4月のとんぼ玉教室を、第3第4週目にした。中止の可能性もありっていうことで。
そう、先に延ばしたんです。
ひとたび、3月後半の教室をお休みにしてしまうと、この状態では、いつどうしたら良いんだろう?ってなってしまいます。
いうても、地方やんって話ですが。
岩田先生の文章によると、東京が心配、まだ、兵庫県はそれほどでもないというような書き方ではあったんですけどね。
なんか、そんな気がしないんです。偉い人が言ったからって、そうそう、信用せえへんで、私。
咳が止まらなかったなんて話を聞いたり。
実際、乾いた咳をしている人と遭遇したり。
他にも。
だって、春節でも、多くの中国人がやって来て、いやその前からですよ。
行き来はあったのだから、何もないって考える方がおかしいやろ?
可能性を考えて、最悪の想定をして備えることが危機管理だって言いますが。
何か、念のためにした「最悪の想定」を、ちょっとずつ、越えてきてますから。
大丈夫なんて、思えないな。
4月14日始まりの作品展を、6月23日始まりに、延期してもらった。
4月は、感染が怖いのではなく、人々の中に、もう大丈夫なん?みたいな、心理的な怖さが残っていて、気持ちよくお客様を招けないと思ったから、延期してもらった。6月23日だったら、余裕だろうって思っていた。
延期を決めた時、まだ、イタリアもスペインもあんな風ではなかった。
ただ、心のどこかに、ただの風邪のひどい物なら、何で武漢があんなことになった?人口の多い近代的な街で、近代的な医療が確立していたっていうことを知って、どうにも、そこが腑に落ちなかったからだ。
そのあとの、イタリア、スペイン、フランス・・・そしてアメリカ。
おいおい、6月23日が、余裕ではなくなってるやん。
最悪を想定して備える。
最悪の上行ってますけど、これまでずっと。
それなのに、異様に静かな、日本が怖いと思う。
東京は、すでにぎりぎりと言っているけど、時間の問題なのかも知れないと思う。
それは、東京だけなのか?
一か所で、火の手が上がると、あっという間に広範囲に広がる。
4月の前半を避けたのは、もう少し様子を見たいと思ったから。
「正常性バイアス」というものがある。
人は、危険を低く見積もる。
それを、みんなに教えるべきだ。
あなたのその感覚は、宛にならない。
私も、頭でわかっているから、自分の感覚が言う以上の予測をするけど、それを超えてきてしまっている。
イギリスでは、終息までに、何年もかかると予測しているらしい。
単純に、この状態が、何年もかかる訳ではないはずだと思いたい。
既存の薬で、効果が期待できるものがあるのではと言われているし、来年後半には、ワクチンができるだろうと言われているし。
そう考えると、罹るリスクは、先送りにしたい。
自分の健康って、そんなに過信できないもんなあ。だって、知らずに悪いところって、ないとは限らんやん。
4月に入ってから、ナファモスタッドの治験が始まるっていうのは、いつ頃結果が出るんだろう。
一つのことだけではなくて、いろんな事を、にらみながら、どないしよ~って、考えるこの頃でした。
とりあえずですが。
4月の製作は、キナリガラスに切り替えて、通販で売れる物を作ることにしました。まだ、宅配は行けそうだし、収入欲しいし~。
今できる経済面の自衛策は、このくらいかあ・・・
宅配、大丈夫やんな?
話はころころ変わるのですが。
3月31日に、20年以上使ってきたメールアドレスが使えなくなりました。
思い入れのあるメールアドレスでした。
プロバイダーが、元務めていた会社で、その会社がころころと変わりながら、アドレスは使えていましたが、ついにサービス終了。
わずかにつながっていた遠い過去と、訣別や。
ああ、変わるんやなあ。
今に始まったことではなく。
子供の頃、祖母から聞かされた昔話とは、その頃ですら、変わっていた。
その後も変わり続けた。
ちょっと前に、思ったことがある。
とんぼ玉のお仕事は、平和だからできることなんだなあと。
戦争とかあったら、今の暮らしは、あっけなく失われる。
なぜそんなことを考えたかというと、ナショナリズムが強まっていると、ひしひしと感じていたから。
疫病の世界的大流行とは、予想してなかったな。
阪神大震災で、近代的な都市の弱点を見せつけられてしまった。
その後の東日本大震災、そして原発事故。
温暖化が原因の豪雨、台風の巨大化。
そして、密集して暮らし行き来が盛んな時代の感染症の流行。
その度、何か対策が必要だと感じながら、人類って何ができたんだろう?
神様に試されているというのなら、大昔から、いろんな災害があって、まあ、試されっぱなし?
多くの課題は、未解決のまま、積みあがっているやん。
日常が奪われたことで、世界は変わっていく。
それは、多くの人が感じている。
こんなことは、今書くことではないかもしれないけど。
多くの課題が、未解決で積みあがっている。
きっと、そこに、本当の「需要」があるはずで。
旅行券配るとか、お魚件配るとかも、エエのかもしれないですけどね。
そんな無理くり作らなくても、本当に必要な物で、まだない物は、ある。
きっと、今までの継続でない世界が来た時、そういう物を、形にして行けばいいんだろうと思う。
その時が来たら、そんな新しい波に、乗っては行けないのかなあ、私も。
とか。
犬の散歩で、アホな妄想に、1人ふけるのだった。
すみません。
昔、SF作家になりたかったときの癖が、たま~にね。