ヤルヤル詐欺

 「まだ、はっきりしないことだから言えない。」

 なんてセリフを始めて聞いたのは、いつのことだったのか。

 それ以降、そうか、そういう考えの人も、けっこう多いんだなあと気付いた。

 それって、日本人のカルチャーなんかなあ。

 で、自分を顧みてみた時に、かなり違う人だなあと思う。

 例えば、誰かに何かをしてあげるとか、そういう気を持たせることに関しては、軽々しく言うと良くないなあとは思うんですけどね。

 自分のことに関しては、そういう考えで自分を縛ることは、窮屈に感じる人なんだなあと、経験値を積んで確信したりする。

 世の中には、いろんな人がいて。

 何か、楽しいことを急に思いついて、自分の中で盛り上がるタイプ。

 いるな、私みたいな人って、最近思った。

 どうも、それは教育でどうこうなるものではなくて、最初からそういうタイプらしく。

 まだはっきりしないことだから言えないとか、縛ってしまうと、自由な発想をするのの足かせになって行く気がした。

 

 やってみたいことを、何かのはずみで思いつく。

 でも、そういうのは、なかなか形にはならない。

 多分、思いついたものの内の何分の一でも、実現出来たら良い方だと思う。

 実現出来たらすごいと思う。

 とまあ、そんな訳で、やってみたいことを口にするときには、それなりに気を付けるようにしている。

 はっきりしないことを口にしない人に向かって言ってしまうと、ヤルヤル詐欺くらいには思われるだろうし、期待させてしまうと、がっかりされるから。

 

 と、なが~い前置きで、良い訳をしておいて。

 この頃のお話。

 五十肩は、なんか悪化していまして。整形の先生が、「自力でどうにもならなかったら、また来て」という趣旨のことを仰ったので、行った。

 アカン。

 期待した私がアホやった。

 ここの整形を選んだのは、先生ではなくて、リハビリの評判が良かったからなんだけど、リハビリは新規をなかなか入れなくなっているらしい。まあそうやな、入院中の回復期のリハビリと兼ねているので、院内感染のリスクを下げておきたいのは、理解できる。

 だったら、何か治るための方針は出ないのか?

 出なかった。やる気ないな。

 という訳で、そこの整形に行く理由はなくなった。

 それやこれやで、結局、元々マッサージに通っていた鍼灸師さんに、ガチで、治療目的の鍼灸をしてもらうことにした。予防目的と個人的な趣味のマッサージも併用して。

 速攻で行ってみた。

 一回でどうこうなるものではないんですが、Tシャツの脱ぎ着は、幾分スムーズになった。それだけでもすごいです。

 筋肉から来ているので、また習慣づけたところに戻ろうとしてしまうのは当然で、繰り返し行って、自力ストレッチも併用して、とりあえずの目標は、出費が嵩んでも、ここは出すところで、ちゃんと治しておきたいんですよね。

 というか、やっと、本気を出しました。

 本気を出してみて、スイッチが入った。

 日々、だらだらと惰性で生きてしまっていて、日常、いろんなつまらないことに時間を割いていると思う。

 星を見るのは、つまらなくない。

 ネットニュースをつい見てしまい、気づいたら結構な時間が経っているとかは、無駄な時間。

 きっと、その辺も整理して、自分の体を休める時間を作るべきかなあと思った。

 いろんなことを、減らして、減らして、結構すっきりしたと思ってみれば、今度は、何かつまらないことに惰性で時間を割いてしまう。

 このままでは、ヤルヤル詐欺は、いつまでも何も実現できないことになってしまうな。

 そうそう。

 五十肩、正式名称なんていうんやったっけ。

 なぜ起こる?なんて話もあるんでしょうけど。

 複数のよろしくないことが積み重なっているのでしょう。

 目が悪くなったとかね。

 加齢はしょうがないとして、間違いなく、食生活の悪さが、体を作る材料の悪さとなって、良くない体が作られていたに違いない。目が悪くなって、緊張で肩こりがひどくなり、その筋肉もまた、良くない材料でできている。

 マメなことは、なかなか難しいけれど。

 言い訳しながらなし崩しになっていた食生活ですが、「これは、自分の体を作るのに、本当に良い材料なんだろうか?」そう、自問自答しつつ、買うことにした。

 それが「窮屈」と感じるか、「なんかちょっとでも良い物を食べてる私ってイケてる」と感じるかの差ですよね。

 今の、どことなくどんよりした自分を抜け出したいと思うこの頃です。

 いくら何でも、これは、本当にやりますよ。

 

 そしてもう一つ、床の上に置きっぱなしにしていた本の表紙の画像を見ながら思った。

 またまた、思い付きで終わるのか、形になるのかは、未定。

 「ああ、自分のための、自分なりのガラスのジュエリーを作ろう」って。

 先日、高砂で作品展をされていた椎葉佳子先生の作品展にお邪魔して来ました。

 ああ、そうか。

 椎葉先生のは、完成品で、私が作っているのは、素材までで止まっている物なんだなあって。

 以前、美しいとある人が言った言葉ですが。

 「とんぼ玉を作る人は、玉を作ったところで力尽きている人が多い」って。

 その時もそうだなあと思ったんですけど。

 今は、少量で構わないから、完成品を形にしたいあと思うんです。

 注目されようとか、誰かのよりすごいとか、そういうことではなくて、自分自身が心地よい物を。

 そういうことを考えると、わくわくして来ます。

 形にしたいです。

 

 そういえば、インプロージョンで今まで作って来たものに、もう一度じっくり取り組んで形にし、ネット通販を細々始めるとかも、言ったきり、まだ実現していない。

 ミンネのユーザーは、ちゃんと作り直したんです。メールアドレスが使えなくなったから。

 こっちも、ぼちぼちと始めたいんですけどね。

 

 どうも、一つのことを始めると、そこに集中してしまうらしく、形になったら満足してしまうらしく、売り物をコンスタントに作るところが、とても手薄です。

 だから、作品展とか、出せないんだろうなあ。

 本当に、今面白いと思う物に、没入しているのが楽しいし、火が付いた時にやって置かないと、冷めると忘れてしまって、お蔵入りになってしまうしね。

 その辺の配分は、常に場当たり的ですが。

 もうしばらく、自分が面白いとその瞬間感じられるものを優先してやってみようと思っています。

 今やっているのの先に、ジュエリーが出来たら良いなと思います。

 

 五十肩でマッサージしてもらっていたら、ある部分に凝りがあって、ストレスをためていると言われました。

 うん。

 急に暑くなったしね。

 実はコロナ禍は、自分なりに解釈して、上手く受け止めようと努力はしているものの、当然、ストレスにはなる。

 星のソムリエの講座は中止になったしね。

 母は入院するし。

 製作は、変わらずできるんですけどね。

 コロナ禍で、できなくなったことや制限があることで、今やらなくてよくなったことで、楽になった部分があることも感じてはいるんですけどね。

 ま、溜まるものは溜まりますね。

 

 洗濯も終わったことだし、そろそろ、スケスケの地味な玉を巻きに行こうかな。

 こないだ思った。

 家族がいる人といない人では、家族がいる人の方が長生きする傾向があるって聞くけど。

 それは、家族絡みのイベントもあるだろうし、自然と人との関わりもできるだろうし、生きて行く上での目標や張り合いができやすいからだろうな。

 私の場合は、その辺は薄い物の。

 作りたいものややりたいことはどんどん出て来て、手の方が間に合わず、頭の中も自室も、すぐに散らかる。

 それも体調次第なのかなと思いつつも。

 やりたいことを抱えたまま、このままずっと行って、どこで終わりが来ようとも、やり残したことだらけで終えるんだろう。

 きっとそうだろうと思うし、本当にそうありたいな。

 部屋が散らかって来たので、ちょっとだけ片付けよう。

 で、また散らかる。

PAGE TOP