「美」とは、誰のための物か?

 「ふく蔵」作品展直前で、時間に追われつつ。

 今朝は、母がお泊りでいなかったので、ゆっくり寝て、元気を取り戻しました。

 夜更かしな人なのに、母がいると朝寝ができないので、睡眠不足になるのです。

 だったら早く寝ろ!って話もあるのですが、体内時計の関係なのか、脳内物質の関係なのか、スタートが遅く、切り替えが悪く、後ろへ後ろへと物事がずれて行くのです。

 世間の「できる人」は、前倒しに人生を入れ替えるところなのでしょうけど、こういう性分を、無理に矯正して良いことはなく。

 この後ろへずれる習性を生かしたサイクルを探るしかないと思うのです。

 この年になって今更ですけど、ちょっと考えたいと思います。

 

 いい年をして今更という考え方は、もともとしない質のようです。

 その時、マイブームになると、やる。

 健康関係だって、ああもっと早く分かっていれば!と思いがちなのですが、分かったのが今なら、それは今だったんでしょう。

 健康に関する世間の常識も、アップデートされていくものなので、仕方ないということで。

 そうそう、「今更」なんですが。

 今日は、「美」のお話。

 

 49歳の終わりごろが、ダイエット成功で一番体重を落としていた頃です。

 あの頃、胸がなくなって、あばらが立っていたので、おそらくそこからプラス1~2キロがベストなんじゃないかと思います。

 今は、5~6キロリバウンド中。

 胸が戻って来たのは良いとして、おなか周りに「皮下脂肪」が戻ってきてしまった。

 皮下脂肪は、時間をかけて蓄えられて時間をかけて落ちる物なので、これは、こびりついた感がありますね。

 でも、体温が低い。

 ふとネットの記事を読んで、もしかしたら、代謝に回すのに、特定のビタミンやミネラルが不足しているのでは?って気がしてきました。

 五十肩も治ったところで、まじめに、ヨガ教室に通おうかと考えています。

 教室も物販も頑張って、ゆとりを作りたいです。

 

 先日、とある人と話していて、とある優秀なお嬢さんが、女性として画一的な「美」を求められることに反発を覚えた話を聞きました。

 というのは、超優秀な人たちが集まっている集団で、「美」に関する講習会があって、「ファンデーションを塗らないことをどう思うか?」って、話を振られたんだそうです。講師の人は、「女性としては、そういうたしなみがない事があり得ない」って結論に導きたかったのは、見え見えな訳なんですけど。

 それを受講していた人たち、誰一人、そこに賛同しなかったんだそうです。

 で、この場での結論は、「女性が求められて来た古典的な美を追求することは、悪」みたいな方向性になった訳です。

 ふ~ん。

 私の見立てによると、その場の人々が、「若く」「美しい」集団だったからだろうと思うのです。

 若く優秀な集団であるということは、平均的に、若く健康だということです。

 美しいかどうかに関しても、みな自覚がない物の、一定の範囲内の美しさがあったということなんだろうなあと思ったのです。

 

 ダイエットに成功した後、職業柄SNSをやらなくっちゃ、SNSのためにはプロフィール写真が必要って思い込んでいた時期がありました。

 が、痩せた状態での自撮りは、とても残念な結果でした。

 それをきっかけに、梅田の写真スタジオに行き、メイクに目覚め、自己流のメイクを始めて二重になり、それでも足りずに表情筋を鍛えて口角を上げるように努力した。

 自分で言うのもなんですが、若かった頃を除き、49歳くらいの自分はそこそこ行けてたんじゃないかと思うんです。

 で、その自分が「美しい」ものを目指して頑張った目標って、何だったのか?っていう話なんです。

 

 結論から言ってしまうと。

 「美人顔は平均顔」なんです。

 CGで多くの人の顔を合成していくと、美人顔が出来上がるのだそうです。

 それは、テレビで言ってました。

 顔に限らず、平均から離れたものを、人は嫌います。

 太りすぎたり、痩せすぎていたりするのは、健康上リスクがある。

 身長も、小さくては獲物を捕らえるのに不利だし、大きくても限られた筋力でコントロールしづらくなる。

 何事も、真ん中あたりが、機能として「無難」で「安全」なんだということです。

 私たちが求める美の大元は、「若い人の平均顔」だと思うのです。

 そこから外れた部分を、メイクで修正してみたりする訳です。

 口角をあげるのも、若く筋力のある人の顔の特徴だからです。

 大きな目、細いあごは、もっと遡って、「赤ちゃん」の特徴のようです。

 生き物は本能的に、この赤ちゃんのバランスを可愛く愛しいと感じる。

 「若い人の平均顔」と「赤ちゃん顔」のミックス型を、私たちは追い求めている気がします。

 が、アプリで修正した目だけデカく、顎が極端に細い顔は、美しいというよりも、禍々しい。

 本来、成熟した大人は、ああいったバランスではないはずで。

 赤ちゃんのバランスではなく、痩せぼそった高齢者の特徴と被ってくる気さえするのです。

 

 昔の心理テストに、「木」を描くという物があった。

 幹が太く、葉っぱが茂ったバランスの良い木を描く人は大人で、幹ばかり大きくて葉っぱがちょろんと乗っていたり、細い幹に頭でっかちに葉が茂っている気を描く人は、成熟度が低く、子供っぽいという話だった。

 そういう意味では、現代のアプリが求める美は、庇護されたい、守られたい、管理されたい価値基準の美だということなのかも知れない。

 が、人は一筋縄ではいかないもので、そう見せて置いて、他者から有利なものを引き出そうという、抜け目ない本音が隠れている可能性もある訳で。

 

 飽くまでも、見た目の話ですが。

 結局、私たちが欲しい美は、「若い平均顔」なんだって思います。

 それよりも、赤ちゃんバランスに近いのが、目が大きく、顔の真ん中にパーツが寄った顔。

 成熟した大人のバランスが、やや面長で、そのため相対的に目はそう大きくなく、パーツが真ん中に寄りすぎていない顔。

 

 ずっとずっと一重瞼で、二重瞼になって気が付いたんですけど。

 それも、友人の言動がきっかけでした。

 しかも、今の彼女ではない、昔の彼女。

 私の目の特徴を、ゼスチャーでやったあの瞬間、自分の目が、横方向に「長い」印象なんだって思った。

 いわゆる「切れ長」ってやつですね。

 目が開いている大きさよりも、目の周囲の皮膚の形の関係で、目じりが延長されて見える。

 一重の場合は、上に開いていない分、目じりは水平方向に延長されて見える。

 二重の場合は、瞼の上が折りたたまれて目が大きく開く分、相対的に延長されるのが下向きで、長さがなくて垂れ目勝ちに見えることになる。

 さらに、若い頃よりも、人の顔は、幅広になって行きます。

 マツケン(松山ケンイチでなくて、松平健)が、とても分かりやすい。

 サンテレビで、暴れん坊将軍の再放送をたまたま一瞬見た時、顔細!って思いました。

 科学的に、人は老いると、顎が開いて来て幅広になって行くので、発掘された骨や白骨死体の年齢特定の参考にされるらしく。

 幅が広くなっているであろう顔で、二重になって下向きに目が延長されると、自分のパーツが真ん中に寄ったように感じるこの頃です。

 実名を出して申し訳ないんですけど、大島智子さん、きれいなんだけど、やや面長で目が大きくてパーツが真ん中に寄った顔で、何故だかバランスがあんまり好きじゃないんです。

 で、眉毛を、バブルの頃の価値観が残っているのか、長く書きたがる。

 ただ、この頃のトレンドは、それほど長くは描かないらしい。

 それはつまり、真ん中に寄った顔が良いっていう価値観なんだろうか?

 お子様顔寄りの流行りなんか?

 

 話は戻りますが。

 若く優秀な集団においては、若く、優秀で、比較的平均値内のバランスに収まった人ばっかりだったんだろうと思います。

 彼女たちには、まだ必要がなかった。

 なぜなら、今はまだ、そのものが、そういう存在だから。

 

 この美を、私たち中年が求める場合、それって何のため?っていう話があります。

 もちろん、若く健康に見られたい。

 周囲からもそうなんですが。

 日々、自分の顔は、自分の目から脳内に入って来る。

 セルフイメージが、若く健康に保たれている方が、きっと、何かとやる気もわいてくるんだろうなあと思います。

 友人が言うように、美は、追及しておく方が良い。

 それも、バランスの取れた範囲が良いと思います。

 生活は、それだけではないから、美だけを突出して追求することは、いつかその美を壊しかねないと思う。

 ガラスをやっていて、ガラスの美しさを追求するのに、ガラスしか見なければ、視野狭窄になって、美しい物が分からなくなる気がします。

 多分、美も一緒だ。

 そもそも、リバウンドしている場合ではないと思う。

 体や心が健全でないと、崩れてくる気がします。

 

 話は、ちょっと違う方に行きますが。

 最近思ったのです。

 「平均顔は美人顔」であることは、ずいぶん前に聞いた話です。

 ならば、誰もがそのど真ん中を目指せば良いことなんだろうか?

 その話を聞いた時から、特定の美人の顔が覚えられないって思っていました。

 特徴が、少ないからだと思います。

 今の時代は、何かと「多様性」の重要性が言われています。

 遺伝子も、生態系も、多様性がない集団は、脆弱です。

 顔も、もしかしてそうかも知れない。

 機能に問題があるほど長すぎたり短すぎたりっていうのはどんなもんかと思うけれど。

 私の周囲には、意外と「逆張り」が好きな人が多い気がします。

 これは、ある意味、持って生まれた感覚らしく、変えられるものではなさそうです。

 一定数こういう個体がいるって、絶対、多様性を保つための遺伝子の仕組みなんだと思うこの頃です。

 実際、人は、真ん中顔だけが好きな訳ではないしなあ。

 そしてみんなが真ん中顔になれるわけではないしなあ。

 野村監督と、野村佐知代さんは、顔そっくりだったしなあ。

 逆に、目が細い人と大きすぎる人の遺伝子のブレンドなら、真ん中に行きそうで、自分にない物を求める人もいるしなあ。

 生命体として、健全であろうとすることは、平均だけで固めてしまうことではないんだろうなあ。

 とか。

 私たちが、美を求める時、きっとその背後には、個としても種としても、一定の健全性を保つための深い理由が背後にあるのかも知れない。

 そんな風に思うこの頃です。

 それって、何なんかなあ。

 

 仕事しようっと。

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