曲がり角

 赤毛のアンに、「曲がり角」の表現がある。

 詳しくは思い出せないんだけど、マシューが亡くなって、大学進学の奨学金が決まっていたのをすぐに進学せず、小学校の先生になろうと決める。その時に、勤務しやすい地元小学校の教員に決まっていたギルバートが、その席を譲ってくれてギル自身は、少し遠い小学校の先生になると決まるんだったかな。

 人生には、区切り区切りがある。

 アンは、曲がり角に立って、未来を見渡す。

 

 私にも、またひとつの曲がり角が来た。

 介護をしていた母が、先日亡くなり、今日、葬儀を終えました。

 両親の介護が、一気にのし掛かってきたのが、6年前の夏でした。

 それから、6年と2ヶ月余り。

 それまでの私は、両親と私の3人で食卓を囲んでいて、2人がいなくなって1人取り残される日が来ることを、気持ちの隅っこで、とても恐れていた。

 2人に世話が必要になったとき、食卓を囲んでいるという位置関係から、メインは私がやることになるんだろうと思っていた。

 ただ、まだまだ元気だから、まだ先だろうと思っていた予測があるとき崩れて、一気に2人の世話が必要になったのが、6年と2ヶ月前だった。

 

 母が元気なうちは、喧嘩の多い母娘だった。

 直感で生きている母と、理屈っぽい娘。

 料理が苦手な母と、そこそこはできるのに横着でやらない娘。

 ほぼ1日1回以上は喧嘩をしていた。

 

 が、介護が始まると、関係がころっと変わった。

 まず、母の変わり身が早い。

 自分に利益をもたらす人には、調子良く良い子になる。

 私も、自分に上から指図する存在には、自分の主張をぶつけるけれど、力なくなった存在は守ろうとする。

 

 もちろん、今思えば、かなり色々あった。

 この後始末、今からやるの?って、疲れてるときに、どかっと来たり。

 親が体調を崩して、走り回ったとき、病院は待ったなしなので、自分のスケジュールをあっさり変更することになり、コロナ前は当たり前のように、手術や処置でも、病院で何度も待機し。

 私のスケジュールなんて、(コロナ禍で流行った言葉で言えば、不要不急の職種なので)その程度の価値なんだろうなって、医療や介護に従事する勤勉な人々と比べて、卑下した日もあった。

 

 弟と、母のお骨の前で、この日々を思い出していた。

 主たる介護者が私だったので、弟に残る古風な価値観で、長男の自分が、十分にやってないと思っているんだけど。

 平日の夜に、毎日決まった時間に帰って来て、母のお迎えと着替えと寝かしつけをしてくれていた。

 まあ、私にしてみれば、病院で、透析終わりは相当疲れているのではないか?この頃その程度に変化はあるのか?と聞かれて、朝と土日担当の私には分からず、答えに窮した日もあった。

 大変は大変だったなって、弟と話した。

 父は、警戒心が強いのか、介護しづらい所があった。が、ダブル介護の始まりからは一年少しで亡くなった。

 母は、体調不良での介護のやりづらさはあったものの、素直で、自分に利益をもたらす人には、調子良くお利口さんだったので、性格的にはやりやすかった。

 そして、一気に駆け抜けたなって、今となったら思える気がした。

 

 介護を通じて、気付きや学びもあった。

 何より、自分の力のなさを突きつけられて、無力感に襲われたことも何度もあって。

 本当に人間には限界があるもんだなって、思えた。

 そんな時、医療介護関係の多くの人々に、物凄く多くの人に助けられ、お世話になって、今日まで来られた。

 ひねくれた所があって、他者への警戒心が強かった私が、多くの人の助けられたことで、人をもっと信じられるようになった気がする。

 

 病気で体がしんどくて、車椅子で、でも、それでも日々に楽しみや目標があっても良いんじゃないかなって思ったから、母を喜ばせたくて、お出掛けしたり、食べられるもので美味しいものを探したりして。

 母を喜ばせようとして、喜ぶ母に癒されていたんだなって、気づいた。

 愛犬のランちゃんとみつめあうと、癒しの脳内物質のオキシトシン出るらしいで、って思っていたけれど。

 母との関わりでも、オキシトシンが出ていたんだと思った。

 昔よりもずっと、日々に、言い様のないゆるい幸福感をぼんやりと感じていたから。

 情緒不安定ぎみなのを自覚していたのが、介護の間は、不思議と何かで満たされていた。

 

 そして、その日が来た。

 誰もいなくなった食卓で、1人でご飯を食べる日が、リアルにやって来た。

 母の入院で、2ヶ月間はそうだったけど、また帰ってくるから、それまでの息抜きだと思っていたから。

 もうその日は来ない。

 

 恐れていたその時が、リアルに来た。

 ただ、人としては、後ろ向きになってはいけないんだなって思う。

 自分のコンディションさえ整えていたら、存分に働けるし、介護中との言い訳ができずに、リアルに働かなくてはいけなくなった。

 

 心のどこかで、明確に、次の曲がり角か来たと思う。

 母のいない寂しさや、介護から解放された身軽さや、いろんな複雑なものが交錯しつつも。

 曲がり角が来たんだなって思う。

 

 前の愛犬しろちゃんの時も、祖母の時も、父の時も、そして母の時も、もっとしてあげられることがあったのになと、やり残した感を抱えながら、きっとそれはどこまでやっても、同じように感じるんだろうと思う。

 私の限界の中で、やりきったとするしかない。

 

 しっかりと働いて、自分の生活を立て直す。

 できるのかな?とか、疑いを抱きつつも、そうは言っていられない現実をリアルに突きつけられている。

 

 既にいっぱい泣いたし。

 1つの曲がり角に立って、この先を見渡す時が来た。

 ¨Live a life¨って、高校の英語の先生が仰ったフレーズが、甦る。

 人生を生きる。

 曲がり角の先に、踏み出して行くか。

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