コロナ後の世界を、ふと考えていた。
感染は、落ち着いて、自由に不特定多数の人が集まれる世界は戻って来るんだろうか?
先日、ホリエモンが、経済を早く回す必要があると言っていた記事を見た。
また他のところで、人が集まるのを防ぐために、咲いていたチューリップを刈り取ったということの異常さに気付かないのはおかしいと発言したみたいで。
それを、「逆張り」と呼んでいた人がいた。
な~るほど、逆張りっていう単語があるんやな。
丁半張った張った!を、みんなと別の方に張るという意味ですね。
そういう意味では、結構、私も逆張りをしがちな人ですが、何か、ホリエモンとは、今回は全く意見が逆やなあと。逆張りにも、バリエーションがあるってことか。
で、ホリエモンは、何でそうなるのか?ってことなんですが。
ある意味、見えているものが人と違うと、逆張りになってしまうということなんだろうとは思うんですね。敢えて、人と逆を行くということではなくて。見えているものから導かれる答えに、素直に従えば、逆に張ってしまうことになる。
ホリエモンンがその意見になるのはなぜかと考えた時に、そう思った。
で、自分自身のことを考えると、私もそうだった。
意見が違うということは、見えているものが違うんやな。
まあ、分かりやすいですよね。
経済が大変なことになるとは、誰しも思っている。
違うところは、コロナに対する危機意識なんだと思う。
それ、前も書いたけど。
自分は、大丈夫と思ってはるってことや。
罹らへん、罹っても軽症、身内も罹らへん、もしくは罹って失くすことになっても嘆かない。
そうかな。そこの想像力が落っこちているんだろうなというのが、私の勝手な予想。
100歳越えをした身内が、コロナで亡くなっても、絶対悲しい。
ホリエモンの親だとウチの親より若いくらいだから、そんな年で、コロナに当たらなかったら死ななかったのにと思ったら、もしくは、現場でのリアルな悲しみに触れたら、絶対悲しいで。仮に、何らかの確執があったと仮定してみても。
と、前に思ったのはここまで。
ちょっとだけ話は変わるのですが。
今朝のモーニングショーで、小黒一正さんという経済学者の方が、コロナ対策事業を公共事業としてやるという案を出していた。
マスクや防護服が不足している、一方で、職を失った人がいる。
マスクや防護服を作るなど、必要になった仕事を公共事業としてやって、職を失った人に働いてもらうという案を、一例として出されていた。確かに。
それに、経済方面、暗いので知らなかったんですが、平時であれば、小黒さんは国債の発行に反対の人らしく。その人が、経済対策のために国債を発行してもやるべきと仰っていて、小黒さんがそうおっしゃるということは、よっぽどの事態なんですねって、玉川さんが言っていた。
小黒さんは、この状況では、国債発行して、富の分配をして危機を脱するというのは普通の考え方だと。
それによると、東日本大震災の復興のために発行した国債が、10兆円で、税金に上乗せして(令和元年分は、所得税額の2.1%ですね)2037年までに、償却する予定になっていて。
今回、25兆円とすると、同じ計算で、10%になるそう。
※所得税と住民税をほぼ同額払うことになるので、自分が払う税額全体が、5%ほど多くなる計算?
10万円もらって、税金を少し多めに納める。庶民はそう。
お金持ちは、10万しかもらえずに、税額が5%増えると、その5%がかなりの額になるということで。
その富の再分配によって、ぎりぎりの庶民を救い、お金持ちには泣いてもらうと。
こういうことになると、お金持ちは、「じゃあ海外移住だ」と考えるんですけどね。さあ、どこかへ移住されるかな?ややこしい時期だけに、日本を動かない方が、まだ自由が利く気がしますが。ちなみに、日本で芸能活動をしている人は、海外に移住しても税金がかかるとか、いろいろ、決まりがあるようです。出て行かないで~!税金納めて~!
世間が落ち着いて、経済が回り始めるまでの緊急的な措置として、ベーシックインカム的なものが、一時的にできるのかも知れない。ギリギリでしょうけどね。
脱線しましたが。
そう、防護服やマスクを作る仕事が、一時的に発生するような発想。
そうか、そういうところにも、今必要な仕事ができるんやね。
三密を避けて、作れるもんなんやろか?そこが大きな疑問ではありますけど。
で、いよいよ本題なんですけどね。やっと!
昨日、ふと思ったんです。
経済活動にとても大事な「需要」つまりざっくり言うと「欲しい物」ですよね。
今、何が欲しいのか?って、こないだもちらっと書いていたけど。
今、私たちが最も欲しい物は、「安全」、そして「人との関わり」だと思うんです。
ホリエモンはさ、経済回せって言うけど、いわば「コロナ以前」の価値観で回していた経済を、そのまま回そうって言っている訳ですけどね。
そのままで、欲しい人が、前のまま、いるんだろうか?
まあ「平気~!」って余裕をかましているアホ、いえ、おおらかな感性の人は、いることはいると思う。
でもなあ、どこかこわごわになると、気持ちは変わると思うよ。
そこに、新しい本当の需要があるんじゃないのかなって、思ったのです。
安全を確保すること。そのための方法。
安全を確保しつつ、不要不急の用事ができるようになる仕組みを作ること。
それこそが、新しい商売になるんではない?
思うんですけど。
商売や需要を考えるときに、多くの人が感じている感覚と大きくずれた視点からは、本当に欲しい物を見落とす可能性があるんじゃないか?
何とか工夫して、心から安心して、心から楽しめる、新しい仕組みを考えること。
それは、今までなかったものだから、新たに生まれる物で、それによって収益を得られたら、本当の意味での経済活動になると思うんです。
安心できない状況で、いったい、ホリエモンは、何を求める経済を回そうというのだろう?
こわごわとイベントに参加して、ロシアンルーレットみたいに、コロナに今回は当たらなかったけど、他の人は当たったらしいよ。で、感染広がってるから、あたりの率が上がってきてしまうらしいよ。って、そんなもん、欲しいかな?
命を懸けてまでも、享楽的な喜びを追うのだろうか?
安全が約束され、そこそこ仕事があり、衣食住が最低限満たされていたからこそ、その先を求める社会が出来上がって、「その次」が経済を回すための大きなファクターになっていて。
スマホをどんどん新しくして、面白いコンテンツを提供して、それにはたくさんの通信の容量が必要になるので、みんなに乗り遅れまいとして、そこにお金をつぎ込んでいた。
その奥底にある心理は、享楽的なものを享受したいという部分はもちろんあるけど、「周りから遅れまいとして」というのは、コミュニティの中で、自分のポジションを保ちたいという本能に根差したもので。それに乗っかって、いろんな新たな需要を作り出すことに躍起になっていた世界だった訳やん。
コロナ前の世界は。
今も、通信に乗っかったものは、ますます盛んではあるので、まあ、一例ですけどね。
そういう集団での自分のポジションを保つためから発したはずが、手を変え品を変えて、何とか需要を作り出すべく膨らませた経済活動を、そのまま回すという考え方って、何か、空虚な気がします。
何が欲しかった訳?って、思う。
そういうところが、ホリエモンとの考え方の違いやな。
人には多くの欲求がある。
一番なのは、生き残ることだし、安全だし。
それでも、人と会いたいと思う日々だし。
安全を確保しながら、今我慢している色んな事を実現できるように、あの手この手で工夫する。
私は、そうしたいと思う。
いつやむともしれない土砂降りの雨の中を、無謀に飛び出して行こうとは思わない。
土砂降りの雨の向こうに、魅力的な場所が見えていたとして。
そしたら、雨にぬれずに、向こうに行ける方法を、一生懸命考えた方が良くない?
どこまでできるかは知らんけど。
方法が見つからない時、やむまで待つのか、やみそうな気配がした時、いつ飛び出していくか、そういうところも、考え方の違いはあると思うけど。
まあ、人による。
自分自身が、もしくは身近な誰かが、ハイリスクだとして。
イチかバチかって、ちょっと考えにくいな。
そういう人は、一定数いて。
見切り発車で、「いてまえ!」ってした時に、みんながみんな、それに従うとは思えない。
ポストコロナの世界。
ウィルスがどんな風に変異しているのか?ワクチンは効くのか?有効な薬と受けやすい検査は十分にあるのか?
場合によったら、元通りに自由にできるのかも知れない。
もしかしたら、お店の設備を変える必要があるのかも知れない。
人が集まれる形態が、ある程度限定されつつ、工夫していくのかも知れない。
どんな世界になってるんだろ?
でもな。
間違いなく、みんな、人と会いたいっていう気持ちを、改めて確認しているこの頃なんじゃないのかなあ。
さ、仕事行こう。
もうちょっとしたら、作品アップできると思います。
あと、一週間くらい。
そう、私には、世間のお休みの感覚はない。