「これから」を考える

 今日は、すでにランちゃんとの散歩を終えました。

 日が長くなっているので、うっすらと明るさの残る薄暮の中のお散歩で、夏のような一日の後、良い感じに涼しい。

 なんか、心地良い。

 ほら、できないことも多いけど、だからこそ、それに便乗するかのように、思いっきりまったりしている日々です。

 あ、そうそう。

 昼間は、「ふく蔵」さんに行って、4月14日~26日に開催予定だった作品展のDMを貰ってきました。

 これから、日程のところだけ、変更します。

 

 ふく蔵作品展、今年は、6月23日から7月5日まで、開催です。

 まったりした日々は、終わったね。

 明日一日、グリーンゲイブルズらしき家の入った街並みのマーブルを、あと2個くらいは作ろうと思います。手が慣れてきたので、今やって置かないともったいないので。

 その後、ふく蔵作品展の準備。

 作りかけているのを、ループをつけるなどの仕上げをして、アクセサリーに組む。

 今回は、色々小道具を凝ろうかと思っていたけど、そこまで大掛かりなことはせず、ゆるっと行こうと思います。

 まだまだ、県境をまたぐとか、遠くまで出かけるとかいう空気感ではないので、DMの発送も、そんなに多くは出さずに置こうかと。

 今年最終回にしようと思っていたけど、この、尻切れとんぼな感じは、どうにも納得できず。

 今後のコロナの動向を見て、来年の夏にもう一回するのか、再来年の春にするのか、そのまた先なのか。

 ちょっと考えます。

 

 新型コロナによって、思いがけず、予定が全部変わってしまいました。

 しまった、婚活しようと半分は本気で思っていたのに、全然やん。出歩けん。

 とまあ、冗談か本気か分からんことはさておき。

 今年のテーマは、「オープン!」だったはずなのが、すっかり、閉店ガラガラやんか。

 星のソムリエになる話も、どうなるか分からず。

 っていう状況を、不思議な気持ちで見ます。

 コロナ前の私は、いろんな希望も抱きつつ、どこか、急き立てられるような焦りのようなものがあった。

 糖質制限ダイエットに成功し、その後、マジメにメイクを始めたら、ビューラーを使った弾みに張りのなくなった瞼が、3日ほどで二重になり、目がぱっちり開いて、自分史上最大位に女子力が上がった感じだったのが、そこから、必然的に、老けていくんですよね。当然ですけど。

 しまった。

 手に入れてしまったものは、人は手放したくない。

 瞼も、ぱっちり開いていたはずが、目じりの側の二重の上のところが、落ちてきているやん。

 そんな焦りから、ビューラーで無理無理押す作戦はやめ。

 フツーに、年に抵抗する、頑張るおばちゃんになっていた。

 それが、急に、全てが、シャットダウン!

 なんか、無理なんやなって、どこかで覚悟を決めながらも、希望を探していた。

 新型コロナとの戦いに、10年もかかっていたら、ホンマに、後期高齢者まで、すぐやん。

 いや、10年が、すぐなのかもしれないけど。

 それが、この新型コロナ対策何とかならんか?みたいなブログの、大きな動機の一つだった。

 そのことは、自分でも痛いほど自覚しつつ。

 でも、どこかで、そういう焦る自分を、神様が、止めてくれたのかもなあと、ちょっと笑える瞬間もあった。

 

 コロナだけではないんだけど、誰がが言うてはった気がする。

 こういう極限みたいなことが起こると、つまり、余裕がなくなるとっていうことかな。

 いろんな、これまで抱えていた弱点が露呈して来るんだと。

 私の焦りをあざ笑うかのように、「極限」が、目の前に立ちふさがって。

 エエ感じに開き直ってしまった。

 そして、ダイエット成功と、メイクをして二重になったよと、介護とが、同時期に回り出して、何やかやで、結構、「女子!」っていうキャラクターで生きていた気がする日々(意識したのではなくて、何か、そうなってた)それが、終わった。

 新型コロナが来たのを一つの機会に、昔の私に戻った。

 多分、自分の生き辛さみたいなものの正体に気付いたと思った後に、昔の自分のキャラに戻った。

 本当は、変わってなかったのかも知れないけど。

 何故か、とても幸福感の中にいるのは何なんやろうと思うのです。

 

 もしかして、コロナ以前は、本当にいろんな欲の中にいたのかも知れないです。

 それは、どこから来るのか?

 生き物である以上、生きの良びたい、より良く生きたい、人より有利に子孫を増やしたい。

 もともとは、シンプルな、生き物としての欲求が、複雑化した社会的生き物である人間の日常の中で多様化して行く。

 それは、手段だったはずだ。

 生き残り、より良く生きる(大きなウェイトを占めるのが集団の中でのポジションを確保すること)ための手段だったものが、目的に転じてしまっている。

 まあ、エエねんけどね。

 そこへ、コロナ禍が来て、スポーンと、取り去られてしまった。

 無理かもな。

 え?

 とんぼ玉作家として、もうちょっと頑張りたいとかさ、教室の生徒さんを増やして、収入安定させるとかさ、ややイケてるオバちゃんのつもりの内に婚活とかさ。

 無理ですか?

 まあ、それはどうだかですが。

 ああ、手段やったんやな、それって、目的ではなくて。

 リセットされてもた。

 心が軽くなっている自分に気付いた。

 今後何が起こるかは分かりません。

 ハイパーインフレが起こると言うている人もいて。

 それって、亡くなった父の預金を少しもらって、フトコロが気持ちほくほくしたのも、アウトになるってことですか?

 そういや、昔、インテリだった主任が言うてた。デフレの時は、預金がある人に得で、インフレの時は、借金している人に得。なるほど。手堅いので、借金はない。収入も細いけど。

 残念?いや~。体質的に、借金無理。

 ハイパーインフレ。

 ホンマに起こるのん?一国だけが、経済の底を打ったら、何が必要な物を買う時の対価としてのお金が、値打亡くなるけど、今回、全世界やで?

 いやいや。

 ハイパーインフレってさ、いわば、お金とか株とかの価値が下がるけど、それに対して、実在の物の価値が上がるって事やん。

 一次産業とかの、物を作れる人には有利なんか?

 じゃあ、場合によったら、ヘンな格差の逆転が起こる可能性があるってこと?

 それって、こないだ、ボロボロだった車を買い替えたばかりの弟ファミリーにはラッキーだったってこと?

 とんぼ玉需要は、無いんかなあ?

 まあ、どう世の中が転ぼうと、そこで生きて行くしかない訳で。

 生き延びられたら、どんなことが起こっても、好奇心むき出しで、世の中の変化を見るんだろうなって、思う。

 

 戦争を体験した父は、パンデミックを知らない。

 ずっと先の時代から見た時、歴史に残る瞬間に立ち会っているのかも知れない。

 ウィルスは、生物の進化に関与してきたという説もあって。

 ウィルスも、とてもたくさんの種類があって、今回のように、真っ向から人間社会の脅威になるものは、ごく一部で。

 でも、その一つと、こんなに、真っ向から対決している。

 それって、生命の進化から見た時に、どんな意味があるんだろうなとか、そんなことも考えていた。

 興味は尽きません。

 困っておられる方が、たくさんいらっしゃることは分かっているので、ある意味不謹慎と思いつつも。

 生きていると、いろんなことが、興味深くて、生きていることが、本当に面白いなあと、思ったりもする。

 ふく蔵さんが終わって時間ができたら、物理数学の勉強を、ちょっとだけやり直したい。

 数学、弱いので。

 

 とりとめがなくなってきたので、今日のところは、このへんで。

PAGE TOP