もともと、世間でいう、バランスの悪い人だと思う。
自分なりに悩んでいたこともあって、長い期間で、いろんな本や、ネット上の記事や、自分自身の体験から、いろんな考え方を蓄えてきたというか・・・
で、思ったのです。
「何かに秀でているということは、何かを犠牲にしているということ」だと書かれた本が紹介されていて、気にはなる。
著者、見たことのある名前の人なので、なおさら気になるけど、時間がない。
でも、腑に落ちる。
これ!と思ったことには、集中力が高い。
でも、オールマイティに、ソツなくこなすことは苦手だと思う。
それを、「ワガママ」「気まぐれ」「気分にムラがある」と、言われることもあって。
自分なりには悩んでいたんですよ。
とかく、世間は、読みやすく、学校などの集団では管理しやすい相手を好むように思う。
私にしても、予測不能の人は、決して得意ではない。
でも、私自身は、他から見ると、きっと、予測不能なんだろうなあと思う。
それだけに、ゴメンナサイと、結構思っている。
そこを変えられるかというと、根底的には無理。
私個人の感覚としては、ブレーキが甘いんだと思う。
脳内物質が暴走した時に、素早く、なかったことにすると気分に振り回されることは少なく、安定している。
まあ言えば、脳内物質が、暴走しがち。
嬉しいも、悲しいも、ハラハラも、ドキドキも、派手。
その流れで、落ち込むのも派手で。
日々、無駄なエネルギーを使いながら生きている気がする。
「赤毛のアン」タイプと、自分では思っている。
年とともに、脳内物質の分泌が、衰えてくるのか、ちょうど良くなって行きやしないかと、淡い期待を持っていたりして。
そんな訳で。
好奇心も強く。
今朝なんかは、VRアートに、震えた。
これはすごい!
立体感覚の鋭い人にとっては、全く新たなキャンパスを得たことになる。
ゴーグルをつけて、立体世界を見ながら、手にしたペンのようなもので、空中に絵を描いていく。
もちろん、コピペで、複数増殖させることも可。
デジタルデータとして記録されているので、データさえシェアすれば、ゴーグルをつけて、どこでも作品を鑑賞できる。
こういう立体データを使ったものとして、医療での利用も、もちろん取り上げられていた。
患者の体の手術する部位のデータを、ゴーグル越しに、空中に浮かせられ。
複数の人が同じデータを見ている。
手術の計画を立てるときや、その説明、カンファレンスっていうんですかね?それに、立体データを用いてその場にいる人全員が、立体画像を見つつ説明を聞いたり、話し合ったりできる。
実際の手術の時には、拡張現実「AR」によって、実際の患者の患部を目で見つつ、そこにゴーグルに写るデータが重ねられる。
ポケモンGO(やったことないけど)では、実際の風景と、仮想の画像が重なって見えるけど、まあ、拡張現実というのはそんなもので。
もっと言えば、その手術の様子を、3次元のデータで記録しておけば、その様子を、VRで再生して3次元で見るという、手術の追体験ができて、名医の手術を、他の人が立体的な画像として学べる。
場合によっては、検証もできるので、名医もツッコミどころを作らないようにしないと、大変って話もあるけど。
こういうデータが溜まれば、AIとダヴィンチによって、人間がいなくても手術ができるようになるかもと、玉川さんは言ってたけど。
それは、無理、もしくは当分無理。
なぜなら、血管の位置や、幹部の状態、血管の硬さ、太さ、などなど、人の体は、個人差が大きいから。
それを、瞬時に判断しながら、ベストな方法を、刻々と微調整するのが、名医なのでは?って、思うから。
かくいう私も、血管が細い。
母もそう。
父の家系は、血管が太くて浅く、外から見えやすいし、体温そのものも高いので、太りにくい。
でも、それは、体温を放散しているってことで、エネルギー効率は悪い。ただ、運動した時に、素早く体温を逃がせるので、アクティブな狩りなんかには、向いているかもしれない。
父の性格からして、良く言われたのが、「体温が低いことは、運動の習慣がないからで、気合が足りない。太りやすいのは、運動をしないからで、ずぼらなのがイカン」って。
そうそう、人は自分とは違うんですよ、お父さん。
私も、父のそういうところ、カルチャーとして受け継いでしまっていたので、書き換えようと思うこの頃ですが。
私と母は、血管が細くて深い、太りやすくて、細い血管が脂肪に埋まっているので、看護師泣かせ。
でも、それって、体温を逃がさない構造になっているので、省エネなんだと、この頃は思っている。だから、糖質制限しないと、太るんですよ。
「糖質食べないと体に悪いよ」なんて、無責任なことを言う人は多いけど、食べずに暮らせる人はいないし、私だって食べているし、ただ、太るようでは余っているんで、控えた方が良い、そこは個人差ですよと、心の中で言う。
あ、脱線しましたね。
そんな訳で。
AIが、あらゆる局面に対応できるかは、謎ですよ。
データは蓄えないと、判断ができない。
でも、蓄えすぎると、一番マッチングするデータに行きつくのに、膨大な時間がかかり、手術の際には、データ検索が間に合わないことになるっていう可能性もあるでしょ。
ただ、AIが得意なところは、AIが担い、そのインプットが立体データで、アウトプットも立体データという「VR」をインターフェース(あ、死語?)にした、医療の支援システムは、これからきっとできてくると思う。
こないだ、NHKの「プロフェッショナル」で、徳島医科大の整形の先生、腰痛の名医のお話だったけど。
やっぱり、今の医療では、まだできないことは多くて、その先端にいればいるほど、何ができて何ができないか、意識することになり、できないことを何とかしようと、アイディアを絞ることになるんだと思う。
これを、クリエイティビティと呼ばずして、何と呼ぼう?
その奥義もまた、外から見える内容に関しては、立体データとして、記録可能になってきているということで。
立体データを蓄えて、共有できる時代。
今までは、時間や空間を隔てた人に何かを伝えるのは、手紙に書いた文章と平面に描かれた絵だった。
それが、デジタル化されて、遠くまで送れるようになり。
静止画だった絵は、動画になり、動画データを共有できるようになった。
その次は、立体データ。
立体データを、くるくる動かして、ディスカッションできちゃう。
これは、凄いことだと思う。
学校で、従来教えてきたことは、文字データ化しやすかったもの。
そして、だれが採点しても、公平に採点できる範囲のものだった。
つまり、平易にマニュアル化しやすい内容。
一方で漏れてきたことは何だったかというと、こういう、感覚的なもの。
実は、その方が、はるかにデータ量は多く、ち密で、評価そのものが、より高度な能力を持ち合わせた人にしか評価できなかった。
データが共有しにくかったことで、間違いなく存在する超絶な技術は、漠然とした手に取れない概念でしかなくて、教育現場で利用しにくかった。
これからは、変わっていくはずだと思う。
文字データ化しづらく、文字データでは内容のごくごく一部しか伝えられなかったもの。それをやり取りできる時代が、ついに来たということだ。
立体データとはいえ、現実の状態の何割かしか記録できてはいないかもしれないけど、飛躍的に、立体を扱う能力の高い人同士のやり取りが、高度なものになっていく期待が高まった気がする。
斉藤孝さんは、人間は言語で考えるので、語彙力がある方が、思考力は高まると、著書で書いていたけど。
非言語的思考を、人はいっぱいしている。
その非言語的思考を伝えるのが立体データで、立体動画で、言語はその補助に過ぎないとしたら、語彙力は、必要十分でいいんじゃないのか?って、私は個人的には思いますけど。
そういう意味では、従来の学校で教えてきたものは、まさに基本の基本だけ。
なしで済むかというと、たぶん中学レベルくらいまでは、まあまあ、そこそこ理解できた方がいいとは思うけど。
その先には、学校教育ではカバーしきれない、広く深く遠い世界が待っているんだと、思うこの頃です。
見ていて、わくわくします。
医療の壮大な話と比べると、矮小ではあると思うんですけど。
巨匠、ビットリオ・コンスタンティーニの仕事とか、ピークの頃に、立体動画で残せてたら、凄かったろうになあ。
だったら、私も、追体験したい。
あ、タイトルと中身が変わってしまったですね。
というか、まだ、本題に入れていません。
続き、また書きます。