い物の回数も少なくて済むようにしている。
もっと最悪を考えたら、母を預けず、仕事を家でするってとこまでしないといけないかもは、考えてあるし、その時はそうしようと思っている。
と、そこはそこ。
「ニューノーマル」それは、ワードは違えども、私も考えていた。
こういう時代になったとき、今の仕事がだめになったら、もう駄目だと絶望するのでなくて、どこかへ動いていける気持ちは要るのかも知れない。
ウィルス対策だけでなくて、非常時には、必要とされない仕事な訳で。
いや、被災地に歌は必要だったけど。この仕事も、非常時でも求められる人はいるのかもしれないけど、私がそうとは限らんやん。
そこちょっと考えようって思った。
介護のお仕事でもしようかなは、一瞬だけチラッと思ったことで。
世間話で介護士の生徒さんからお話を聞いていて、彼女のところでは、お仕事は、「ほぼお風呂」なんだそうで。
感染症なんかもあるし、お風呂に入れる順番も重要で、意外と、医療と隣り合わせぐらいの意識が必要のようで。
介護でも、って、「でも」って言える仕事ではないことは、理屈では何となくわかっている。
「でも」って思ったのは、採用時に、年齢を問われないからっていう理由の「でも」で、甘く見てるってのは違う。
あ、あと、小学校一斉休校に遅れて、12日から小野市が休校にしたとき、利用している施設でも、やりくり考えないといけなかったようで。ふと、ここは、慢性的に人の足りない業界やったなあって、思ったんでした。
この頃、そういう可能性を、考え始めた。母が家で過ごせなくなった時が、一つ考え時だ。
それまでに、通販で売れる作家に切り替えておけるかにかかっているし、意外と遠い先の話ではないのかなあと、思う日もある。
いつでも変わっていける自分。
いったい、自分に何ができるんだろうなあと思う。ヘタレやし。
ただ、母の遺伝子を貰っているからなあ。
彼女の凄いところは、自分が生き延びるための気持ちがとても強い、生命体としての絶対的な基本を持っているところですね。そこは、父の方が、やや後ろ向きだったかな。
生活のためには、しんどい仕事でも、どんどん飛び込んでいく人だった。
だから、散々けんかしたけど、今介護してるんかな私って、思う。
あ、また、話が逸れましたが。
そんな、自分における「ニューノーマル」について考えるこの頃なのでした。
田坂さんと玉川さんの対談、見てみたい。